第二章―02
降霊会事件が片付いた翌日の放課後、ミステリ研には日常の風景が戻っていた。
会議用長テーブルの上に広げられているのは俺の勉強道具。数学Ⅱの問題集と、その解答集。俺はその両方を最大限に有効活用して、数学の課題を片付けている最中だった。平たく言えば、答え丸写しというやつ。
志ヶ灘の方は「勉強なら家でやりますから」という優等生っぷりで、部室ではミステリ研の活動に従事している。彼女が手にしているのは海外の古典推理、ディクスン・カーの文庫であるらしい。以前、俺も志ヶ灘に勧められたので読んでみたが三ページでギブアップした。
「しかし、何だな」と俺。「降霊会がオカルト研のインチキだってのが分かったのはいいけどさ。とすると、コウライさんの呪いってのも嘘だったってことになるのかな」
「全部嘘ですよ」
志ヶ灘は文庫に目を走らせながら、そっけなく答えた。
「ていうか、ちょっと考えれば分かるじゃないですか。もし本当にこの高校でそんな血みどろのいじめ自殺事件が起こってたら、話題になって私たちも知ってるはずです。私、オカルト研の部室でコウライさんの呪いの話を聞かされた時点で、これは全部嘘だって確信してましたけど」
結局のところ、オカルト研の二人はまったく根も葉もない真っ赤な嘘を饒舌に語っていたということか。それはそれで感心したくなる。
「せんぱいは、洞察力ってものが決定的に不足してるんですよ。問題を整理し、論点を発見し、そして推理する。せんぱいの場合は、まず問題の整理が出来てません」
「まぁ、問題ほったらかし主義者だからなぁ俺は」
問題を問題として知覚しなければ、洞察力なんてクソ喰らえというわけだ。それはある意味、最強の解決方法なのかも知れない、と思ったりもする。
志ヶ灘は辟易したように俺を睨むと、
「せんぱいは、そのうち問題にがんじがらめにされますよ。気付いたときには身動きが取れなくなっていて、前後左右上下行き止まりで、人生行き詰まって自殺するしかなくなってます。何も解決せずに、行き詰まったら逃避するなんて素晴らしい人生ですね。見習いたいです」
「皮肉をどうも」
志ヶ灘のこの手のセリフは正面から受けていたらきりがない。俺はさらっと受け流して、数学の答え丸写しに従事するのだった。――そんな折。
「ミステリ研さん、どうもこんにちは」
部室の引き戸ががらっと開いて、そんな声が飛び込んできた。普段ここに遊びに来るのは篠田真結くらいなものだが、明らかに男の声だ。振り向くと、オカルト研の古川が如才ない微笑みを浮かべて立っていた。
「古川先輩……。どうかしたんですか?」と志ヶ灘。
「うん。実を言うと、きみたちにお力添えが出来ないかと思ってね。その、降霊会事件に巻き込んでしまったお詫びとして」
「お詫びって言われても……。私たち、特にお力添えが必要なことはありませんけど」
「封筒の謎」
古川は入り口で靴を脱ぐと、遠慮なくずかずか部室の中に入ってきた。
「奈須西くんに最近、変な封筒が送りつけられているんだろう? 降霊会事件については解決しても、あの件についてはまだ解決していないんじゃないかな」
「あ、そうそう」と俺。「あれって結局、きみが仕組んだことじゃなかったんでしょ? つまり、第三者の犯人がいる……。その犯人も分からなければ、贈り物の謎もまだ全然解けてないんだ」
「僕がお力添えって言ったのはそのことさ」古川は破顔して、「オカルト研究会として、その謎について知りうる情報を提供したいんだよ。……ここ、いいかな?」
古川は俺の対面のパイプ椅子を指差した。俺が無言で頷くと、古川は椅子に腰を降ろし、俺と志ヶ灘を交互に眺めた。
「もっとも、もしきみたちがそんな情報いらないって言うなら、僕は黙って出て行くけどさ。どうする?」
「どうする、と言われても」
俺は意思決定を躊躇い、志ヶ灘を見やった。しかし、志ヶ灘はぷいとそっぽを向いて、取り合ってくれない。どうやら、俺の問題なんだから自分で意思決定せよ、という意味らしい。
俺は古川に向き直った。
「じゃあ、お願いする。ついでに、その情報をもらうことで降霊会のことはチャラにしよう」
「どうもありがとう。きみが懐の深い人間で助かったよ」
古川は目を細めた。それから、黒縁眼鏡を人差し指で持ち上げると、真面目な顔に戻って本題に入っていく。
「実は僕、篠田さんから封筒の謎について聞かされたとき、ぱっと一つの可能性が頭に浮かんでいたんだ。いや、コウライさんの呪いの可能性じゃなくて、もっと別の可能性がね……。それが、コウライさんのおまじないの可能性なんだ」
「ぶっ飛ばすぞお前」
こいつ、まだ反省してないのか。今度はコックリさんでもやるつもりか。
「いや、ごめん。冗談じゃないんだよ」古川は苦笑して肩を竦め、「コウライさんのおまじないってのは、この高校に実際にある伝説なんだ。僕がコウライさんの呪いって嘘を思いついたのも、そのコウライさんのおまじないが元ネタだったんだよ」
「……ふぅん」とりあえず、飛び出しかけた拳を仕舞っておく。
「ただ、コウライさんのおまじないについては、いかんせん情報が少なくてね。知ってる生徒もほとんどいないから、僕もあまり詳しいことは知らないんだ。一つ、そのおまじないの特徴として知っているのが、あの『このこと、誰にも口外するべからず』っていう文句。コウライさんのおまじないには必ずあの文句が使われるんだ」
「何だそれ。どういう意味だ」
「さぁ。僕にも分からないんだよ。メジャーな伝説じゃないから、情報がもうほとんど残ってなくてね」
『このこと、誰にも口外するべからず』か……。それにどんな意味があるのか、なんて俺が考えても分かるわけないのだが。
「で? まさか、情報ってそれだけって言うんじゃないだろうな」
「いや、いや」古川は顔を引きつらせて、「実を言うと、僕が知ってるのはそれだけなんだけどね……。非常に申し訳ないけれど」
「じゃあ結局、何も解決してないじゃないか」
「そんなことありませんよ」
文庫に読み耽っている志ヶ灘が口を挟んできた。
「いいですか、せんぱい。そのおまじないの名前は、『コウライさんのおまじない』です。どうしてそこに『コウライさん』なんて名前が入ってると思いますか?」
「そりゃ、そのおまじないの創始者だから……」
あ、と思った。
「そうですよ。コウライさんが始めたのなら、そのコウライさんを突き止めて、話を聞いてみればいいんです。『コウライ』がどういう漢字を書くのか知りませんけど、何にせよかなり珍しい苗字です。この高校の卒業者リストを調べれば、そのコウライさんが誰なのか判明すると思いませんか?」
「なるほど……」
さすが志ヶ灘藍。俺にはない洞察力だ。
じゃあ早速、卒業者リストを見に行こう。俺がそう言いかけたところで、古川が申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……実は、僕もそう思って卒業者名簿を調べてきたんだよね。そしたら、ビンゴ」
古川は制服のポケットから一枚の紙を取り出して、俺たちに差し出した。
そこには、『高麗響子』という女性の名前と、彼女の住所が書かれていたのだった。




