第10話 最初の視線
小道は、想像以上に整備されていた。雑草は生えているものの、人が通れる程度には開けている。いや、人というより、何か別のものが定期的に通っているような。
足元を見ると、やはり奇妙な足跡が続いている。四つ足の跡と、二本足の跡が、不規則に混じり合っている。まるで、歩きながら姿を変えているかのような痕跡。
森は深い。両側から覆い被さる木々が、昼間だというのに薄暗い緑のトンネルを作っている。葉の隙間から差し込む陽光が、まだらな模様を地面に描く。
静寂。
自分の足音と、衣擦れの音だけが聞こえる。時折、遠くで枝が折れる音がするが、振り返っても何もいない。
いや、いる。
確実に、何かがいる。
翔太は歩きながら、その視線を感じていた。最初は気のせいだと思った。廃墟探索につきものの、自己暗示的な恐怖だと。
だが、10分ほど歩いたところで、確信に変わった。
見られている。
それも、一つや二つではない。森全体から、無数の視線が注がれている。木々の間から、茂みの奥から、頭上の枝から。
立ち止まる。
「...誰かいるのか!」
声が、森に吸い込まれていく。エコーもない。まるで、音を吸収する見えない壁があるかのように。
返事はない。
だが、視線は消えない。むしろ、立ち止まったことで、より濃密になったような気がする。
観察されている。品定めされている。まるで、動物園の動物になったような感覚。
いや、違う。
動物園なら、観察者は人間だ。だが、ここでは...
翔太はカメラを構え、ズームを最大にして森の奥を撮影する。もしかしたら、何か写るかもしれない。
ファインダーを覗きながら、ゆっくりとパンする。
木、木、木、茂み、木...
何もいない。
いや、待て。
今、何か動いた。
巻き戻して確認する。再生速度を落として、コマ送りで見る。
そこに写っていたのは...
「目...?」
木の幹の陰に、一瞬だけ光る何かが写り込んでいた。緑色の、リン光のような輝き。猫の目に似ているが、位置が高すぎる。地上2メートル以上。
もう一度、同じ場所にカメラを向ける。
もう、何もいない。
「気のせい...だよな」
自分に言い聞かせるが、震え声になってしまう。
歩みを再開する。もう少しで町に着くはずだ。廃墟の町並みが見えれば、少しは安心できる。建物があれば、隠れる場所もある。この森よりは、ましだ。
5分後。
木々が開け、視界が広がった。
小さな丘の上に出たらしい。眼下に、町が見える。
「...着いた」
祢古町。
谷間に作られた、小さな町。中央を川が流れ、その両岸に家々が並んでいる。遠目にも、廃墟と化しているのが分かる。屋根は崩れ、壁は蔦に覆われている。
だが、完全な廃墟とは、何かが違う。
煙だ。
数カ所から、細い煙が立ち上っている。煙突から、あるいは庭先から。まるで、誰かが生活しているかのように。
「人が...いる?」
期待と不安が入り混じる。生存者がいるなら、話が聞けるかもしれない。失踪者たちの行方も分かるかもしれない。
だが、3週間前から34人が失踪している町に、普通の住民がいるとは思えない。
丘を下り始める。足元は急勾配で、慎重に歩を進める。
その時、背後で大きな音がした。
ガサガサガサッ!
振り返る。
茂みが大きく揺れている。何か大きなものが、勢いよく逃げていったような。
「!」
心臓が跳ね上がる。
だが、それ以上の追跡はない。静寂が戻る。
ただ、あの視線だけは消えない。むしろ、町に近づくにつれて、増えているような気さえする。