第一章―09
「番号は『9』、中身は……着物かこれ?」
二階、俺の部屋。ベッドに寝そべって、三枚目の封筒を検分中。
封筒の表にあるナンバリングは『9』、裏面には例によって『このこと、誰にも口外するべからず』の文句がある。今回はやけにぱんぱんに封筒が膨らんでいるなぁと思ったら、中身は和風の着物だった。
いや、訂正。広げてみたら、着物じゃなくて浴衣だ。
「ろうそくに、紙人形に、浴衣……」
口に出しても意味がさっぱり分からない。着物だったら呪いっぽいが、浴衣で呪いはないだろう。何だか滑稽だ。
それに、呪いの可能性については既に否定されていた。
小田切さん――いや、コウライさんが「それは、私じゃない」と明言していらっしゃるのだ。あれが演技かどうかはさておき、彼女が「私じゃない」と公言することで呪いの可能性は否定される。だったら、これは一体何なのかという話だが……。
「分かるわけないよなぁ……」
たかだか俺程度の脳みそでは。俺の信条『乗せられたら乗れ、流されたら流されろ』は基本的に他者任せなので、自分では問題解決というものをしないのだ。故に、問題は問題のまま放って置かれ、解答を出されることはない。それでも現在まで支障なくやって来られたから、これでもいいかと思っちゃうわけで。
志ヶ灘藍には、そういうのは許せないみたいだが。
――私、せんぱいのそういうところが嫌いです。現状をあるがままに受け入れて、自分で何も変えようとしないところ。
いつだったか、志ヶ灘にそんなことを言われた。文化祭で上位が取れなくて部室がなくなっても、それはそれで仕方ないよ、みたいな話をしたときだったろうか。志ヶ灘は俺と違い、現状が不満ならあらゆる手を使って変えようと努力する人間だ。故に、そういう部分の価値観は俺とは合わないのかも知れなかった。
「でも、面倒だしなぁ……そういうの」
ごろん、とベッドの上で一回転。
たとえば、俺と真結のこと。いい加減に告白しろだの、正式に付き合えだのと俺たちを見ている連中は口々に言う。
でも俺からしたら、そういうのは面倒でしかないわけで。
彼氏とか彼女とか。そういうのはどうも肩が凝りそうで、面倒くさいし、好きじゃない。今のままでも俺たちの関係は穏やかに回っているんだから、それでいいじゃないかと思ってしまう。それって、そんなに悪いことなんだろうか。
「今のままでもいいじゃん、ってさぁ……」
それとも、これは怠け者の言い訳に過ぎないのだろうか。
分からないまま、ごろんともう一回転。――と、勢いをつけすぎて、ベッドの横に置かれている棚に背中を強打してしまう。背骨に痺れが走り、俺はベッドで丸くなった。
その拍子に、棚から落ちてきたのだろうか。
ひとしきり苦痛に喘いだところで、手元に何か冊子が落ちていることに気付く。手に取ってみると、タイトルは『部活動紹介』。刻まれている年号は今年のものだった。
何となく気になって、中を開いてみる。タイトルの通り、各部活動の部員名簿と、部の活動内容、それに部員の集合写真が掲載されているようだった。そういえば春頃、こんな冊子を作るから写真撮らせてくれ、と生徒会の連中がやって来た記憶がある。
部活動の後ろには、申し訳程度に研究会の紹介もされていた。
コンピュータ研究会、アマチュア無線研究会……。ミステリ研究会のところには、俺が一人で仏頂面した写真が載っている。この時はまだ、志ヶ灘は入部していなかったのだ。
ちなみに、俺がミステリ研究会に所属していることに、実はたいした理由はない。放課後の居場所が欲しかったから、というだけだ。一人でのんびりするのは嫌いじゃなかったし、時々真結も遊びに来たから退屈はしなかった。
去年はこんなだったなぁと近い過去を振り返りつつ、ページを捲る。
次はオカルト研究会の番だった。部員名簿には二人だけの名前。紹介文には『オカルトに興味のある方、是非文化部部室棟までお越し下さい』とシンプルに一文。写真にはカップルの二人が寄り添うようにして写っていて……て?
「あれ?」
そこで俺は妙なことに気付いた。
写真に写っている二人。男子の方は、黒縁眼鏡の古川で間違いない。しかし、女子の方は……これは、どう見ても小田切さんじゃない。髪型とか、顔の作りとか、身体つきとか。何から何まで降霊会で霊媒役をやっていた小田切さんとは違うのだ。
もう一度、部員名簿を見つめる。
しかし、そこには確かに『小田切有紀』という名前があるのだった。
「……待て待て」
どういうことだ、これは?
