見習い魔法使いⅡ
それからすぐに、私には二人の先生がついた。
魔法全般を教えてくれるのは、
ロアン・グレイヴ。
マナーを教えてくれるのは、
マルグリット・ヴァルモン伯爵夫人。
ノクス家はその立場上、どうしても狙われやすいらしく、
あまり外部の人間を屋敷に入れたくないらしい。
――と、リウスが言っていた。
ロアンはノクス家直属の部隊に属する魔術団の副長。
実質、魔法戦闘の要とも言える人だった。
一方ヴァルモン夫人は完全な外部の人間だけれど、
元・王妃教育係という経歴を買われ、パパが直々に招いたらしい。
その話を本人の口から聞いた瞬間、
私は椅子から転げ落ちそうになりながら叫んでしまった。
「えっ!? お、王妃様の……!?」
「はしたないですよ」
夫人は軽く咳払いをして、ぴしりと言う。
「とっくに引退した身ですが、侯爵様がわざわざご自宅まで訪ねてこられましてね。
それはもう……脅しのようなお金を積まれて」
……脅しのようなお金って何。
いくら積んだら、現王妃の教育係が来てくれるの、パパ。
「その分、覚悟はしていただきます。
国一のレディにして差し上げますから」
そう宣言した通り、
夫人のマナー教育は想像以上に厳しかった。
けれど、悪い人ではなかった。
私の過去を嗤うこともなく、
できないことを責めることもない。
厳しいけれど、誠実で、どこかあたたかい人。
それが、私のヴァルモン夫人への印象だった。
週に一度の休みを除いて、
午前はマナー、午後は魔法。
七歳の私が魔術学校に入るまで、残された時間は三年もない。
しかも、知識は完全にゼロからのスタート。
「全然一緒に遊べない……」
とリウスは拗ねていたけれど、
それでも最後には「応援してる」と言ってくれた。
シアン兄さまは、あのあと程なくして王宮へ戻ってしまった。
騎士団の仕事があるらしい。
あの時は休日を使って、わざわざ私に会いに来てくれたのだと後で聞いた。
そして、ユリからは時折、手紙が届くようになった。
皇太子という忙しい立場の彼と、勉強漬けの日々を送る私が、
あの日以来顔を合わせることはなかったけれど。
『体調はどう?』
『無理はしていない?』
『ノエルなら大丈夫』
と毎回気遣うような言葉が書いてある。
……それに、なんだか言葉選びがいちいち甘い。
手紙を読むたび、胸の奥がくすぐったくなった。
ちなみにリウスには絶対秘密だ。
文通していると知っただけでも王宮に乗り込んで行きそうなのに、
この内容を見たら、魔法で存在ごと消しかねない。
「ロアン……もう、気力が残ってない……」
午後の授業を前に、机に突っ伏す。
「あらら。今日も夫人にしごかれてきました?」
「動作を一つひとつやり直しさせられて……脳も体も限界……」
「じゃあ、今日は復習にしましょうか。
これ以上詰め込んでも、頭に入らなさそうですし」
ロアンはそう言って、くすりと笑った。
黒板の前に立ち、チョークを手に取る。
「さて。基礎の基礎ですが――
この世界には、六つの魔法属性が存在します」
さらさら、と黒板に文字が並ぶ。
「光、闇、炎、水、風、土」
「人が持てる属性は絶対に一つだけ。
魔力量もほぼ血統で決まります。
だから魔法が使えない人がいるのも、珍しくない」
「必然ではありませんが……」
少しだけ言葉を選んでから、続ける。
「属性によって、性格や生き方が影響を受けやすいのも事実です。
炎属性の人が短気だったり、とか。……あくまで傾向ですよ?」
「光は浄化の力が強い属性です。
瘴気に対してとても有効。
王族しか使えないので詳しいことは秘匿されていますが、
極めれば大抵のことはできるらしいですね」
「炎は爆発的な魔力放出が得意です。
前線向きで、とにかく火力が高い」
「水は回復と補助。
傷を塞いだり、毒を薄めたり解毒したり……縁の下の力持ちです」
「風は機動力。
