第二章―12
「『欠川城』に、篠田先輩はいなかった……」
引き続き、天守閣。
志ヶ灘と俺は、真結のヒントが書かれた手帳とパンフレットを一緒に見つめていた。
「でも、せんぱいも分かるように、この『欠川城』は篠田先輩が提示した三つの条件を、確かに満たしているんです。『見晴らしがいい場所』、『遠くからでも見付けやすい場所』、『ちょっと暑い場所』……」
「確かに、ここは見晴らしがいいし、城は目立つから遠くからでも見付けやすい。それに、冷房がないから暑いよな」
「それなのに、篠田先輩はここにはいなかった。それは何故か」
何故だろう。さすがに、真結が言ったヒントは全部嘘だったとか、そういうことはないと思うのだが。
容疑者についても、『県立美術館』、『マツシタ屋百貨店』、『栗ヶ岳』、『欠川城』の四つで間違いないはずだ。真結は確かに、パンフレットに載っていた四つの場所と言っていた。
他に、考えられる可能性と言えば……。
「やっぱり、真結は『栗ヶ岳』にいるんじゃないの? あそこは心理の側面から否定されたけど、一応は条件を満たしていたわけだし」
「それはないですよ、せんぱい。だって、確かに『栗ヶ岳』も条件を満たしてはいますけど、でも同時に『欠川城』だって条件を満たしているんですから。そして、心理の面を考え合わせれば、自然と『欠川城』が答えだって導かれてくるんです。それなのに私たちの考えの裏をかいて、篠田先輩は実は『栗ヶ岳』にいました、なんてのは卑怯ですよ。フェアじゃありません」
「真結がフェアプレイを気にしてるとは思えないけどな……」
「とにかく、私たちに挑戦してくるくらいなんだから、与えられたヒントから唯一の解答が導き出せるような設問になっていると考えるべきでしょう」
確かにそうだった。真結だって馬鹿じゃない。俺たちがきちんと答えにたどり着けるよう、必要十分なヒントを提示してくるだろう。
そこで、ふと志ヶ灘が顔を上げた。
「せんぱい。でも、よくよく考えたら変じゃないですか?」
「変? なにがさ」
「私たちはさっき、心理的な側面のことを考え合わせて『栗ヶ岳』の可能性を否定しました。篠田先輩が一人で山に行くはずはない、と。……でも、ですよ。もしその心理的な側面のことを考えず、無機的な文章問題としてこの問題を捉えるならば、『栗ヶ岳』だってれっきとした答えになるじゃないですか」
「そうだけど。何が言いたいんだ」
「つまり、文章問題としてこの問題を捉えるのなら、この問題には解答が二つある……『欠川城』も『栗ヶ岳』も答えとして適切、ということになってしまうんですよ」
「……じゃあ何か? やっぱり、真結は『栗ヶ岳』にいると言いたいのか?」
「そうじゃありません」志ヶ灘は首を振って、「そもそも、解答が二つあるような問題が出される時点で、何かおかしいんじゃないのかって言ってるんですよ」
さっき、志ヶ灘はこう言った。「とにかく、私たちに挑戦してくるくらいなんだから、与えられたヒントから唯一の解答が導き出せるような設問になっていると考えるべきでしょう」と。 しかし、真結の心理を考えなければ、この問題には解答が二つ存在してしまう。
とすると、おかしいのは……?
「問題設定が、そもそも間違ってるって言うのか?」
「そうです」志ヶ灘は大きく頷いて、「せんぱいの手帳に書かれた三つのヒントからは、解答が二つ考え出されてしまいます。逆に言えば、あの三つのヒントに従って考えていたからこそ、解答が二つ出てきてしまったんです。そうすると、何が間違っていたのかは一目瞭然ですよね?」
「ヒントのどこかに、ミスがあった……?」
俺は真結から提示された三つのヒントを思い出した。『見晴らしがいい場所』、『遠くからでも見付けやすい場所』、『ちょっと暑い場所』。
問題を出してくるんだから、真結が間違ったヒントを言うはずがない。それなのに、このヒントは間違っている。とするならば、考えられる可能性は一つ。
俺と真結との間で、ヒントの認識に食い違いがあったということだ。
この中で、人によって認識が異なるかも知れないヒントと言えば……。
「『ちょっと暑い場所』、ですね」
志ヶ灘はにやりと笑みを含んだ。
「せんぱい。篠田先輩は本当に、『わたしはちょっと暑い場所にいます』って言ったんですか? そうじゃなくて本当は、」
「本当は……」
――これはちょっと、あついのです。
真結は確かに、そう言った。このヒントを、俺は『ちょっと暑い場所』だと勝手に解釈して、手帳に書き付けてしまった。
志ヶ灘はしたり顔で頷いた。
「電話特有の間違いですね。篠田先輩の言った『あつい』は、気温が高い意味での『暑い』じゃなかったんですよ。篠田先輩が意味したのは、もう一つの『あつい』――熱の『熱い』だったんです」
そうか……。電話は視覚情報がないから、情報判断は必然的に音声情報のみに頼ることになってしまう。『暑い』と『熱い』の取り違えは、電話ならではの誤解だったということだ。
志ヶ灘は俺の手帳に書かれた三つ目のヒントを二本線で消し、その上に『ちょっと熱い』と書き足した。
しかし、こうなると……どうなるんだ?
「たとえば、こうは考えられませんか? 篠田先輩は、どこかで何か熱いものを食べているか、あるいは飲んでいる――」
俺はパンフレットに目を落とした。熱いものを食べたり飲んだり出来る場所はどこか、と。
ヒントにするくらいだから、どこかの自販機で熱い飲み物を買って飲んでいる、なんてことはないだろう。その場所自体に、熱いものを食べたり飲んだりする施設が付属していると考えるべきだ。
『県立美術館』、『マツシタ屋百貨店』、『栗ヶ岳』、『欠川城』。この中で、飲み食いする施設がある場所と言えば、
「『マツシタ屋百貨店』……。デパートだな」
「その通りです」
志ヶ灘は頷いてみせた。しかし、そこでふと疑問が湧く。
確かに、『マツシタ屋百貨店』は十二階もあるから見晴らしがいいし、真結はそこで何か熱いものを食べているのかも知れない。
しかし、二つ目のヒント『遠くからでも見付けやすい場所』は?
『マツシタ屋百貨店』は外から見れば何の変哲もない高層ビルでしかない。とりわけ目立つということはないはずなのに……。
「せんぱい。それについては、パンフレットの紹介文にきちんと答えが書いてありますよ」
そう言われて、俺は再びパンフレットを見た。
2 『マツシタ屋百貨店』 マツシタ屋百貨店は今年でオープン50周年! 十二階ではマツシタ屋百貨店の歴史を振り返る展示『百貨店が見つめた五十年』を開催中です。お買い物のついでに是非お立ち寄り下さい。アクセスは……。
「あ、せんぱい。ここからでもちゃんと見えますよ」
志ヶ灘は天守閣から外を眺め、とある方向に指を差している。
「いいですか? 『マツシタ屋百貨店』は今年でオープン50周年です。最近はあまり見かけませんけど、オープン50周年のこんなときぐらい、昔を偲んで揚げてみることもあると思いませんか?」
志ヶ灘の人差し指の先――。
そこには、『創業50周年感謝セール!』と旗の付いたアドバルーンが、風に揺られていた。




