表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/55

第4話 静寂と予兆

配信を終了した瞬間、部屋の空気が変わった。


さっきまでPCファンの唸りと自分の声で満ちていた空間が、突如として真空のような静寂に包まれる。いや、静寂というより、音が「吸い取られた」ような感覚。耳の奥で、ジーンという耳鳴りだけが響いている。


翔太は椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。


モニターには、YouTubeの管理画面が表示されている。今終えたばかりの配信のアーカイブが、自動的に処理されていく。再生回数:1,523回。もう既に数字が伸び始めている。高評価:89%。珍しく高い数値だ。


しかし、翔太の意識はそこにない。


「...なんだったんだ、あれは」


独り言が、部屋の静寂に吸い込まれる。声が妙に遠く感じる。まるで、自分が自分でないような違和感。


立ち上がろうとして、膝に力が入らないことに気づく。緊張の糸が切れたのか、それとも本能的な恐怖か。両手を見ると、微かに震えている。


冷蔵庫に向かう。取っ手を掴む手が、汗で滑る。中から缶コーヒーを取り出す。プルタブを開ける音が、やけに大きく響く。


ゴクリ。


冷たい液体が喉を通る感触。ようやく、現実感が戻ってくる。


スマートフォンを手に取る。Twitterを開く。

「#祢古町」で検索。


新着ツイートが次々と表示される。だが、妙だ。3時間前、2時間前のツイートはあるのに、ここ1時間以内の投稿が一つもない。まるで、急に誰もがこの話題を避け始めたかのように。


5chに戻る。例のスレッドを再度開こうとする。


『このスレッドは見つかりませんでした』


目を疑う。Part.27、確かに存在していたはずのスレッドが消えている。dat落ちにしては早すぎる。まだ983レスで、1000にも達していなかったのに。


検索をかけ直す。すると、新しいスレッドが立っていた。


【緊急】祢古町には行くな【最後の警告】


書き込み時刻を見る。わずか5分前。自分が配信を終了した直後だ。


震える指でスレッドをタップする。


しかし。


『ページが見つかりません』


リロード。同じエラー。もう一度リロード。やはり同じ。


「...消された?」


背筋に冷たいものが走る。誰かが、意図的に情報を消している。


ふと、窓の外を見る。深夜3時過ぎの東京。いつもなら、遠くに首都高の光の帯が見え、どこかで救急車のサイレンが聞こえるはずだ。


だが、今夜は違う。


異様なまでの静けさ。まるで、世界から音が消えたかのよう。いや、よく耳を澄ますと、微かに何かが聞こえる。


カリ...カリ...


爪で何かを引っ掻くような音。どこから聞こえるのか分からない。壁の中?天井裏?それとも...


翔太は息を殺して耳を澄ます。


音は止んだ。


深呼吸をして、キッチンに立つ。流しには、3日分の食器が積み重なっている。水を出して、機械的に洗い始める。日常的な作業で、昂ぶった神経を鎮めようとする。


皿を洗いながら、窓ガラスに映る自分の姿を見る。やつれた顔。落ちくぼんだ目。28歳には見えない。35歳と言われても通用するだろう。


その時、窓ガラスに映る背景に、何かが動いた。


振り返る。


何もない。見慣れた狭い部屋があるだけ。積み上げられた機材の箱。脱ぎ散らかした服。壁のポスター。


もう一度、窓を見る。


対面のアパートの屋根に、黒い影がある。猫だ。街灯の光を受けて、シルエットだけが浮かび上がっている。


猫は、じっとこちらを見ている。正確には、翔太のいる部屋を見上げている。微動だにしない。彫刻のように。


翔太は、なぜか視線を外せなくなる。


1分。2分。3分。


お互いに、じっと見つめ合う。


猫の目が、街灯の光を反射してか、微かに光っているように見える。緑色の、リン光のような。


瞬きをした瞬間、猫の姿は消えていた。


まるで、最初からそこには何もなかったかのように。


「...疲れてんだ、俺は」


翔太は自分に言い聞かせる。頭を振って、皿洗いを再開する。


だが、手が震えて皿を取り落としそうになる。


今日の配信で得た収入を計算する。スパチャ5万円。広告収入は多めに見積もっても3,000円程度。合計53,000円。悪くない。これで来月の家賃は払える。


しかし、それも祢古町から生きて帰れたらの話だ。


ベッドに入る。スマートフォンを充電器に繋ぎ、アラームを午前7時にセット。明日は長い一日になる。


目を閉じる。


しかし、眠れない。


目を閉じると、あの『にゃ』の文字列が瞼の裏に浮かぶ。規則正しく、機械的に繰り返される二文字。常連視聴者たちの名前と共に。


彼らに、何が起きたのか。


なぜ、全員が同じタイミングで、同じ行動を取ったのか。


そして、なぜ『にゃ』なのか。


猫。


祢古町。


@ruins_seekerの最後の投稿。


『この町のネコ、やっぱりおかしい』


点と点が繋がりそうで、繋がらない。もどかしい。


時計を見る。午前4時を回っていた。外はまだ真っ暗だ。


ふと、5chをもう一度確認したくなる。スマートフォンを手に取り、ブラウザを開く。


オカルト板にアクセス。そして、目を疑った。


新しいスレッドが立っている。


【祝】ゴーストハンター、祢古町へ【餌確定】


書き込み時刻は、たった今。


恐る恐る、スレッドを開く。今度はエラーにならない。


1 名前:餌 ◆neko 投稿日:2024/03/24(日) 04:13:22.13 ID:???

ついに決まったな 上物の餌が来る

個性:強 自我:強 承認欲求:最大 完璧だ


2 名前:名無し 投稿日:2024/03/24(日) 04:13:45.99 ID:???

何年ぶりだ?ここまで上質なのは


3 名前:古参 投稿日:2024/03/24(日) 04:14:02.34 ID:???

20万人の想念を背負った餌か 月の民も喜ぶだろう


翔太の手から、スマートフォンが滑り落ちる。


ベッドの上に落ちたそれを、拾い上げる気力もない。


彼らは知っていた。


自分が行くことを。


いや、もしかしたら、仕組まれていたのかもしれない。


最初から、自分は選ばれていたのかもしれない。


「餌」として。


窓の外で、猫の鳴き声がした。


一匹ではない。


複数の、いや、無数の猫たちの声が、夜の闇に響き渡る。


まるで、歓迎の歌のように。


翔太は、布団を頭まで被った。


明日が来なければいいのに。


そう思いながら、いつの間にか意識が闇に落ちていく。


そして、夢を見た。


古い町を歩いている。建物の窓という窓から、無数の猫がこちらを見ている。いや、よく見ると、猫の顔をした人間だった。四つ足で立ち、尻尾を揺らしながら、じっとこちらを見つめている。


どこからか、囁き声が聞こえる。


猫の鳴き声のような、でも確かに人の言葉。


「ふじわら...しょうた...」


自分の名前を呼ばれて、翔太は立ち止まる。


振り返ると、そこには鏡があった。


鏡に映る自分の顔を見て、翔太は声にならない悲鳴を上げた。


瞳孔が、縦長になっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