第二章―05
高麗響子のマンションがある街は、田舎の部類に入る俺の街とは異なり、華やかな地方都市だった。
新幹線が乗り入れる駅の敷地内には、マクドナルドやドトールコーヒーの店舗まで入っている。まだ朝だというのに、店の中は人で賑わっていた。駅地下は靴屋や本屋の立ち並ぶショッピングモールになっていて、地下鉄のホームまで直通で行けるようだ。駅構内を行き交う人の多さに、3DSを持ってくれば良かったと田舎者根性が頭をもたげた。
さて、横道に逸れている場合ではない。
その駅から今度は地下鉄に乗り換え、電車に揺られること十分弱。大通りの奥に住宅が密集している郊外へと、俺たちは降り立った。
スマートフォンのマップ機能を駆使して、片側三車線の大通りを歩き回る。
辿り着いた高麗響子のマンションは、地上十二階建ての高層マンションだった。
「でかいな……」
その威圧感に、今度は貧乏者根性が頭をもたげる。志ヶ灘が「なに怖じ気づいてるんですか、せんぱい」とじとっとした目で俺を見た。
さて、そんなマンションなので当然、部外者が中に入れるはずもない。マンションの住人じゃないと開けられないオートロック式の扉の前で立ち止まり、志ヶ灘が壁に取り付けられているパネルを操作した。高麗響子の部屋は、708号室。
「しかし、本当にいるのかね。日曜の昼間なんだから、外出してる可能性も充分あると思うんだが」
「それだったら帰ってくるまで待てばいいじゃん」と真結。「いなかったらいなかったで、一日遊んでから夕方にもう一度来ればいいよ。こんな大きな街だし、遊ぶとこには不自由しないって」
しかし、それは杞憂に終わったようだった。相手が応答したらしく、志ヶ灘がパネルに向かって何やら喋り始める。
何度か言葉を交わしたのち、相手の了承が得られたようだ。オートロック式の扉が静かに開かれた。
「さ、いきましょ。せんぱい」
志ヶ灘は俺を振り返ると、事も無げにそう言った。
三人で無言のエレベーター。階数表示を漠然と眺めているうち、七階に着く。そのまま志ヶ灘、真結、俺と隊列を組んで八号室へ。玄関ベルを鳴らして待機。
果たして、玄関口に出てきたのは二十代後半ほどの美人のお姉さんだった。
「はいはい、いらっしゃい」
初対面の俺たちに気さくな笑顔を向けてきたその人こそが、高麗響子さんなのだろう。どこか悪戯っぽさを秘めながら、全体的に柔和で落ち着きのある笑顔。背中まで流れる長髪。ふわっと漂った香水の香りが、大人の女性をしみじみ感じさせた。
彼女は俺たちの顔をじっくりと眺め回した。
「ええと、西高生の諸君、でいいのよね。初めまして、高麗響子です」
高麗さんはにっこりと微笑んだ。遅ればせながら、と俺たちも自己紹介をさせてもらう。
最後に俺が事情を説明して、「よろしくお願いします」と頭を下げると、高麗さんは「なるほどねぇ」と唸った。
「私のやったことが、コウライさんなんて名前になって西高に残ってるのね。自分の存在が歴史になったんだって思うと、何だか不思議……」
彼女は遠い目をしていたが、しばらくすると笑顔に戻った。
「まぁ、いいわ。きみたち、せっかくだから中に上がりなさいよ。こんなところで話し込むのもどうかと思うし、それに、久しぶりに西高の話も聞きたいしね」
708号室のリビングには絨毯が敷かれていて、大きなローテーブルが一つ置かれていた。俺たち三人はそこで横並びになって、高麗さんと向かい合うような形で座った。俺たちの前にはそれぞれ麦茶が振る舞われていたが、何となく手をつけづらい雰囲気だ。
「それで。きみたち、私に尋ねたいことがあるんだって?」
話を切り出すきっかけを掴みかねていたら、高麗さんの方から話を振ってきてくれた。当事者は俺なので、俺が「はい」と答える。
「実は最近、俺のところに妙な封筒が次々と届いてるんですよ。もう五枚目かな」
俺は手荷物の中から、持参した封筒の束を取り出した。中身は抜いてある。高麗さんは「どれどれ?」と興味深げに封筒を手に取って、まじまじと見つめた。
「最初はそれが何だったのかまったく分からなかったんですけど。でも、ひょんなことから情報を仕入れて、どうやら俺に送られてきている封筒は全部コウライさんのおまじないっていうものらしいと知るに至ったわけです」
「それできみは、私のことを調べてここにやって来た、というわけかしら」
「はい。結局、コウライさんのおまじないが何なのかってところまでは分からなかったので、第一人者さんに直接訊いてみようって話になって……」
「ふぅむ。よろしい」
