第29話 教室の記録
翔太は、校舎に入った。
廊下は薄暗く、埃っぽい。だが、やはりどこか生活感が残っている。
最初の教室を覗く。
黒板に、文字が残されていた。
子供の字で、たどたどしく書かれている。
3月19日 さいごのじゅぎょう
きょうで、がっこうはおわりです。 でも、みんなえがおです。 もう、べんきょうしなくていいから。 もう、なまえもおぼえなくていいから。
「わたし」も「ぼく」もいりません。 みんなでひとつ。 しあわせ。
せんせいも、もうにんげんじゃありません。 でも、やさしいままです。 みんなのおかあさんみたい。
あしたから、みんなでいっしょ。 ずっと、いっしょ。
さようなら、にんげんのじぶん。 こんにちは、あたらしいじぶん。
翔太は、黒板の前で立ち尽くした。
子供たちは、強制されたわけではない。
自ら進んで、個を捨てた。
そして、それを喜んでいる。
大人が作った競争社会から、解放されたことを。
次の教室、また次の教室。
どこも同じような痕跡が残されていた。
最後の人間としての記録。
そして、新しい存在への期待。
恐怖や悲しみは、どこにもない。
あるのは、希望と解放感だけ。
【古いUSBメモリを発見】
理科室の机の引き出しから、翔太は古いUSBメモリを見つけた。 ケースには、手書きのラベル。
『2024.3.19 最終授業記録 - 吉田』
「黒板と同じ日だな、吉田...養護教諭か?」
恐る恐る、自分のスマホに接続する。 (Type-C変換アダプタを持ってきていて良かった)
中には、いくつかの動画ファイルと音声ファイル。 そして、大量のテキストファイル。
【動画ファイル①:最後の授業】
震える指で、最初の動画を再生する。 画質は荒いが、教室の様子が映っている。
日付は2024年3月19日。 黒板の前に立つ、30代くらいの女性教師。
『はい、みんな。今日で...今日で最後の授業です』
教師の声は震えている。 カメラが教室全体を映すと、翔太は息を呑んだ。
生徒たちの半分以上が、机ではなく床に座っている。 四つん這いで。
『先生も...もう限界です。でも、記録は残します』
教師が黒板に向かう。 チョークを持つ手が、震えている。
『人間として、最後の授業をします。 題名は...「私たちはなぜ猫になるのか」』
生徒の一人が、手を挙げた。 いや、前足を挙げた。
『せんせー、もう言葉いらないよー』
子供の声だが、語尾が猫の鳴き声に近い。
『そうね...でも、誰かに伝えなきゃ』
教師は、黒板に図を描き始める。 人間から猫への、変化の過程。
そして、カメラに向かって振り返った。 その瞳孔は、すでに縦長。
『これを見ている人へ。 逃げてください。 でも...もし逃げられなかったら... せめて、楽に変われますように』
動画は、そこで途切れていた。
【音声ファイル:ある生徒の独白】
次は、音声ファイル。
ファイル名は『しゅうへい_さいごのきろく.mp3』
再生すると、子供の声が聞こえてきた。 栗田周平だ。
『えっと...ろくおんのしかた、これでいいのかな』
背景に、ザワザワという音。 他の子供たちの声も混じっている。
『きょうで、がっこうはおわりです。 でも、ぼくたちはずっといっしょ。 だって、もうすぐみんな、おなじになるから』
一瞬の沈黙。
『ねえ、しってる? ねこになるのって、すごくきもちいいんだよ。 あたまのなかが、ふわふわして... なまえとか、べんきょうとか、ぜんぶわすれちゃう』
別の子供の声が割り込む。
『しゅうへいくん、はやくこっちきてー』
『いっしょにあそぼー』
『にゃー』
周平の声が、少し寂しそうに響く。
『...うん、いまいく。 でも、さいごにこれだけ。 ゴーストハンターさんへ。 きみも、きっとここにくる。 だって、ぼくたちがよんでるから』
そして、最後の言葉。
『がんばって、にげて。 でも、にげられなかったら... いっしょに、あそぼうね』
録音は、子供たちの笑い声と、猫の鳴き声が混じり合う不協和音で終わった。
【テキストファイル:変化の段階的記録】
最後に、詳細な観察記録のテキストファイル。 吉田教諭が、生徒たちの変化を記録したものらしい。
3月10日 - 第一段階
・瞳孔の変形開始(縦長へ)
・聴覚の鋭敏化
・肉食への嗜好変化
3月12日 - 第二段階
・四つ足歩行への移行
・言語能力の部分的喪失
・集団行動の同期
3月15日 - 第三段階
・身体的変化の開始(産毛、骨格)
・名前の忘却
・人間としての記憶の断片化
3月18日 - 第四段階
・完全な変容
・新しい集合意識への統合
・もはや「個」は存在しない
そして、最後のページ。
3月19日
私も第三段階に入りました。
もう、自分の下の名前が思い出せません。
吉田...なんだっけ?
でも、怖くないです。
むしろ、ほっとしています。
もうすぐ、この苦しい「個人」という檻から解放される。
最後に、これを読む人へ。
特に、配信者の方へ。
あなたたちは「個性」で勝負していますね。
「自分らしさ」を売りにして。
でも、それって疲れませんか?
ここでは、そんなもの必要ありません。
みんな同じ。みんな一緒。
それの、どこが悪いんでしょう?
私は、もう疲れました。
だから、喜んで猫になります。
にゃあ。
翔太は、USBメモリをスマホから引き抜いた。 手が、止まらずに震えている。
これは...これは...
「本物だ」
ヤラセでも、作り話でもない。 この町で、本当に起きたこと。 そして、今も起き続けていること。




