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7 陽奈の本音

 陽奈は私に背を向け、屋上の端まで歩いていくと、転落防止の柵に手をかけて空を見上げた。


「私が大友君のことを好きだっていうのはね、あれは嘘」


 目の前にそびえる入道雲に呼びかけるように、言い放つ。


「本当はね、ただ、奪ってやろうと思ってたんだ。あの人を、あなたから」

「どうして……」


 問いかける声がかすれた。胸の鼓動が速くなる。理由はなんとなくわかる。わかるけど、信じたくなかった。だって彼女は私を恐れるほかの連中とは違う。陽奈は……お日様のような笑顔を持つこの人だけは、違うと思っていたから。


 でも、彼女が背を向けたまま投げかけてくる冷たい声に、そんな私の甘い願望は打ち砕かれる。


「どうしってって、わかるでしょ」


 冷笑するように息を吐き出してから陽奈はつづけた。


「あんたを傷つけてやりたかったのよ。あんたのことは前から気に食わなかった。あんたは陰気で怒りっぽくて、神経質で偏屈で……。そんなあんたがいるだけで、教室の空気が悪くなる。ほかのみんなが嫌な気持ちになる。許せなかった。あんたが存在すること自体が。だからあんたを、罰してやろうと思ったんだ。大友君をあなたから奪ってね。それがあなたにとって一番つらいことだとわかってた。あなたたちは仲が良かったから」

「……」


 彼女の発する言葉の一つ一つが、私の頬を打ち、額を打った。私は彼女を見ていることができず、罪人のようにうなだれる。意外な発言ではない。全部、今までさんざん誰かから言われてきたことだ。でも、今、改めて陽奈の口から言われると、それは鞭でたたかれるように痛かった。


「じゃあ、ぜんぶ、嘘だったんだ……」


 嘘だったんだ。私に向けてくれたお日様のような笑顔も。屋上で話してくれたことも。消えてしまっていい人なんていないと言ってくれた、あの言葉も。鏡子のようだと思えたことも。


「嘘だよ」


 陽奈はいとも簡単に言ってのけた。おむすびの具を伝えるくらいに、あっけなく。


「あれは、あなたが私に心を許すよう仕向けるための、嘘」

「なんでそこまで。ただ、蓮を奪うのなら、私と仲良くなる必要、ないでしょ」

「それだけじゃ、ちっとも面白くない」


 陽奈から、また冷笑のような、自嘲のような息が漏れる。


「私と仲良くなったほうが、あんたがより苦しむ。よりつらい思いをする。あなたにとって唯一のよりどころだった彼を奪われて、その相手を憎むこともできないんだから」


 私は両手を握り締める。

 そうだよ。と、心の中でさけぶ。そうだよ。蓮は私にとってただ一人の友達であり、心許せる人だったんだよ。家族と同じ……いや、家族以上だった。あなたもそんな人になってもらえるんじゃないかって、思った。それを、あなたは、ただ奪うためだけに利用したというの。ただ、私を傷つけるために、彼と恋人のふりをしたというの。私に偽の優しさを与えたというの。彼は……私は……。


 怒りが胸の内で沸騰する。そう、感じたときには足が陽奈に向かって動いていた。


「ちょっと、あんた。何様よ」


 陽奈の背後に立った私は、ほとんど叫ぶようにそう言って、彼女の肩をつかんだ。


「私が気に食わないのはわかるけど、なんで人の心までもてあそぶの。蓮は、本当に……」


 先日のデートでの蓮の表情を思い出す。自分には決して向けられない視線。飲み下したコーヒーと一緒に胸に広がった、みじめな思い。


「本当に、あんたのことを好きなんだよ。人を傷つけるために、そこまでする? あんた、人気があるからって、自分が何をしても許されると思ってるの? この外道」


 激しい言葉を投げつけても、陽奈は振り向かなかった。相変わらずこちらに背を向け空を見上げたまま、気の抜けたような声で返事をする。


「自分が何をしても許されるなんて、思ってないよ。あなたからなら奪ってもいいって、思っただけ」

「ふざけないでよ」

「大友君を傷つけるつもりはなかった。ただ、あなたになら、何をしてもいいと思った。あなたは悪人だと、思っていたから」

「ああ、私は悪人さ。だけどね……」


 脳裏を、いろんな景色が色鮮やかに駆け抜けた。今まで私が生きてきた中で見てきたシーン。子供時代の家での暗い日々。鏡子が連れ出してくれた海の風景。彼女の笑顔と涙。蓮と過ごした時間。彼が私に与えてくれた優しさ。中学生の時に犯した過ち。空港で見送ったときに鏡子が見せた、悲しい表情。教室の窓の向こうに見える、雨雲の孤独な色……。


