23対25
「俺たちの方が強いと証明したかった。」
靴の底を丁寧に指でなぞりながら、蒼井つばさは静かにそう言った。
体育館の床には、まだ熱が残っている。転がったバレーボール。スニーカーの摩擦音、審判の笛の余韻、観客の声の残響。
スコアボードには、23対25。県高校総体決勝。俺たちは負けた。数字はもう動かない。
勝敗を分けた一点が、いまだ心の奥で跳ねていた。
「最後の最後、1回立て直すことも出来たんじゃない?」
俺、伊村そうたは、ボールバッグを肩にかけながら言った。
汗はもう乾いているのに、喉だけが渇いていた。
つばさは答えない。視線は、まだ自分の靴のつま先に落ちたままだ。
あいつはいつもそうだった。
言葉より先に行動で示すタイプ。あまり普段から喋るタイプでは無い。感情を表に出すのが下手で、でも、誰よりもチームのことを考えていた。
最終セット。
23対24のあと一点取られたらおしまい。
ラリーが続き、会場全体が息を呑んだ瞬間。
あのとき、つばさは、明らかに無理な体勢からストレートを打ち込んだ。
相手ブロックの指先に当たって、つばさの後ろへ。
それで試合が終わった。
歓声が割れ、コートの向こう側では優勝チームが抱き合っていた。
俺たちは、立ち尽くすしかなかった。
「意地張ったね。」
苦笑混じりに俺は言った。
負け惜しみでも、責めるつもりでもなかった。
ただ、聞いてみたかった。なぜあんな打ち方をしたのか。
あれほど冷静なつばさが、あんな“衝動的なプレー”を選んだ理由を。
つばさは、ゆっくりと顔を上げた。
目の奥には、いつもの静けさとは違う熱があった。
「俺たちの方が強いと証明したかった。」
それから、少しだけ息を詰まらせるように続けた。
「プライドとかではなく、お前のトスで、おれは強くなれるって相手に思い知らせたかった。」
その言葉に、俺の視界は歪んだ。
コートの片隅では、後輩たちも泣きながら荷物をまとめている。
顧問が淡々と「おつかれ」と言い、マネージャーが記録用紙を片付けている。
部活という空間の終わりは、いつも静かに訪れる。
試合の熱気と現実の温度差が、やけに冷たく感じた。
つばさは、シューズを袋にしまうと、天井を見上げた。
「本当に終わったんだな。」
ぽつりとこぼしたその言葉に、返す言葉が見つからなかった。
悔しさが胸の奥に居座ったまま、どこにも行けずにいた。
「そうた。」
つばさが俺の名前を呼ぶ。
「お前とバレーができて楽しかった」
それだけ言うと、何も続けなかった。
だけど、その一言がすべてを包んでいた。
勝ち負けの先にあったもの、証明したかった“強さ”の形が、少しだけ見えた気がした。
帰り道。
夕暮れの風が、汗の塩を少しだけ冷たくした。
自販機の前で、つばさがスポーツドリンクを二本買う。片方を投げられて、受け取るときに手が少し震えた。
缶を開ける音が、やけに静かな空に響く。
部活の終わりって、もっと劇的なものだと思っていた。でも実際は、泣き叫ばず、ただ日常に戻っていく。それが逆に、やけに現実的で、やけに寂しかった。
つばさは、歩きながらふと呟いた。
「高校バレーは終わったけどけど、まだお前とバレーがしたい。」
その声は独り言のようで、俺には届くか届かないかの距離だった。
だけど確かに、同じ気持ちを抱いていた。
悔しさの奥に、小さな熱が残っていた。
それはもう、勝ち負けのためだけのものじゃなかった。
卒業までの数ヶ月、俺たちは何度も体育館に戻った。
大会は終わっているのに、誰も止めなかった。
冬の体育館は冷たく、吐く息が白い。
それでも、ボールを打つ音だけは、夏の頃と変わらず響いていた。
汗をかくたび、あの日の一点が遠くなる気がした。
けれど、それを完全に忘れることはなかった。
あの一点があったからこそ、今の俺たちがある
そんな確信が、徐々に形を持ちはじめていた。
春。
卒業式の日。
コートの脇に置かれた古いボールに、つばさがマジックで書いた。
「俺たちの方が強い。」
その筆跡を見て、俺は少し笑った。
「まだ言うんだな。」
「これからも言うよ。」
短いやり取りのあと、風が吹いて体育館のドアが揺れた。
白い光が差し込み、埃がきらめく。
俺はその光の中で思った。
“証明したかった”というあの言葉は、終わりの合図なんかじゃない。
むしろ始まりだった。
あの日失った一点を、いつか取り返すために、
俺たちはきっとまたボールを追い続ける。
たとえ場所が変わっても。
たとえ仲間が変わっても。
俺たちは、まだこの悔しさの続きを生きている。
そして次のコートでも、きっと同じ言葉を口にするだろう。
「俺たちの方が、強い。」




