第20話 偽りの夜明け
午前4時。
翔太の意識は、半分眠りに落ちかけていた。
極度の緊張と疲労が、限界を超えている。目を開けているのも辛い。
その時、窓の外が、わずかに明るくなった。
夜明けか?
翔太は、かすかな希望を抱いて窓を見た。
東の空が、ほんのりと白み始めている。
もうすぐ朝だ。
朝になれば、「彼ら」も大人しくなるだろう。
昼間の内に、この町から脱出すればいい。
車に戻って、来た道を逆走する。
もう、配信なんてどうでもいい。命あっての物種だ。
そう考えていた時、異変に気づいた。
二階からの物音が、ピタリと止んだ。
廊下を歩き回っていた足音も、聞こえなくなった。
窓の外の緑の光も、一つ、また一つと消えていく。
まるで、夜明けを恐れて、闇に帰っていくかのように。
静寂が、旅館を包む。
今度こそ、本物の静寂。
恐怖に満ちた静寂ではなく、平和な朝の静寂。
翔太は、安堵の溜息をついた。
生き延びた。
この恐怖の夜を、生き延びたのだ。
立ち上がり、伸びをする。
全身の関節が、ゴキゴキと音を立てる。同じ姿勢で座り続けていたせいだ。
とりあえず、外の様子を確認しよう。
タンスを動かし、部屋を出る。
廊下は、薄明かりに包まれていた。
窓から差し込む朝日が、埃の粒子を輝かせている。
平和な光景だ。
昨夜の恐怖が、嘘のように思える。
翔太は、足取りも軽く、旅館の玄関に向かった。
外に出て、朝の空気を吸いたい。
そして、一刻も早くこの町を離れたい。
玄関の引き戸を開ける。
ガラガラ...
外に一歩踏み出して、翔太は凍りついた。
確かに、空は明るくなっている。
だが、それは朝日のせいではなかった。
空が、異様な色をしている。
紫がかった赤。血のような、毒々しい色。
そして、太陽はどこにもない。
代わりに、空には巨大な「目」が浮かんでいた。
縦長の瞳孔を持つ、巨大な猫の目。
それが、じっと下界を見下ろしている。
町全体を、その視界に収めている。
これは、夜明けではない。
別の何かの始まりだ。
「月の民」
その言葉が、翔太の脳裏に浮かんだ。
伝承にある、月から来た存在。
人間を猫に変える者たち。
それが、ついに姿を現したのか。
翔太は、旅館に逃げ戻ろうとした。
だが、振り返ると、そこには...
「彼ら」が立っていた。
人間と猫の中間の姿をした、無数の存在たち。
皆、期待に満ちた表情で、翔太を見つめている。
まるで、長い間待ち望んでいた瞬間が、ついに訪れたかのように。
逃げ場は、ない。




