第52話 もう一つの記録
別の荷物を探ると、もっと詳細な記録が見つかった。
ノートパソコンだ。
バッテリーは死んでいるが、翔太のモバイルバッテリーで起動できた。
デスクトップには、wordファイルが一つ。
『祢古町における自然淘汰について』
著者は、生物学者らしい。
文章は、科学的で冷静だった。
観察記録:祢古町の生態系
この町では、人類の新たな進化が起きている。 いや、進化というより「選別」と呼ぶべきか。
・変化できる個体(約90%) → 猫型知的生命体への移行 → 個体意識の消失と引き換えに、集合意識への参加 → 永続的な幸福感の獲得
・変化できない個体(約10%) → 強い自我を持つ者 → 個体性への執着が強い者→ 名前、経歴、業績への固執
後者は、前者の精神的・物理的な糧となる。 これは残酷に見えるが、自然界の摂理である。 草食動物が肉食動物に捕食されるように。
ただし、ここでの「捕食」は特殊である。 物理的な肉体だけでなく、精神エネルギーも摂取される。 特に、強い個性を持つ者のエネルギーは「美味」らしい。
私も、どうやら後者に分類されるようだ。 博士号、論文、研究実績... これらへの執着が、私を人間に留めている。
皮肉なものだ。 知性と個性が、ここでは死刑宣告となる。
明日、満月。 「月の民」が動く日。 私の番が来る。
せめて、科学者として、最後まで冷静に観察したい。 死の瞬間まで、記録を残したい。
それが、私の存在証明だから。
追記: もし、これを読む者がいたら。 逃げろ。 個を捨てろ。 でなければ、美味しく食べられるだけだ。
ファイルの最終更新日時を見る。
3週間前。
彼も、もういない。
冷静に自分の死を受け入れた科学者。
それもまた、一つの選択。
でも、翔太にはできない。
最後まで、あがきたい。
無意味でも、無駄でも。




