黒髪の魔法使Ⅴ
夜も更け、屋敷はすっかり静まり返っていた。
人の気配のない廊下を、
一人の男が歩いている。
カシアンは、執務棟へ向かっていた。
重厚な扉の前で足を止め、
二度、拳を当てる。
「入れ」
低い声に応じて、扉を開いた。
中は書類とランプの光に満ちた、
いつもと変わらぬアルノーの執務室だった。
「報告です、父上」
「ご苦労」
アルノーは書類から視線を上げ、
簡潔に頷く。
簡単な近況報告と、騎士団での任務の進捗。
二言三言の雑談を交わし、一拍の沈黙が落ちた。
――本題は、別にある。
「……エレノワールの件ですが」
カシアンがそう切り出すと、
アルノーの手が、わずかに止まった。
「今日、改めて確認しました。
確かに闇魔法の気配を感じます」
「それも、かなり濃い」
カシアンは続ける。
「七歳とは思えません。
表情も、言動も……
あまりに子供らしくない」
アルノーは何も言わず、
じっとカシアンを見ていた。
「……それと」
一瞬、躊躇ってから、
カシアンは本音を口にする。
「血を外に出さないために、養子にしたのですか?」
その問いに、
アルノーはすぐには答えなかった。
しばし、沈黙。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……それだけではない。
今、調査していることがある。
結果が出れば、
お前も納得するだろう」
言い切る声音だった。
「ノエルが子供らしくないのは、
今までの環境が原因だ」
カシアンは小さく息を吐く。
「……そうでしょうね」
路上で生きてきたと聞いた。
食べるために、逃げるために、
考えることをやめられなかった日々。
「同情はします」
そう前置きしてから、
彼ははっきりと言った。
「ですが、養女にしたことには反対です。
今更、親戚の存在などありえない」
アルノーは否定しない。
ただ、黙って聞いている。
「無垢な子供は守るべき存在だとも思います。
けれど――」
「呪われた血を断つためだと称し、
近づき、信用させ、そして――」
言葉を切り、カシアンは視線を伏せる。
「消そうとした者たちは、一人や二人ではありません」
そう言い残し、彼は深く一礼した。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。
静寂が戻った執務室で、
アルノーは一人考え込む。
――血。
――闇。
――そして、あの少女の瞳の色。
ランプの炎が、
微かに揺れた。
「……納得するさ、シアン」
誰にともなく、そう呟いて。
彼は再び、
机上の書類へ視線を落とした。




