黒髪の魔法使いⅠ
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
稀代の魔法が見られるのは、 今だけですよ!」
私の呼び声に、通りを行き交っていた人々が一斉に足を止める。
その視線がこちらに集まった瞬間、逃すものかと私は軽く指を鳴らした。
――次の瞬間、何もない空中からひらひらと花弁が舞い落ちる。
「おお……」
小さなどよめきが起こる。
間を置かず、もう一度指を鳴らした。
パチン、と軽い音。
闇が一瞬指先で弾ける。
手のひらに、真紅のバラが一輪現れる。
それを最前列で目を輝かせていた少女に差し出すと、
彼女は一瞬きょとんとしてから頬を染め、
宝物を扱うみたいに両手で受け取った。
「わあっ……!」
その声に、周囲が一気に沸く。
私はその空気を逃さず、次の仕掛けへ移った。
少女の手の中のバラにそっと手をかざす。
すると花芯の奥――
小さな闇の揺らぎから、蝶がふわりと浮かび上がった。
数匹の蝶が、少女のまわりをくるくると一周する。
そして私は、再度指先を軽く鳴らした。
パチン、という音と同時に、
蝶たちは闇に溶けるように消える。
少女の手の中には、元のままのバラだけが残っていた。
「……消えた?」
ざわめきが走る。
私はにっこりと微笑む。
「ご安心を。ちゃんと返しましたよ」
そう言って視線を上げると、
少女の肩から現れた蝶たちが次々と空へと舞い上がっていった。
一拍の沈黙。
次の瞬間、歓声が弾ける。
その熱が最高潮に達したところで
私はとどめとばかりにローブの袖口から白い鳩を飛ばし、
貴族の真似事のように裾をつまんで深く一礼した。
「ご鑑賞ありがとうございました!観覧料はそちらの箱へお願いしまーす♡」
手のひらで示すと
箱の中にチャリン、チャリンと硬貨が落ちていく音が重なる。
――これで、数日は生き延びられる。
しばらくして人の輪がほどけると、
私は箱を抱えて素早く路地裏へと身を滑り込ませた。
箱はきちんと空間にしまった。
盗っ人に目をつけられる前に、今夜の寝床へ。
私は週に一度、こうして金を稼いで生きている。
頻繁にやって目をつけられないよう、場所は少しずつ変えているが。
やはり帝都の中心部は稼ぎが違う。
明日は朝一番でパンを買おう。
それから図書館で、昨日の続きの本を読む。
そんなことを考えながらボロ布に身を包み、冷たい地面に横になる。
本来なら孤児院で暮らしていてもおかしくない年頃だ。
けれど、そこには行けない理由がある。
私がいつも深くローブを被っているのもそのせいだ。
理由はひとつ―
私が呪われた黒髪だから。
このローブを脱いだ瞬間、人々の目は好奇と恐怖に変わる。
最悪の場合、実験体として捕らえられてもおかしくないほど、
この髪色は希少で、忌まわしい。
私の名前はエレノワール。
二年前、とある屋敷から追い出された家なき子だ。
それでも私はこうして生きている。
――空間から物を出し入れできる、この不思議な力のおかげで。
「食べられる薬草の本……ここか」
表紙を確かめながら、重たい図鑑を一冊引き抜き机のある場所へ向かう。
稼ぎがあったとしても、一週間分の食料を買うのは正直かなり厳しい。
だから私は図鑑で見た野草を摘んで食べることも多かった。
――おかげで、野生で食べられる植物にはずいぶん詳しくなった。
(へぇ、この花解熱にも効くんだ)
こうした知識は、私の生活には欠かせない。
薬は私にとって贅沢品なのだから。
ここは帝都の中心部から少し離れた、古びた図書館だ。
国の管理下ではあるものの、新しい図書館が中心部に建ってからはほとんど人が寄りつかない。
そのおかげでボロ布のような服を着た私でも、
咎められることなく本を読んでいられる。
雨風を凌げて、静かで、 時間を潰せる。
ここは、私にとって家のような場所だった。
ページをぱらぱらとめくっていると、ふと視界に高級そうなローブが入る。
(珍しい……あんな上等な布。 どこかの貴族様?
……いや、こんな場所に来るわけないか)
私だけでなく、周囲の視線も自然とその人物に集まっていた。
本人は気づいていないのか、気にしていないのか、
淡々と本棚を眺めている。
魔術関連の書架だ。
「……ちっ。 古いから来てみたが、ここにも無いか」
小さな舌打ち。
一番近くにいた私の耳にだけ、 その呟きが届いた。
どうやら、何かの古書を探していたらしい。
そのまま踵を返した瞬間、ガタリと数人が椅子を立つ音がした。
――まずい。
本を読む気などなく、人が寄り付かないここをたまり場にしているゴロツキ達だ。
ニヤニヤと笑みを浮かべている。
標的は、 あのローブの少年。
(体格の良い大人が数人で一人の子供を襲うなんて……!)
私は咄嗟に椅子を蹴り、駆け出した。
少年の腕を掴み、引き寄せる。
「走って!」
「は? おい――」
状況を察したのか、少年もすぐに走り出す。
背後から荒い足音が迫ってくる。
路地へ逃げ込むが、大人と子供の脚力差は歴然だった。
次の角を曲がろうとした瞬間、
背後から熱気が迫る。
(……炎?)
