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4 しつこい女

 あのあと蓮が陽奈に告白したのかどうかはわからない。でも、たぶんうまくいったのだろう。あの日以来、学校でふたりが一緒にいることが多くなったから。目に見えていちゃいちゃしているわけではない。学生らしく節度と距離感を保って接しているように見える。でも、私にはわかってしまう。蓮が陽奈に向ける親愛のまなざし。話している時の口調にのる、親しみ。醸し出す空気の甘さ。それはあのデートの時と同じ……いや、それ以上の結びつきを感じさせずにはおかなかった。


 もう、どうでもいいことだ。


 蓮や陽奈の姿が視界に入るたびに背を向けながら、私は自分に言い聞かせる。私はもう、彼女たちに関わるつもりはない。おりしも季節は梅雨へと突入していた。いい季節だ。雨音に耳を傾けていると心が落ち着く。この雨滴の音に紛れるように、雨のしずくに溶けるように、私はふたりの前から消えようと思う。



「ねえねえ。陽奈ってさ、最近大友君といい感じじゃない」


 六月のある日の放課後、忘れ物をとりに教室にもどったところ、そんな会話が聞こえて思わず入り口の前で立ち止まってしまった。中を覗き見ると、いつものように黒板前で陽奈を囲んで数人の女子たちがワイワイおしゃべりしている。


「えー。そう見える?」

「ひょっとして、付き合ってるの?」

「フフフ……。まあ、ね」


 女子たちが一斉に目と口を開いて、小躍りするようにピョンピョンと跳ねた。


「キャー。陽奈ったら、すみにおけないねえ」

「おめでとー」

「いいなぁ、もてる女は。告白されたの?」

「ううん。告白はしてもされてもいないんだけど」

「事実婚ってやつだ。きゃー」


 仲間に囲まれ祝福される陽奈。その顔には梅雨に似合わぬ明るい笑みが咲いている。


 鞄を抱く手に力が入った。胸がチクチクと痛む。

 私は一歩後ずさる。この空気の中に入っていきたくない。


「あ、まりちゃんだ」


 踵を返そうとした瞬間、陽奈が私に気づいた。彼女は遠慮がちに、でもはちきれんばかりの笑みはそのままで私に手を振ってくれた。


 返事もせず、手を振り返しもせずに、私は彼女に背を向ける。周囲の生徒や先生が眉をひそめるのも構わずに、脱兎のごとくにその場から走り去った。



     〇



 梅雨の日々を、私は徹底的に蓮と陽奈を避けてすごした。


 嫌いになったわけではない。だけど、一緒にいたくないのだ。仲睦まじい二人の様子を目の当たりにするたびに、気持ちが深く沈んでしまう。ふたりが一緒にいなくても、陽奈の笑顔を見るだけでそこに蓮との楽しい逢瀬を想像してしまい、私の心は傷ついた。


 私はこれ以上傷つきたくなかった。だから、できるだけふたりと接しないようにしていたのに……。


「まりちゃん。おはよー」

「まりちゃん、何読んでるの?」

「まりちゃん。テスト難しかったね」

「まりちゃん。また明日」


 どんなに邪険に扱っても、避けても、陽奈はいつの間にか私の視界にいて、私に声をかけることをやめようとはしなかった。そのたびに私は、猫に追われるねずみのごとく逃げまどわなければならなかった。


 どうして。

 冷や汗を流して駆けながら、私は心の中で彼女に恨み言を投げつける。


 どうしてあんたは私を追いかけるのさ。私はもう用済みだろ。ほおっておいてくれよ。私はあんたのせいで失恋して、今しんどいんだよ。空気読めよ。馬鹿なの? それとも意地悪? 盛大に負けた女をいたぶって何が楽しいんだよ。


 一方で分かってもいた。私の失恋は陽奈が悪いわけじゃないことも。陽奈が悪意で私を追いかけているのではないことも。彼女はそんな人間ではない。彼女は善人だということは、あのデートの一日だけでも十分に理解できた。彼女には私を傷つけるつもりはない。わかっている。わかっているけど……。


「でもさ……」


 この日も、陽奈のあいさつにそっぽをむいて屋上に逃げ込んだ私は、ほっと息をついて空を見上げた。降り注ぐ強い日差しから目を守るように手をかざす。いつの間にか梅雨は明け、もう夏が到来していた。どこまでも青い空には大きな入道雲がそびえていた。


