第二章―13
無駄にタイムリミットなるものが設定されてしまったので、俺たちは城内を見物する余裕すらなく外に出て、再び地下鉄に乗り込んだ。一度路線を乗り換え、地方都市の地下をうろつくこと二十分、『マツシタ屋百貨店』の最寄り駅に降り立つ。
片側三車線の幅広い道路が横たわる大通りには、その両脇に高層ビルが林立していた。『マツシタ屋百貨店』も見劣りこそしないが、アドバルーンがなければ決して目立つということもなさそうだった。
あまり時間がないので、小走りで中に駆け込む。場所が特定できたとはいえ、なにしろここは十何階もあるようなデパートなのだ。そう簡単に真結を発見できるはずもなく、まだ安心は出来ない。
自動ドアをくぐってすぐのところにある案内板を、俺と志ヶ灘は眺めた。
「三つ目のヒント『ちょっと熱い』によると、篠田先輩はどこかで熱いものを食べているということになります。せんぱい、探すのは飲食関係のお店ですよ」
分かっている。でも、それは途方もない作業だった。
薄々想像はしていたが、このデパートの中には飲食関係の店が五個も十個も入っているのだ。その全部を回っている時間は到底ない。
「頭を使うんですよ、せんぱい。さっき、私たちは駅地下でラーメンを食べて満腹になったじゃないですか。それなのに、また何か食べ物を食べるっていうのは考えにくいです。探すのは喫茶店か、それに近い軽食屋だけで事足ります」
「なるほど……」
俺は案内板を眺めた。この建物の中に、それらしい喫茶店は二つだけだ。三階にある『カフェ・憩い』か、十一階にある『喫茶・なごみ』か。
どっちだ。どっちに真結がいる。
「せんぱい、思い出して下さい。篠田先輩の一つ目のヒントは『見晴らしのいい場所』でした。となれば、答えは簡単です」
「十一階か……」
『喫茶・なごみ』だ。篠田真結は、そこにいる。
俺たちは近くにあったエレベーターを捕まえると、乗り込んで十一階へと向かった。途中、何度か扉が開いて、人が行き来する。
その最中、俺はさっきから気になっていたことを口にしてみた。
「なぁ、志ヶ灘。真結は一体どうして、こんなことをやったのかな」
「え?」
志ヶ灘がきょとんと俺を振り返る。
「いやさ。日頃ふわふわしている真結の奴が、志ヶ灘に推理ゲームで勝負を挑むとは思えないじゃないか。だから、何か別の理由があって、誘拐されたなんて電話を掛けてきたんじゃないかと思ってさ」
「そうですね……。言われてみれば、確かに。今まで推理に夢中になっていて、篠田先輩の動機については考えてませんでした」
こんなことじゃ駄目ですね、と志ヶ灘は自分を戒めている。そのストイックっぷりに感心しながら、俺は思う。
篠田真結は何故、自分の誘拐事件を企画したのか。
自分が誘拐されたという設定にすることで、真結は一体何を成し遂げたかったのか。
場所の謎が解けた今、その動機の不可解だけが謎となって残っている。志ヶ灘は「結果から考えてみましょうか」と言って、話し出した。
「篠田先輩が誘拐事件を私たちに提示することで、何がどう変わったのか。ひょっとすると、そこにヒントが隠されているかも知れません」
「俺の財布が軽くなった」
「そんなのどうでもいいでしょ」志ヶ灘は俺にジト目を向け、「もっと別の何かがあるんですよ、きっと」
「んーむ……。結局、俺たちは真結に翻弄させられて、あっちこっち動き回らされたわけだよな」
本屋から始まって、地下鉄に乗って『欠川城』まで向かわされ、金を払って天守閣まで登らされ。『欠川城』に真結がいないと分かったら、今度は地下鉄でこのデパートまでやって来て、俺たちは今エレベーターに乗っている。
すなわち、苦労した。
それが目的なのだろうか。
時間と金と体力を浪費させて、俺たちのイライラを誘う。イライラした俺たちはストレスが溜まる。ストレスが溜まると、俺たちの寿命が微妙に縮まる……。
「馬鹿なこと言ってないで下さい」志ヶ灘は俺の意見を一蹴し、「それより、せんぱい。そもそも、篠田先輩ってどうして今日、私たちと一緒に来たんでしたっけ?」
「どうしてって、昨日、真結から電話があったから……」
エレベーターが十一階に到着する。『喫茶・なごみ』の看板が、吹き抜けの反対側の通路に出ているのが見えた。
「昨日、真結から一緒に買い物に行きたいって電話があったんだ。俺が、出掛けるから無理だって言ったら、一緒に行っちゃ駄目か、って」
「それでせんぱいは、なんて言ったんですか?」
「えーと……確か、来週じゃ駄目かって訊いたような気がする」
俺は昨日の真結との電話を思い出した。
『ふぅん。藍ちゃんも一緒なんだ……。ねぇ、それってわたしが一緒に行っちゃ駄目な用事なの?』
「いや、別にそういうわけじゃないけど。でも、別に楽しいことじゃないと思うよ。買い物なら、来週とかでもいいじゃん」
『ううん、今週の日曜じゃないと駄目なの。これは絶対です』
「ふぅん……。よく分かんないけど、それならご一緒にどうぞ。明日、朝の九時に駅前集合だから」
『分かった。ありがとう』
今週の日曜じゃないと駄目なの。
真結は確かにそう言っていた。
「なるほど……」と志ヶ灘。「つまり、篠田先輩のこの企画は、今週の日曜――今日じゃないと意味のない企画だったんですね。もっと言えば、今週の日曜は篠田先輩にとって特別な日だった、と」
『喫茶・なごみ』の前に立つ。
真結にとって、特別な日。その日に、俺はあっちこっちを地下鉄で動き回らされ、時間と金と体力を無駄遣いさせられた。すなわち、篠田真結は俺を、さんざん苦労させた。
一体何のために?
そう考えたとき、俺の脳のシナプスにびびっと電流が走った。
「――そうか」
そうだったんだ。
真結の言動、行動のすべてが一本の線へと集束していく。
「今週の日曜じゃないと駄目なの」「わたし、誘拐されちゃいました!」「たった今から、タイムリミットを設定する」「四十分経ってお前が現れなければ、この、た……」
つまり、この誘拐事件の目的は――。
答えを確信して、喫茶店の中に足を踏み入れる。テーブル席で少しだけ不安げに目を伏せていた真結が、俺に気付く。
真結は目を丸く見開くと、ぱっと表情を明るくして、俺に駆け寄ってきた。胸に飛び込んでくるその小柄な体躯を、真正面から受け止める。
さんざん真結に翻弄され、苦労させられた日曜日の果てに待っているものといえば――。
「はっぴーばーすでーー! きょうくん!」
それは、とびっきり笑顔の真結からの誕生日プレゼントに他ならないのだった。




