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第35話 プロジェクト・マインドブリッジ

翔太は、ケースの底にあった、一番分厚いファイルを手にした。表紙には、タイプライターでこう印字されている。


根朽町ねくまち土着性精神変容現象に関する観察記録』

『担当:防衛省技術研究本部 第四研究所』


「……防衛省?」


彼の知らない、この町のもう一つの名前。そして、国家機関の名称。彼の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。


ページをめくる。そこには、衝撃的な内容が記されていた。


『昭和32年、当研究所が秘密裏に実施した「プロジェクト・マインドブリッジ」は、人間の意識を他個体へ転移させる実験である。当初、被験体として限定的な数の野良猫と、志願した協力者を使用し、根朽町の隔離施設にて実験を開始した。しかし、予期せぬ要因により、転移した意識が「感染性」を持つことが判明。制御不能となり、町全体が汚染された……』


「……実験の、失敗……」


やはり、陰謀論は本当だったのか。この悲劇は、国が引き起こした人災だった。 その事実に憤りを覚えると同時に、翔太は配信者としての興奮を禁じ得なかった。これは国家を揺るがす大スキャンダルだ。このファイルさえ持ち帰れば、彼は一躍、社会派ジャーナリストとしても名を馳せることができる。


だが、彼がファイルの最後のページをめくった時、その浅はかな期待は、根底から覆された。 ファイルの裏表紙に、一枚のメモが走り書きで貼り付けられていたのだ。おそらく、吉田美智子教諭の筆跡だろう。


『これは、嘘。 「実験」など、最初から行われていない。あれは、私たちが作り出したカバーストーリー。 私たちは、ここで「何か」を見つけてしまった。 音無神社の地下で、眠っていた「何か」を、偶然に目覚めさせてしまった。 それは、病気でも、ウイルスの類でもない。 もっと古い、土地に根差した「何か」。 それは、汚染じゃない。侵略でもない。 「回帰」だ。 人間が、人間になる前の、もっと原初の姿へと還っていく現象。 私たちに、止める術はない』


翔太の脳が、理解を拒絶した。 実験の失敗ではない。人災ですらない。 これは、人類の手に負えない、古代から続く、抗いようのない自然現象。 そして、政府はそれを隠蔽するために、「実験の失敗」という、まだ理解可能な物語をでっち上げたのだ。


ジュラルミンケースの中には、もうひとつ古いノートが残されていた。


表紙には『観察日記 - 変化できない個体について』と記されている。


開くと、そこには冷徹な観察記録が並んでいた。


対象A(前田・35歳男性) 変化の兆候なし。72時間経過。 他の変化者から「異臭がする」と避けられる。 孤立。パニック状態。


対象B(高橋・42歳女性)変化の兆候なし。96時間経過。 変化を懇願するも不可能。 「仲間に入れて」と泣き叫ぶ。


対象C(渡辺・29歳男性) 変化の兆候なし。120時間経過。 諦観。自ら地下処理場へ。 「せめて役に立ちたい」との言葉。


共通点:


強い自我を持つ


個性への執着が強い


名前へのこだわり


結論: 変化は「解放」である。 できない者は「不適合」である。 不適合者は、月の民の栄養源として再利用される。 これも、生態系の一部である。


翔太は、ノートを取り落とした。


自分も、「不適合者」。


強い自我、個性への執着、名前へのこだわり。


全て当てはまる。


だから、変化できない。


だから、「栄養源」になる。

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