黒髪の魔法使いⅢ
部屋の扉が、静かに閉まった。
カチリ、と控えめな音。
それだけで、この部屋にいるのが、私ひとりになったのだと分かる。
しんとした静けさが、部屋いっぱいに広がる。
(……静か)
さっきまで、あれだけ人に囲まれていたのに。
メイドたちの足音も、アンナの声も、
もう聞こえない。
私はしばらくその場に立ったまま動けなかった。
紫と白を基調にした部屋は、
月の光を受けて、昼間よりも落ち着いた色に見える。
柔らかな光を放つランプ。
磨き上げられた床。
壁際に並ぶ、煌びやかな家具。
(……全部、私のため、なんだよね)
そう考えた途端、胸の奥がむずっとした。
部屋の中央に置かれたベッドに、ゆっくりと近づく。
近くで見ると、思っていたよりもずっと大きい。
そっと腰を下ろすと、
沈み込む感触が、今まで知っているどんな寝床とも違った。
冷たい地面。
薄い布。
夜露の染みた背中。
それらが遠い記憶みたいに思える。
(……ここに、いていいのかな)
ぽつりと、そんな考えが浮かぶ。
昨日までの私は、
居場所を「与えられる」存在じゃなかった。
邪魔にならないように。
目立たないように。
そうやって、生きてきた。
それなのに、
養子。
家族。
妹。
頭の中で、その言葉がくるくると回る。
(信じていいの?)
無表情の奥で、見守ってくれているようなアルノー様の目。
ヴァレリウスの笑顔。
優しかった。
確かに、優しかった。
でも、もし。
もしこれが、一時的なものだったら?
もし、期待してしまったあとで、
「やっぱり違った」と言われたら?
胸の奥が、きゅっと縮む。
私は、ベッドの上に横になった。
大きすぎる。
両手を伸ばしても、端に届かない。
一人分なのに、
余白がありすぎて、落ち着かない。
(……眠れない)
天井を見つめる。
知らない模様。
知らない高さ。
知らない部屋。
考えないようにしようとするほど、
考えが次々に浮かんでくる。
黒髪のこと。
闇魔法のこと。
血族、という言葉。
(私は、何者なんだろう)
分からないことばかりだ。
布団をぎゅっと掴む。
柔らかくて、あたたかい。
それが、少しだけ怖かった。
(……でも)
今日、あたたかいご飯を食べた。
怒られなかった。
追い出されなかった。
「これからは毎日食べられるよ」
ヴァレリウスの声が、ふと蘇る。
……今日だけは。
今日だけは、信じてみてもいいのかもしれない。
そっと、自分の頬をつねる。
ちょっと痛い。
……夢じゃ、ないんだ。
そう思ったところで、
まぶたが少し重くなった。
考えごとが、途切れ途切れになる。
天井の模様が、ぼやける。
(明日になったら……また、考えよう)




