第一章―02
宛名は『奈須西京輔様』。差出人は不明。表面には『6』とナンバリングされていて、裏面には『このこと、誰にも口外するべからず』という文句。
あの後、トイレの個室に篭もって封筒の中身を調べてみた。
すると、今度中から出てきたのは不気味な紙人形だった。
恐らく、コピー紙を型紙にして自分の手で作ったものと思われる。紙人形は十二単のような着物を着た女の人のシルエットだった。のっぺらぼうなので、かなり不気味だ。
立て続けに俺の元へ送られてきた、ろうそくと紙人形。しかも、差出人は不明。
何となく、背後に誰かの悪意が見え隠れした。俺を呪おうとしているのか、あるいはそれに近い何かの気配を感じる。
『このこと、誰にも口外するべからず』。
そんな文句に律儀に従っていていいのだろうか。ことによると、これはそのうち取り返しの付かない事態にまで発展してしまうのではないか……。
一日悩んだ末、俺はこのことをとある人物に話す決意を固めた。
そして放課後。
俺は真っ先に教室を飛び出すと、校舎裏にひっそりと存在している文化部の部室棟へと向かった。
安アパートみたいな二階建ての部室棟には部屋が全部で十個ある。中に入っているのは文芸部やらオカルト研やらクイズ研究会やら、要するにあまりメジャーでない団体ばかりだ。スラム街、と誰かが皮肉って呼んでいるのを聞いたことがある。
その部室棟の二階、一番隅の部屋。
木彫りの表札には『ミステリ研究会』という文字が刻まれている。何を隠そう、ここは俺の所属する部活動の部室なのだった。
スモークの掛かったガラス戸を引く。「ちっす」と言いながら中に入ると、もう一人の部員は既に部室内にいた。
「せんぱい? 今日は何だか、やけに早いんですね」
背中まで伸びる鴉の濡れ羽色の長髪。冷徹でありながら意志を宿して輝く、大きな漆黒の瞳。髪と瞳の黒さのせいで、その肌の白さが際立って見える。
二人しかいないミステリ研究会。部室の先客は一年生の後輩、志ヶ灘藍だった。
「今日は、篠田先輩はどうしたんですか? いつもはバカップルよろしくいちゃいちゃしてるのに」
「教室に置いてきたよ。それと、俺と真結はバカップルじゃない。いや、というかカップルでもない」
「高校生の男女が常時一緒にいるんだから、似たようなものじゃないですか。彼氏彼女という形式を取るか否かの違いです」
「だから、そういうんじゃなくて……まぁいいや」
俺は志ヶ灘との口論で勝ったためしがない。反論しても徹底的に論破されるだけなので、俺は大人しく口をつぐんだ。
靴を脱いで、几帳面に揃えられた志ヶ灘のローファーの隣に並べる。
ミステリ研の部室には、部屋の中央に会議用みたいな大きな長方形のテーブルが置かれている。それを囲むように、パイプ椅子が四つ。去年までは三年生の先輩がいたから四つで良かったのだが、二人だけの部室に椅子が四つってのは何だか決まりが悪い。折を見て片付けようと思っている。
俺はそのうち一つのパイプ椅子に腰を降ろすと、「志ヶ灘に見てもらいたい物があるんだ」と言った。鞄から例の封筒を取り出し、長テーブルの上に置く。
「これ、今日学校に来たら俺の下駄箱に入れられてたんだけどさ。何だか、気味が悪くて」
「下駄箱? ラブレターか何かですか?」
「違う。気味悪いラブレターなんかねぇよ」
志ヶ灘は読んでいた文庫本を伏せると、封筒を手に取った。表には『6』というナンバリング、裏には『このこと、誰にも口外するべからず』という文句。「ばっちり口外してるじゃないですか」と志ヶ灘は俺に横目を流し、それから封筒の中身を取り出す。
出てきたのは紙人形だ。着物姿の女の人のシルエット、真っ白なのっぺらぼう。
さすがの志ヶ灘も、その紙人形には眉をひそめた。
「はっきり言って、あんまり気分のいいものじゃないですね。これがせんぱいの靴箱に入ってたんですか?」
「うん。ていうか、下駄箱だけじゃないんだよ。昨日はろうそくが、俺の家のポストに」
「どういうことですか?」
俺は志ヶ灘に事情を説明した。昨日、家のポストに入れられていた封筒のこと。『4』というナンバリング、『このこと、誰にも口外するべからず』という一文。切手も消印もなかったこと。そして、中に入っていたろうそく。
志ヶ灘藍はその冷静沈着な性格に加えて、物事の理解力が高い女の子だ。パズルのピースを適切に整理して、物事の全体像を把握し、その本質を見抜く目を持っている。
俺がこの謎のことを志ヶ灘に話したのもそれが理由だった。頭脳明晰な志ヶ灘なら、ひょっとするとこの謎を解いてくれるんじゃないか、と。
俺の話を黙って聴いていた志ヶ灘は、「常識的に考えれば」と口を開いた。
「誰かが、悪意を持ってせんぱいに悪戯してるってことになるでしょうね。ろうそくに、紙人形。どちらも、あんまりもらって嬉しいものとは思えませんし」
「あ、やっぱりそう思う?」
