黒髪の魔法使いⅣ
それから、なんだかんだで数日が経った。
正確に言うなら、
「気づいたら数日経っていた」という感じだ。
部屋に戻るたび、何かが増えている。
最初はスケッチブックとクレヨンだった。
次はぬいぐるみ。
その次は、やたらと装飾の多い積み木や、
魔道具らしきおもちゃ。
(……増えてる)
明らかに、増えている。
遊びきれないほどのおもちゃが、
いつの間にか部屋のあちこちに並んでいた。
「えっと……これ、全部……?」
そう呟くと、アンナは当然のように頷いた。
「すべて、ご主人様とヴァレリウス様からです」
(多すぎて、どれに手を付けていいか分からない……)
「遊ぶ」という行為自体が久しぶりすぎて、
結局、触り方が分からないまま
眺めるだけの日もあった。
それでも時間は、穏やかに流れていく。
午後は毎日、ヴァレリウスと庭園でティータイム。
手入れの行き届いた芝生。
色とりどりの花。
テーブルには、
何種類ものお菓子と紅茶。
(……夢みたい)
カップを持つ手に、まだ少し力が入る。
割ったらどうしよう。
こぼしたらどうしよう。
そんなことばかり気にしていた。
ヴァレリウスはというと、
砂糖を多めに入れて、
「甘い方が好きなんだ」と笑っている。
私はこの時間が本当に現実なのか、
まだ信じきれずにいた。
――そんな頃だった。
「兄上が、騎士団から戻られる」
ある日、ヴァレリウスがそう教えてくれた。
「一時的だけどね。
君に会うために、帰ってくるんだって」
(……ヴァレリウスのお兄さん。
どんな人なんだろう)
胸の奥が、そわっとする。
ヴァレリウスより年上。
アルノー様の子供。
どんな人なんだろう。
厳しい人だったらどうしよう。
養子だから、嫌な顔をされたら……?
考えすぎている間に、その日は来た。
玄関ホールに現れたその人は、
ぱっと見ただけで、騎士だと分かった。
背が高く、姿勢が良く、
鎧を外していても動きに無駄がない。
顔立ちはヴァレリウスよりも、
アルノー様に似ている。
深紅の瞳も、同じ色。
(こっちに来る……!)
私を見た瞬間、
その人はふっと柔らかく微笑んだ。
「君が、エレノワールだね」
低く、落ち着いた声。
「初めまして。僕はカシアン」
そう名乗ってから、
少し考えるようにして付け加える。
「堅苦しいのは苦手だから……
シアンって呼んでくれると嬉しいな」
(思っていたより、ずっと優しい)
戸惑っている私を見て、
彼は困ったように目を細めた。
「怖がらせたかな。
騎士団にいると、どうも表情が固くなるらしくて」
そう言って、軽く笑う。
その瞬間、
「ずるい!!」
横から、勢いよく声が飛んできた。
「兄上だけ特別みたいでずるい!
僕もリウスって呼んで!」
頬を膨らませてヴァレリウスが抗議する。
「……え、えっと」
視線が行き場をなくしていると、
カシアン――シアン兄さまが、くすっと笑った。
「二人とも、可愛い妹に呼んでもらいたいんだ」
「兄上だけが
ノエルのお兄ちゃんじゃないんだからね!」
……なんだ、怖くない。
この人も、ちゃんと私の兄なんだ。
「……シアン、兄さま」
恐る恐る呼ぶと、
彼は一瞬、驚いた顔をしてから、
とても嬉しそうに笑った。
「うん。ありがとう」
その隣で、
ヴァレリウスがじっとこちらを見る。
「……リウス、も」
そう付け足すと、
ぱっと花が咲いたみたいに
表情が明るくなった。
「やった!」
胸の奥に、
あたたかいものが広がった。
まだ、完全には信じきれない。
それでも。
少しずつ、
ここが「私の居場所」に
なっていく気がしていた。
その日の午後、
庭園の一角で私はシアンと向かい合って座っていた。
テーブルの上には、
飲みかけの紅茶と焼き菓子。
風が吹くたび、葉擦れの音が静かに混じる。
「リウスから聞いたと思うけど」
そう前置きして、
シアンは腰に佩いた剣へと視線を落とした。
装飾こそ控えめだが、
どこか重みを感じさせる剣。
「僕は、王国の騎士団に所属している魔剣士なんだ」
「……魔剣士?」
聞き返すと、彼は小さく頷いた。
「魔法を剣に纏わせて戦う剣士のことだよ。
剣そのものを媒介にして、魔力を流す」
そう言いながら、
指先に淡い光を灯す。
それが、すっと刃へ吸い込まれていくのが分かった。
(……魔法が、剣に溶けていく)
「剣術と魔法、両方を扱える者は、そう多くない」
どこか照れたように、
シアンは笑う。
「だから騎士団でも、少し変わり種扱いかな」
(……変わり種、どころじゃない気がするけど)
そう思ったけれど、
口には出さなかった。
「それと……せっかくだから、
この世界のことも話しておこうか」
シアンは紅茶を一口飲んでから、続ける。
「この世界には、
光、闇、炎、水、風、土――
六つの魔法属性が存在している」
ひとつひとつ、
私の表情を確かめるように、
シアンは言葉を置く。
「その中でも、光と闇は特別だ」
「光は、この国では皇族しか使えない。
血筋そのものが条件だからね」
(……そんなに、厳しい制限が)
「そして、闇は――」
一瞬、
その視線が私に向いた。
「この国にしか存在しなくて、
ノクス家以外には扱えない」
胸の奥が、ひくりと鳴る。
「光以外の属性にも、
それぞれ家紋を持つ家がある。
炎、水、風、土――
それぞれが、公爵家だ」
「血筋は、魔力の量に直結する。
だから彼らは、血をとても大切にする」
その言葉は静かだったけれど、
確かな重さを持っていた。
(……だから、か)
私が引き取られた理由が、
少しずつ形を持って見えてくる。
――闇魔法。
――黒髪。
――ノクス家。
(私が特別だから、じゃない)
(管理する必要があるから……?)
胸の奥が、少しだけ沈んだ。
それでも私は、
何も言わずに頷いた。
分かっているふりをするのは、
昔から得意だ。
(血が外に流出しないように、だよね)
その考えが浮かんで、
ほんの少し、気持ちが凹む。
けれど、
それを悟られるのは嫌で、
私は曖昧に微笑んだ。
「この先はね」
私の不安を読み取ったかのように、
シアンは話題を切り替えるように言った。
「父上が、先生をつけてくれる。
歴史学、魔法学、それから実践も」
「ノクス家は、
どうしても狙われやすいからね」
そう言って、
苦笑した。
「……大変そう」
ぽつりと呟くと、
横から元気な声が飛んでくる。
「でも安心して!」
横でシアン兄さまの話を静かに聞いていたリウスが、身を乗り出した。
「父上は、
苦手なことを無理やり押し付けたりしないよ」
「やりたいことがあるなら、ちゃんと言った方がいい。
もちろん、やりたくないこともね」
その言葉は、
胸の奥の不安をすっと消してくれるくらい、優しかった。
(……やりたいこと)
考えたことも、なかった。
生きること。
逃げること。
食べること。
それ以外を考える余裕なんて、
なかったから。
私は、カップの中の紅茶を見つめる。
(私が……やりたいことって、なんだろう)
答えは、まだ見えない。
けれど、
そうやって考える時間が
与えられていること自体が、
少しだけ、不思議で。
あたたかかった。




