第1話 虚飾の王国
[LIVE] 深夜の心霊スポット凸!今日のターゲットは廃精神病院!
視聴者数:1,834人 高評価:58%
「はいはいはーい!どうも、お前らのゴーストハンターです!」
東京都某区、築42年の鉄筋コンクリート造アパートの一室。6畳一間に無理やり押し込められた撮影機材が、青白いLEDの光を放っている。藤原翔太(28)は、その狭い空間を「スタジオ」と呼んでいた。いや、呼ばざるを得なかった。ここが、彼の最後の城だったから。
壁一面に貼られた吸音材は、ところどころ剥がれかけ、その下から黄ばんだ壁紙が顔を覗かせている。部屋の隅には、コンビニ弁当の空き容器が無造作に積み上げられ、饐えた臭いを放っていた。換気扇は3ヶ月前から故障したままだ。修理を呼ぶ金もない。
「今日もね、みんなのために身体張っていくんで、よろしく!」
カメラに向かって満面の笑みを作る。頬の筋肉が引き攣り、こめかみに汗が滲む。リングライトが作り出す完璧な照明の下でも、隈と疲労は隠しきれない。画面の中の自分は、まるで蝋人形のように見えた。生気のない、作り物めいた笑顔。
モニターの端に表示される視聴者数を、彼は強迫的にチェックする。1,834人。また減った。5分前は1,900人を超えていたのに。右下のコメント欄が、散発的に流れていく。
『また廃病院?』
誰かが呟く。アイコンは初期設定のまま。捨てアカウントか、それとも興味を失いかけた常連か。
『この前も似たようなの見た』
今度は見覚えのあるユーザー名。3年前からの古参ファンだ。その「失望」が、翔太の胃を鉛のように重くする。
『ゴースト、最近ネタ切れじゃね?』
舌打ちが、思わず漏れそうになる。奥歯を噛み締め、笑顔を保つ。カメラは全てを記録している。一瞬の隙も見せられない。
「マンネリ?」
声が震えそうになるのを必死で抑える。喉の奥が、砂を飲み込んだようにざらつく。
「なわけねーだろ!心霊スポットっつったら廃病院が王道なんだよ。分かってねえな、お前ら」
言葉の端に、隠しきれない苛立ちが滲む。視聴者数が、みるみる減っていく。1,792人。1,768人。1,750人。血が逆流するような焦燥感。
慌てて表情を和らげる。眉間の皺を伸ばし、口角を無理やり上げる。
「ごめんごめん!ちょっと気合入りすぎちゃった」
自嘲的な笑い。それすらも計算された演技だ。
「でもさ、俺だってお前らに最高の恐怖を届けるために、必死なんだって」
ここで決め手のアイテムを見せる。彼にとっての相棒、Sony α6400。
「見てくれよ、このα6400。中古で8万もしたんだぜ。ボーナス全部つぎ込んで買ったんだ」
嘘だ。ボーナスなど、とうの昔に縁がない。実際は、消費者金融で借りた金で購入した。利息は月2万円。返済期限は来月に迫っている。
指先でボディを愛おしそうに撫でる。少なくとも、この仕草に嘘はない。このカメラだけが、彼の「ゴーストハンター」としてのアイデンティティを支えている唯一の証だった。
部屋の温度は28度。エアコンは電気代節約のため切ってある。じっとりとした汗が、Tシャツに染みを作る。それでも彼は「完璧な配信者」を演じ続ける。
ふと、意識が過去に飛ぶ。
2年前、チャンネル登録者25万人達成パーティの夜。六本木の高級クラブ。シャンパンタワーが煌めき、同業者たちが彼を「天才」と持て囃した。月収は43万円。タワーマンションの最上階を見学し、来月には契約するつもりだった。
「ゴーストは違うよな」
当時、100万人登録者を持つ大物配信者が肩を叩いた。
「お前には『何か』がある。俺らとは違う、特別な何かが」
あの言葉を、翔太は今でも覚えている。特別。そう、自分は特別な存在のはずだった。
現実に引き戻される。
アパートの隣室から、壁を叩く音が聞こえる。深夜2時。苦情だろう。防音材も完璧ではない。
今の月収は、18万円がいいところだ。広告収入は激減し、スパチャも月に数千円程度。家賃8万5千円、食費3万円、通信費1万5千円、カメラのローン返済2万円、消費者金融への返済3万円。
手元に残る金は、ほぼない。
預金通帳の残高は、14万8千円。先月より3万円減った。このペースでいけば、半年後には破産する。
でも、諦められない。諦めたら、藤原翔太という人間が消えてしまう。「ゴーストハンター」だけが、彼の存在証明なのだから。
コメント欄が、また動く。
『つまんね』
『他の配信見るわ』
視聴者数:1,683人。
歯を食いしばる。笑顔を、保つ。カメラは残酷に全てを映し出す。落ちぶれた道化師の、必死の演技を。