加速、跳躍、偵察、伝令――戦場では欠かせません」
そこで、にやっと笑う。
「ちなみに僕は風です」
「土は防御が得意。
地形操作や結界構築に向いています」
そして、一拍置いて。
「闇は――取り入れる力です」
ロアンの声が、少しだけ低くなる。
「瘴気を“消す”のではなく、取り入れて自分の力として使う。
……それが、人々に誤解され、恐れられる理由ですね」
悔しそうに、唇を噛む。
「それに、模倣も得意です。
物には必ず影がありますから」
ふふん、と胸を張る。
「正直に言って――
闇属性が最強だと、僕は思ってますよ」
その言い方がおかしくて、
私は思わず笑ってしまった。
午前中から張りつめっぱなしだった体が、
その瞬間だけ、ちゃんと息をつけた。
ロアンはそれを確認したように、
小さく頷いてから黒板に向き直る。
「それから――上位の魔法ほど、制御は難しくなります」
ロアンは黒板に小さく印をつけながら続ける。
「威力が上がる分、精神への負担も大きい。
なので魔法は、必ず“簡単なもの”から段階的に学ぶのが基本です」
「たとえば?」
「そうですね。お嬢様が今やっている、物の出し入れ。
あとは簡単な模倣――形を真似る程度のものとか」
「……地味」
「基礎ほど地味です」
即答だった。
「でも、その基礎を疎かにした人ほど、後で痛い目を見ます」
うっ。
思わず姿勢を正す。
「あと、これは少し話が逸れますが」
ロアンはチョークを持ち替え、黒板に新しい言葉を書く。
「獣相についてです」
「……じゅう、そう?」
首を傾げると、ロアンは頷いた。
「魔物とは違います。
魔力が一時的に形を取り、獣の姿に“見える”現象です」
「へぇ……」
「侯爵様も使えますよ。
かなり大きな狼の獣相を」
「そうなの!?」
思わず身を乗り出す。
「じゃあ、それって兄さまたちも……?」
「いえ」
ロアンは首を振った。
「獣相を顕現できるのは、本当に一握りです。
お二人は魔力量そのものは申し分ありませんが――
獣相の顕現には至らなかったそうです」
「そっかぁ……」
ちょっと残念。
「……でも、私も出してみたいな。
狼」
「うーん……」
ロアンは少し困ったように唸った。
「獣相の顕現は、魔力を一気に大量消費しますからね。
獣相の大きさは、基本的に魔力量と比例します」
「じゃあ、ちっちゃい狼なら……?」
「年齢的に厳しいです」
ばっさり。
「お嬢様のように年齢が低い場合、
魔力量がまだ十分ではありません。
無理に顕現しようとすると――」
一拍。
「最悪、死にます」
「……え?」
「死にます」
さらっと言われた。
「し、死ぬ!?」
「ええ。魔力を一気に根こそぎ持っていかれると、
生命力にも影響が出ますから」
こわい。
獣相、こわい。
「……私って、魔力量少ないんだ……」
しゅん、と肩を落とす。
するとロアンは、少し慌てたように手を振った。
「いえいえ。そういう意味ではありませんよ」
「?」
「お嬢様は、今は“器”が小さいだけです。
魔力を入れる容れ物が、まだ成長途中ということですね」
「器……」
「体の成長と比例しますから、自然と増えます。
それに――」
ロアンは、少しだけ真剣な目でこちらを見る。
「魔力の“濃さ”が、一般的な人とは比べものにならない」
「……濃さ?」
「はい。魔力には、量と濃度があります」
チョークで二つの円を描く。
「量が多い人は、大きな魔法を撃てる。
でも濃度が高い人は――」
円の中を、ぎゅっと塗り潰す。
「少ない魔力でも、より精密で、効率のいい魔法を扱える」
「……じゃあ……」
「ええ」
ロアンは、少しだけ笑った。
「お嬢様は、今は小さいですが――
将来、とても“厄介”な魔法使いになりますよ」
それは褒め言葉なのだろうか。
でも、ロアンのその言葉には、
どこか楽しみにしているような響きがあった。