高麗さんは封筒の束をテーブルに置くと、俺の目をじっと見つめた。
「ただね、ええと……奈須西くん、だったっけ? ここまで来てもらって本当に申し訳ないんだけど、私はあなたにこの謎の秘密をすべて教えることは出来ないの」
「え、何でですか。ひょっとして、高麗さんにも分からないとか」
「ううん」と彼女は首を振って、「確かに、この封筒は私の――きみたちがコウライさんのおまじないって呼んでいるものだと思うわ。この封筒の裏面に書かれている一文『このこと、誰にも口外するべからず』がその証拠。私も昔、これとまったく同じ文を書いた覚えがあるもの。……もう、十年も前になるのかしら」
高麗さんはどこか愛おしそうにその封筒を撫でた。
「今となっては懐かしい思い出ね。思いがけないところから、昔のタイムカプセルが出てきたような気分」
「はぁ……」
「あ、ごめんね。それで、何の話だっけ?」
「高麗さんは、この封筒の謎について全部を俺に教えることは出来ない、とか何とか」
「そうそう。これ、本当に申し訳ないんだけど、きみたちに教えるわけにはいかないのよ。教えたら、意味がなくなっちゃうから。少なくとも、私の口から教えるわけにはいかないの」
それ、どういう意味だ。
「この謎って、答えが教えられると意味がなくなる謎なんですか?」
「そうとまでは言わないけど……」高麗さんは曖昧に微笑んで、「でも、知らない方がいいと思うわ。そっちの方が多分、きみのためにもなると思うし。それに、第三者である私なんかが、そうそう教えていいような内容ではないもの」
「はぁ、そうなんですか」
ますます謎が深まってしまった。知らない方が、俺のためになる? 一体、どういうことなんだ。
俺はふと思い浮かんだ可能性を、口にしてみた。
「あの、つかぬ事をお訊きしますが、高麗さんって昔、誰かにいじめられていたとか、そういうことはありませんか?」
「えっ?」
高麗さんはきょとんを目を丸くした。そして、「いや、全然そういうことはないけど」と否定する。嘘をついているような態度ではなかった。
ひょっとして、やっぱりこれは呪いとか嫌がらせなんじゃないかと思ったのだが……。どうやら違うらしい。俺はまた首を捻った。
「でも、そうね。せっかくここまで来てくれたのに、手ぶらで返すわけにもいかないし……。いいわ。じゃあ、少しだけきみにヒントをあげることにする」
「ヒントですか」
「そう。この謎を解く手がかり。これは、もしこの封筒の送り主が私の作ったルールに従っていたら、の話だけど。もし、そうであったなら、きみに送られてきたもののどこかに送り主の名前が刻まれているはずよ」
「犯人の名前が刻まれている?」
俺は今まで送られてきたものの数々を思い出した。ろうそく、紙人形、浴衣、そうめん、金銀BB弾入りの砂……。どこにも名前なんて刻まれてなかったような気がするのだが。
「字面通りに捉えてどうするんですか、せんぱい」
志ヶ灘が口を挟んできた。
「刻まれてるってことは、その品々のどこかに送り主の名前が隠れているってこと。つまり、暗号ですよ」
「そういうこと」高麗さんは微笑して、「私も、自分の名前が入った暗号を作って、『このこと、誰にも口外するべからず』っていう文を添えたわ。確かに、おまじないって言うのが一番正しいのかも知れない。後輩にそのことを話したから、きっとそこから代々受け継がれていったんだと思う。もう十年も……。何だか、すっかり歴史って感じね」
しみじみしちゃうなぁ、と高麗さんはまた遠い目をした。その表情には、どこかしら懐かしさや切なさが浮かんでいる。高校を卒業してから十年も経つと、あの頃のことを思い出してこういう風な目をすることが出来るのだろうか。
俺はどうだろう、なんてことを思う。
勉強にも部活にもおよそ力を入れず、変化を嫌い、ただ時間に流されているだけの自分。そんな俺は、こうやって十年後にしみじみ出来るような思い出を、現在進行形で作れているのだろうか。後から振り返って自分の歩んできた道程に何も見出せないのであれば、それは何だか寂しいことのような気もする。
目の前の高麗さんと想像の中での十年後の俺が重なり、自分に自分を見られているような、変な気分に陥る。高校生の俺は、何となく目を伏せた。
「あ、そうそう。あともう一つ」
高麗さんは元の表情に戻ると、ぴっと人差し指を立て、俺に向かって笑いかけた。
「この謎の真相は多分、きみにとってそんなに悪くない結果をもたらすと思うわよ。そのために悩んだり、苦しんだりはするかも知れないけれど。でも、長い目で見ればきっと、ね」