部活動紹介に載っている小田切有紀と、俺の知っている小田切有紀が、別人?
どちらかが偽物だということなのか?
「んーむ……」
頭を捻って考えたが、やはり分からなかった。
その後、ふと思いついてスマートフォンを手に取る。新規メール作成。相手は、志ヶ灘藍。
『春に配布された〈部活動紹介〉の冊子、オカルト研究会のページをご覧されたし』
……これで良し、と。
俺は自分の取った行動に実に満足して、そのまま眠りの世界へといざなわれたのだった。
翌日。六月下旬の蒸し暑さの中、ひいこら言って教室に辿り着くと真結が俺を待っていた。
「きょうくん。遅刻です」
真結は俺の机の前に立って、何故かA4のコピー用紙を手にしている。鞄からタオルとうちわを取り出した俺に向かって、真結はそのコピー用紙を突き付けた。
「はい、これ」
「はい、どうも。何に使えばいいのかな」
とりあえず受け取った紙を机上に置き、うちわで自分を扇ぐ。いつもなら、真結が「わたしも扇いでよ」と言ってくるところだ。しかし、今日の真結は珍しくも神妙な面持ちで俺を見つめるだけだった。真面目さの中に、どこか不安や躊躇いが見え隠れする、そんな緊張の表情。
「ねぇ、きょうくん。その紙に、昨日のこと書いてくれない?」
「昨日のこと?」
「そう。降霊会、やったでしょ。そこで何があったのか、書いて欲しいの……んだって」
「いや、いま露骨に語尾を伝聞系に変えたよね」
「してません。きょうくんの聞き間違いです」
ペンならここにあるから、と真結が握りしめていたシャーペンを俺に差し出してきた。差し出されたものは受け取るのが俺の性分なので、とりあえず受け取ってみる。そのうえで、A4のコピー用紙と真結とを見比べた。
「……なんなの?」
「あのね。オカルト研の二人が、昨日起きたことを文章にまとめて、オカルト系の雑誌に投稿したい、って言うから。だから、きょうくんにもお願いして、って頼まれたの。わたしも書いたから」
「オカルト系の雑誌ねぇ……」
それって、嘘だってことを前提として書いた文章でも構わないんだろうか。いや、というより嘘だってことを前提とした文章を、俺はあまり書きたくない。
俺はシャーペンを置くと、真結を見つめた。
「真結もさ、一応高校生なんだから、あれが本物の心霊現象じゃなかったってことぐらい分かってるんだよね」
「ど、どうなんでしょう」
ぷい、と真結は露骨に目を泳がせる。その頬を両手で掴んで、半ば無理やり俺の方に向き直らせた。
「俺はオカルト研が何を目的にしてるのかとか、真結がどこまで知ってて何をしたいのかとか、よく分からないけどさ。でも正直言って、嘘つきに加担するようなことはしたくない」
「……………………」真結は唇を噛み、黙って目を伏せた。
「オカルト系雑誌に投稿するのだって、言ってみればオカルト研の私利私欲のためでしょ? だったら、俺が騙されたフリをしてまで協力してやる義理はこれっぽっちもない。それは真結だって同じことのはずだよ」
「だめなの」
真結は珍しくも、はっきりと自分の意志を表明した。俺を見つめるその瞳には、真摯な色が宿っている。
「嘘でも何でもいいから、書いてよ。書いてくれなきゃだめ。そうじゃないと、わたしが困る」
「どうして真結が困るんだよ」
「どうしても!」
真結は何かを訴えるように、自分の瞳の中に俺の瞳を映し込んでいる。普段ふわふわした性格なだけに、その落差に俺は少し動揺する。場を持たせるために、とりあえず頭を掻いて、と。
真結を追い詰める証拠なら、実のところ俺は手にしていた。
昨日見付けた写真。『部活動紹介』の冊子に載っていた小田切有紀と、霊媒役を務めていた小田切有紀が別人であること。それを突き付ければ、真結は本当のことを教えてくれるかも知れない。
……が、しかし。
珍しくも意志を訴えている真結は、同時にどこか脆さをも感じさせる。下手につつくと彼女を傷つけてしまうかも知れない。なんてことを思うと、迂闊には喋れないわけで。
さて、参った。
どうとも行動を取りかねた俺が頭ばかり掻いていたとき、不意にポケットの中のスマートフォンがバイブした。
間を取るためにそれを取り出し、確認してみるとメールが一件。相手は、志ヶ灘藍だった。
『謎が解けました。放課後、篠田先輩と古川先輩を連れて、ミステリ研の部室に来て下さい』