「私はオカルトには詳しくないのでよく分かりませんけど。呪いかけみたいなので、こういうのがありそうじゃないですか? たとえば、五寸釘とか藁人形とか、ろうそくとか紙人形とか、その手のものを対象者に一定数贈ることに成功すると呪いが成就する、みたいなの」
「え、そんなのがあるの?」
「たとえばの話です。実際のところがどうなのかは、知りませんよ」
志ヶ灘は紙人形を封筒の中に戻すと、伏せていた文庫本を手に取った。そして、読書を再開してしまう。
「あれ? もう終わり?」
「終わりですけど、何か不満でも?」
じろっと、上目で俺を見てくる。俺は頭を掻きながら、
「いや。もっと何か、シャーロック・ホームズばりの推理を期待してたんだけど」
「というと。封筒の文字から犯人がペンを握るときの癖を言い当てたり、紙人形の切り口から犯人の利き手を言い当てたりすればいいんですか?」
「そうそう、そういうの」
「残念ながら」志ヶ灘は文庫に目を戻し、「私は安楽椅子派なので、そういう泥の臭いのする推理は得意じゃないんですよ。だいたい地べたに這いつくばるなんてナンセンスだと思いませんか? そういうのは警察の犬にでもやらせておけばいいんです」
ひどい言いようだ。
「じゃあ、その安楽椅子的な推理でいいからやってよ。何のために志ヶ灘にこれを見せたと思ってるんだ。口外するべからず、って書いてあるのにさ」
「ひとつ」
志ヶ灘は文庫本から顔を上げると、ぴっと人差し指を立てた。
「せんぱいが私の質問に答えてくれたら協力してあげます。せんぱいがこの謎について話したのって、私が初めてですか? それとも、既に誰か他の人に話したりしましたか?」
「え、なんで?」
「何でもです。せんぱいが答えてくれなかったら、私は沈黙するまでです」
志ヶ灘は人差し指を立てたまま、無表情で俺を見つめている。その光景が何だかシュールだったので、つかつかと志ヶ灘に歩み寄って、拳で拳を包むようにして人差し指を握らせてみた。
無言で殴られた。
「ふざけないで下さい。殴りますよ」
警告する前に手を出すのはもはや定石だと言える。俺は額をさすりながら、「志ヶ灘が初めてだよ」と答えた。
「本当は真結に話そうかと思ったんだけどさ。でも、志ヶ灘の方がこういう謎解きは得意だろうと思ったから。そういうわけで今、志ヶ灘に相談している」
「そうなんですか。なら、いいです」
志ヶ灘は再びテーブルに文庫本を伏せた。何がいいんだろう、と思ったが、どうせ答えてはくれまい。俺は黙って志ヶ灘の言葉を待った。
「とりあえず、問題整理をしましょう。せんぱいが知りたいのは、誰が、何のために、こんなことをしたか、ってことですよね」
「うん」と俺は頷いた。
「ここで、いきなり『誰が』の部分を考えるのは難しいです。それこそ、シャーロック・ホームズばりの推理をすればどうにかなるかも知れませんけど、私は彼が嫌いです。だから、『誰が』じゃなくて『何のために』の方から考えます」
「理由おかしくない?」
「せんぱいは黙ってて下さい」「はい」
志ヶ灘は封筒を手に取った。
「この封筒で気になる点は、大きく二つあります。
一つ目、どうして犯人はろうそくや紙人形をせんぱいに送りつけたのか。単なる嫌がらせやオカルト的な目的なのか、あるいは別に目的があるのか。
二つ目、封筒に書かれた番号にどんな意味があるのか。家のポストに入れられていたっていう封筒の方は、『4』だったんですよね? でも、靴箱に入れられていたっていうこの封筒の番号は『6』です。これに何か意味があるのか。
その他にも、どうして犯人はわざわざ『このこと、誰にも口外するべからず』という警句を書いたのか、とか、どうして家のポストと学校の靴箱に分けて入れたのか、とか細かい疑問はありますけど……でも、大きな疑問点はこの二つですね」
「ふぅむ。なるほど」
さすがは頭脳明晰の志ヶ灘藍だ。推理を聞いたわけでもないのに、論点の整理だけでそれっぽく聞こえてしまう。
「とまぁ、ここまでが問題の整理です。で、ここからは、推理の段階に入っていくわけですね」
「ほうほう」
「ちわーっ」
と、と。志ヶ灘がいきなりキャラ崩壊したのかと思ってしまったぞ。しかし、音源は部室の入り口、第三者のものだ。
そちらを見やれば、篠田真結が引き戸の隙間から顔を覗かせていた。
「きょうくんいる? 駅前のかき氷屋が、今日から営業始めるんだって。だから、藍ちゃんも一緒に三人で食べに……」
そこで、長テーブルに広がっている紙人形に気付いたらしい。「なにそれ?」と部屋の中に入って、興味深げに近寄ってくる。
「紙人形? 奈須西京輔様? なにこれ」
「い、いやぁ」
ぽりぽり。横目で志ヶ灘を見やると、彼女はひっそりため息をついていた。
そういうわけで、『誰にも口外するべからず』の秘密は、早くも二人目に知られるところとなったのだった。