「悪人にだって、心はあるんだよ。悪人も、泣くんだよ」


 陽奈の肩にのせた手に、力を込める。


「誰からもちやほやされてるあんたに、この哀しみが分かるか!」

「……わかるよ」

「わかるもんか。こっち向け!」


 そして力いっぱい、柵から引きはがすように陽奈の体を引いた。


 陽奈がようやく、私にぶつかるようにしてこちらを向く。その表情を見た瞬間、私は思わず息をのんでしまった。

 彼女の頬を、ぽろぽろと、幾粒もの涙が流れ落ちていたから。



     〇



「わかるよ。……正確には、知ったんだ」


 濡れた瞳でしばらく私を見つめてから、陽奈は静かに言った。


「あの日……屋上で一緒にアイスを食べた日。あなたの涙を見て」


 潮騒が耳の奥で鳴り、潮の香りと海の風景が脳裏によみがえる。風になびくセミロングの髪。鏡子の面影……。そこに、陽奈の声が重なる。


「あの時、はじめて私、後悔したの。この人の中にも抱えきれないような哀しみがある。それを私が、土足で踏みにじってはいけないと。だから……」


 陽奈はそして目を伏せる。そのまつ毛の下からまたぽろぽろと、涙の粒が零れ落ちる。


「だから、大友君をあなたに返さなきゃいけないと、思ったの」


 ようやく私は納得する。それで、あの日陽奈はあえて映画館に蓮をよこしたのか。私と彼のよりを戻させるために。ふたりでデートさせるために。


 冗談じゃない。


 真相を知っても、やはり私の心は晴れなかった。冗談じゃない。同情なんかいらないよ。彼の心が私にないとわかっているのに、お情けでくっつけてもらって、私が喜ぶとでも思ったのかい。


「そんなことで私は救われない」


 私は押し殺した声で告げる。


「蓮は、陽奈のことが好きなんだよ。彼の気持ちはどうなるの」

「……知らない」

「自分の気が済めばそれでいいていうの。自分勝手だよ。あんたも、悪人だね。ちょっと憧れてたのに。お日様みたいな笑顔の下はとんだ暗闇だ」

「そうだよ。私ホントは、みんなが思うほどいい子じゃないの」


 陽奈の口から、また自嘲が漏れた。


「光だけの人間なんかいない。影だけの人間がいないのと同じようにね」


 ああ、それは嘘じゃなかったんだ。


 私は思い出す。一緒にアイスを食べた時、彼女が発した言葉だ。あれは、私に向けてじゃなく、自分のことだったのか。


「消えていい人間なんか、いないよ」


 あの時陽奈が言ってくれたもうひとつの言葉が、自然と口からこぼれた。


「救われた気がしたんだ。昔、大事な人がかけてくれたのと同じ言葉だったから」


 それもまた、ひょっとしたら、彼女が自分に向けた言葉だったのかもしれない。

 陽奈もまた、悩んでいるのだろう。自分の欠点に苦しみ、それでも必死に、そんな自分を肯定しようともがいている。


 この高嶺の花の学園のアイドルが、急に身近なものに思えた。初めて彼女に対して抱く。羨望でも憧れでもなく、親近感を。私に対しては嘘だったかもしれないけど、彼女の言葉は確かに、私の救いにもなったから。


「ひとつ、聞いていい」


 さっきまでよりずっと気さくに、私は問う。


「なに?」

「陽奈は、本当は、蓮のことどう思ってるの? 好きなの?」

「さっきも言ったでしょ」


 陽奈は怒ったように眉を寄せると、歯を食いしばってそっぽを向いた。その頬がたちまち紅くなる。


「好きじゃない。全然、好きじゃないよ」 


 嘘つき。


 その表情を見て私はすぐに悟る。この子はまた自分を偽った。全然感情を隠せてないよ。本当は、この子は、蓮のことが大好きなんだ。


「それで、あんたはいいの?」

「もう、いいんだ」


 陽奈の口からまた、自嘲が漏れる。


「どうせ私、もうすぐ引っ越すし」


 そして、この話はもうおしまい、とばかりに彼女は足を前に出し、私の脇を通り過ぎた。


「え。いつ? どこへ?」


 振り向いた私に返ってきた答えは、そっけなかった。


「教えるわけないじゃん」


 そして陽奈は屋上から去った。

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