「でもさ。だったら私は、この気持ちをどうすりゃいいのさ」

 まるでそこに陽奈がいるかのように入道雲に語り掛ける。

「あんたが悪くないなら……何が悪くて、私は……こんなことになってるのさ」


 弱々しく座り込んで、お弁当の包みを解く。姿を現したのは、博物館にでも飾ってありそうな重厚な漆塗りの弁当箱。しかしふたを開けると、中に入っているのは色とりどりの惣菜ではなく、一枚の千円札だった。


「そうだよ。それだって、わかってるんだ」


 せせら笑うように風にゆれる千円札を見おろしながら、私はため息をつく。

 悪いのは誰かじゃなくて私自身だ。私は、誰からも愛されていない。愛されようともしていない。

 こんな私を、このお弁当がよく表している。豪勢に着飾って見た目はいいけど、中身は空っぽ。


 でも、何処かでそんな自分を諦めきれずにもいる。空っぽの弁当箱の中に入っているのはお札だけだと知っていても、それでも毎日何かしらを期待して開けてしまう。今日こそは、入っているのではないだろうかと。そんなこと、ないってわかっているのに。


「……バカみたい」


 千円札をひっつかんでポケットに入れ、弁当箱のふたを閉める。教室に戻ろうと立ち上がりかけて、しかし私は腰を抜かしたようにまた座り込んだ。


 屋上の入り口に、陽奈がひとり、立っていた。


「みつけた」

 そう言って彼女はにっこり笑い、小さな袋を顔の横に掲げてみせた。

「一緒に食べよ。食後のデザート」



     〇



 ついに逃げ場を失った私は、おとなしく陽奈の隣に座っていることにした。今度は人一人分くらいの間を開けて。それに陽奈の持ってきたそれが懐かしくて、私の逃走する意欲がくじかれてしまった。


 それは、何の変哲もないアイスバーだった。コンビニやスーパーでよく売られている、大きさと安さが取り柄のアイスバー。水色のパッケージに入っているそれは、おそらくソーダ味。私が一番好きな……もっと正確に言えば唯一食べたことのあるものだ。


「何。食べ物で私を釣ろうってわけ?」

「うん。単純かな。まりちゃんの口にはあわないかもしれないけど……」


 私の意地悪な問いかけに、陽奈は何の屈託もなく笑みを浮かべて答える。


「夏はこれが一番」

「やめてよ……。アイスが、溶けちゃうよ……」


 彼女から顔を背けるようにして、受け取ったアイスのパッケージに視線を落とす。


「なんで、私なんかをかまうのさ」


 語気がはからずも弱くなる。空っぽの弁当箱を見たあとだからかもしれない。ちょっと……ほんのちょっとだけ、ホッとしている自分がいた。一方でそれを認めたくない、かわいくない自分が、投げやりな言葉を、いままでそれを抑えていた蓋をこじ開けて噴出させる。


「迷惑なんだよ。あんたに私なんか必要ないだろ。あんたは何でも持っている。あんたは可愛くて、明るくて人気者で。みんながちやほやしてくれて……」


 私の好きな人からも愛されて。


「それに引き換え私は、無愛想で、陰気で偏屈で。嫉妬深くて臆病で……」


 だから自信がなくて好きな人への気持ちを引っ込めてしまう。こんな私の……。


「こんな私の気持ちを、あんたなんかがわかるもんか」


 最後は叩きつけるように言い放った。言ってしまってから後悔が襲ってくる。こんな事、言うつもりはなかった。言ってもしょうがないことなのに……。


 私は恐る恐る陽奈の顔をうかがう。


 彼女は怒ってはいなかった。悲しんでも、笑ってもいない。ただ目を細くして、まぶしそうに入道雲を見上げながら、アイスバーを一口かじる。


「ごめんね。まりちゃんの気持ちも考えずに……。私よく言われるんだ。空気読めないって。天然なのかって。あなたにまとわりつくのは私の身勝手だよね。でも、まりちゃんがあまりに影ばかりをまとおうとしているから、どうしても追いかけちゃうんだ。このままだと、あなたが闇にのまれて消えてなくなっちゃいそうで、怖くて」


「あんたには関係ないことだよ。いいじゃない。私なんか、消えてなくなったって」

「よくないよ!」


 キッパリとそう言って、陽奈は私を見つめた。その大きな目に、たちまち涙がたまっていく。


「消えていい人間なんて、いないよ」


 風が吹きすぎ、涙の粒が瞬きながら散る。陽奈のセミロングの髪がふわりとなびく。


 私は呆然と、その様を眺める。


(あれ、この感じ……)


 記憶にある。どこかで体験した気がする。

 しかしそれがいつのどんなことだったか思い出すことができず、私もまた、アイスバーを一口かじる。


 その瞬間だった。

 サイダーの清涼感のある風味といっしょに、ある光景が脳裏に広がった。

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