Day 1
夕暮れのグラウンドから、白球の音が響く。
教室の窓ガラスが夕焼けに染まり始めた放課後、窓際の席で、遥は一人ノートを広げていた。
「伊澄さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、教室の入り口に男の子が立っていた。
黒のアンダーシャツに、野球部のユニフォームズボン。クラスメートの緋本脩也は、濡れた髪をかき上げながら自分の机に向かい、引き出しからノートを取り出すと遥に視線を移した。
「……まだ残ってたんだ」
「うん、ちょっと勉強が追いつかなくて」
そう答えると、脩也は控えめに微笑みながら、遥の席へ近づく。
「俺も。英語が全然ダメなんだよね。……いつもこの時間まで残ってるの?」
「たまにね。……野球部の練習、ここからよく見えるよ。緋本くんの声も時々聞こえる」
「声小さいと怒られるからさ。喉が枯れそう」
脩也はそう言って、グラウンドに視線を移すと、窓辺に手を添えた。外ではナイター照明がぽつぽつと灯り始め、その光に照らされた横顔を思わず見つめてしまう。
脩也とは、2年生になって初めて同じクラスになった。この学校の野球部は全国でも有名で、夏の甲子園の常連校。その中でも1年生から遊撃手としてレギュラー入りしていた脩也の噂は、遥の耳まで届いていた。
それだけではなく、細身の高身長に、切れ長の二重。学年でも1位2位を争うほどの眉目秀麗な顔立ちは、入学当時から学校中の女子からの羨望の的だった。
けれど本人はあまり気にしていないのか、同じクラスになってからというもの、野球部員に囲まれているところしか見たことがない。
2年生になって1か月が経つけれど、これが多分、初めての会話だった。
「……あいつら、まだ練習してるな」
グラウンドの端に、まだ白いユニフォーム姿が二人残っていた。恐らく一年生だろう。その様子を眺めながら、脩也は目元をわずかに細める。
その優しげな横顔を見て――そりゃ女子が騒ぐのも当然だ、と遥は心の中で確信した。
「何時くらいに帰るの?」
不意に脩也の視線がこちらに向き、さっきまで見つめていたのを悟られた気がして、遥の胸が跳ねた。
「家は近いし、下校時間になったら帰るかな」
そう答えると、彼は小さく「そっか」と呟いた。
少し間を置いて、「気をつけてな」と言い残し、教室の外へ向かっていく。
遥はノートに視線を戻し、ペンを握り直した。
もうこのまま帰るんだろう――そう思った、その時。
「あのさ」
不意に声がして顔を上げると、脩也がドアに手をかけたまま、こちらを振り返っていた。
「また残る日があるなら……一緒に勉強してもいい?」
耳に入った言葉を理解するのに、少し時間がかかった。自分に向けられたものだと気づいて、ようやく小さく頷き返す。
「……うん」
脩也は少し微笑んだ後、そのまま何事もなかったかのように教室を出て行った。
静かになった教室で、私はノートに視線を戻す。
けれど教科書の内容は頭に入らず、残りの時間はただ、ぼんやりとページを眺めるだけだった。