振り返る間もなく、行き止まりに追い詰められた。
「その格好、貴族様だろ。 金目の物を置いていけ」
「さもなきゃ、分かってるよな」
数人の男が、ナイフを手ににじり寄ってくる。
(……ここまで、なのかな)
恐怖で足がすくみ、私は思わずしゃがみ込んだ。
その前に、少年が一歩踏み出す。
「見た目だけで判断するとは、随分と浅はかだな」
低く告げた瞬間、
少年の周囲から、 紫色の炎が流れるように立ち上った。
炎は意思を持つかのように男達へまとわりつく。
「なんだこれは!? 俺の炎が……!」
男が放った火は、紫の炎に喰われるように消えていく。
叫び声を残し、男達は我先にと逃げ去っていく。
私はただ、呆然とその光景を見つめていた。
――見たことのない炎の色。
これは一体どんな属性なのだろう。
「往来の前でこれを使うわけにはいかなかった。 助かった」
そう言って少年は私に手を差し出した。
震える手でそれを掴むと、軽々と引き上げられる。
「……ありがとう。 助けてくれて。
あんな魔法、初めて見たから……びっくりして」
「ああ。 少し特別な炎属性だ」
淡々とした口調。
どこか引っかかるものを感じつつも、私は頷いた。
(貴族様なら、特別な力があっても……おかしくない、よね)
躊躇いながら私は名乗った。
「私はエレノワール。あなたの名前は――」
その瞬間、路地に強い風が吹き抜けた。
行き止まりで渦を巻いた風が、私のフードを容赦なく後ろへ押し上げる。
――はらり。
露わになった黒髪に、
少年の目が大きく見開かれた。
「あ……」
反射的にフードを引き戻す。
そして、彼の横をすり抜けるように駆け出した。
見られてしまった。
この、呪われた黒髪を。
「おい、待て!!」
背後から声が飛ぶ。
それでも、止まれなかった。
貴族に見られた。 それだけで、十分すぎるほど最悪だ。
売られるかもしれない。 観賞用に閉じ込められるかもしれない。
路地裏は私の庭だ。
足音は次第に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
森へ続く小道を走りながら、私は袖で溢れる涙を乱暴に拭った。
――この髪の色さえ、違っていたら。
身分が違っても、
彼は私を助けてくれた。
きっと友達になれたかもしれないのに。
日が沈み、街に夜が降りる。
――そろそろ、稼ぎ時だ。
私の物を出し入れする魔法は、
闇のような空間から、直接物を取り出す性質を持っている。
中に入れた食べ物は腐らない。
生き物ですら、入れた時のまま留まっている。
まるで、時間そのものが止まっているみたいに。
便利ではあるけれど、
日中に使えば嫌でも目立つ。
そもそも、 自分でも属性が分からない魔法だ。
だから――
披露するのは、夜だけと決めていた。
いつものようにローブを翻し、
魔術と謳って花や小動物を取り出す。
観衆の視線は、すぐに私へと集まった。
歓声が上がる。――が、不意にそのざわめきが糸を断たれたように静まった。
私は違和感を覚え、ゆっくりと振り返る。
(……なに?)
胸が嫌な予感にざわつく。
(憲兵?)
時折、私の芸を怪しいと睨んで追い回す憲兵がいる。
見つかったならさっさと逃げるだけだ。
そう思い道具をまとめようとした、その時だった。
人の輪を割るように、二人の人物が立っていた。
――親子だろう。
そして、二人とも、
黒髪だった。
どよめきがはっきりと広がる。
ただし、私とは決定的に違う。
黒を基調としたひと目で高価と分かる衣装。
整った顔立ちと、隠しきれない強いオーラ。
――貴族。それも身分がそうとう高い。
初めて見る、自分以外の黒髪。
逃げようとしていた足が思わず止まった。
2人の視線は、まっすぐに私を捉えている。
「なぁ、お前エレノワールだよな!」
子供の方が、 そう呼んだ。
(……え?)
知らない。
私にこんな知り合いはいない。
困惑する間もなく、
その少年はつかつかと近づいてきて、私の腕を掴んだ。
そして耳元で囁く。
「あの日、 一緒に路地裏に逃げたの覚えてるか」
――心臓が跳ねる。
「……!?どうして、私だって……」
「さっき、闇魔法を使っただろ」
少年は小さく息を吐く。
「同じ属性を使う者同士は、感知しやすいんだ」
背筋が、ひやりと冷えた。
(私が使っていたのは闇魔法だったの...?)
気づけば親であろう男が、私の目の前に立っていた。
「……ついてこい」
有無を言わせぬ視線だった。
それだけ言い残し、踵を返す。
「父上は言葉が足りないんだ」
少年が少し困ったように笑う。
「大丈夫、話がしたいだけだ。
君も気になるだろ。――同じ黒髪なんだから」
そう言って、私の手を引く。
未だどよめく観衆の間を、二人と進んでいく。
人々は自然と道を開けた。
黒髪に怯えているのか。
それとも、身分の違いにひれ伏しているのか。
私は、ただ力なく引かれるまま歩く。
あまりに多くのことが一度に起こりすぎて
頭が、まったく追いついていなかった。




