7 佐倉家に伝わる二つの神器
その時、教室が突然真っ白な眩しい光で満たされ、雷の轟音が二回連続で鳴り響いた。光が収まった時に鏡太朗が見たのは、グノーシスが立ったまま白目を剥いて全身から煙を出して気絶している姿と、ゴーレムが手にしていた虫取り網が真っ黒に焦げて煙を上げている様子だった。ゴーレムは目のない顔で灰になった虫取り網を見ると、それを床に投げ捨てた。
「これは雷玉だわ! ライちゃん?」
さくらの表情が笑顔で輝いた。
「さくら! 大丈夫か?」
いつの間にかライちゃんがさくらの頭上を浮遊しており、さくらを案じて言葉をかけた。
「ライちゃん? え? ライちゃんが飛んでる! 喋ってる!」
鏡太朗は目の前の状況を脳内で処理し切れずに、混乱して叫んだ。
魔女がライちゃんに声をかけた。
「おやぁ? お前は雷獣の子だねぇ……。雷獣族は、アタシたち魔女族の集落の近くに生息しているから、お前たち雷獣族の姿は昔からよく見かけていたよ。
雷獣の子よ、なぜ魔界の魔物が人間の味方をするんだい?」
「わしは人間なんて大嫌いじゃ! わしは人間の味方なんかじゃない! わしはさくらの味方なんじゃああああああああああっ!」
ライちゃんは叫びながら、左右それぞれの前足の前にソフトボールくらいの大きさの丸い雷の塊を出現させた。
「食らええええっ! 雷玉じゃああああああああっ!」
ライちゃんは魔女を狙って左右それぞれの前足から雷玉を発射したが、魔女を囲む箒の中の二本が宙に浮くと、穂で雷玉を受け止めて魔女を守った。穂に当たった雷玉は砕けて箒を伝い、上の柄の先端と下の穂先から天井と床に向かって放出された。
「雷玉の乱れ打ちじゃあああああああああっ!」
ライちゃんは天井や床、壁に雷玉を次々と放ち、教室の中が閃光と轟音と黒煙でいっぱいになった。
「さくら、今のうちじゃ! 逃げるぞ!」
ライちゃんとさくら、鏡太朗は教室から飛び出し、廊下を一目散に逃げた。玄関を抜けると、アメリカ製の左ハンドルの大きな黒いSUV車が停まっており、運転席に座っているもみじが鏡太朗たちに向かって叫んだ。
「早く乗れ!」
鏡太朗とさくらとライちゃんが後部座席に乗り込むと、車は発進して学校から遠ざかっていった。
「ハッ! 私としたことが気絶をしていた! 魔女エカテリーナ様、たいへん申し訳ございません。今すぐ奴らを捕まえてまいります! ゴーレム、お前も来い!」
「ハイ、ゴ主人様!」
意識が戻ったグノーシスはゴーレムを従えて、慌てて鏡太朗たちの後を追おうとした。
「誰がそんなことを命じた?」
魔女は怪訝な顔でグノーシスに言った。
「は? ですが、奴らをこのまま見過ごす訳には……」
「あんな奴らはどうでもいい。放っておけ。それより、早く人間どもの魂を集めてこい! この建物の中にいる人間全ての魂を集めて来るんだ」
魔女は冷たい笑みを浮かべながらグノーシスに命じ、グノーシスは背筋を伸ばして恭しく魔女に一礼した。
「ははっ! かしこまりました。魔女エカテリーナ様、すぐに取りかかります」
「全く、とんでもないことをしてくれたもんだ!」
雷鳴轟之神社の本殿で、正座をしてうなだれている鏡太朗とさくらに向かって、もみじが怒鳴っていた。胡坐をかいているもみじの左横では、ライちゃんがふわふわと宙に浮かんでいた。
「もみじさん、ごめんなさい。まさか、あんなことになるとは……」
「おねーちゃん、鏡ちゃんはあたしのためにお札を剥がしたの!」
「違う! お札を剥がしたのは俺のためなんだ! 俺は俺自身のために、呪い玉を封印しようとしてお札を剥がしたんだ。全部、俺一人のせいなんだ!」
もみじはお互いをかばい合う鏡太朗とさくらを見ている内に、冷静さを取り戻した。
「ったく! まあ元々あたしがおめぇにお札の話をしなけりゃ、こんなことにはならなかったんだが……。やっぱ言うんじゃなかったぜ……」
「で、でも、もみじさん、どうして教室で起こったことを知ってるの?」
もみじは右隣に置いていた古びた手鏡を手にすると、不思議そうな顔をしている鏡太朗にそれを見せた。
「これは雷鳴轟之神社に古くから伝わる神器『現世之可我見』と言ってな、雷の神様の力が宿っていて、離れた場所で起こっていることを映し出してくれるんだ。まあ、誰にでも扱えるモンじゃねーけどな。
おめぇにお札のことを話しちまったからな、ずっと後悔してたんだ。それで気になってこれで様子を見てみたら、あの魔女たちが現れて……。あたしが助けに行くんじゃ間に合わないから、ライちゃんに空を飛んで助けに行ってもらったんだ」
「ライちゃん、本当に助かったよ。ありがとう!」
鏡太朗は笑顔をライちゃんに向けると、右手を差し出して握手を求めた。
「痛っ!」
ライちゃんは右前足から米粒のように小さな雷玉を放ち、鏡太朗の右掌に当てた。
「気安くわしに触れようとするな! わしゃ人間が大嫌いなんじゃ!」
ライちゃんは怒りながら、宙を飛んで廊下に出て行った。
「鏡太朗、悪く思わないでくれ。ライちゃんは雷獣という雷を扱う魔物の一族で、名はライカという。ライちゃんは九年半前、魔界で一緒に暮らしていた母を魔物狩りの人間たちに連れ去られたんだ。あたしたちが住むこの世界へな」
もみじの話を聞いた鏡太朗は愕然とした。
「え? そ、そんな……」
「ライちゃんは母を追ったが、この世界との出入口がある場所にたどり着いた時には、すでに出入口が閉じられていた。ライちゃんは、それから何日も出入口が開くのを待ったんだ。そして、さくらがお札を剥がして出入口が開いた時、こちらの世界にやって来た。境遇が似ていることもあり、ライちゃんはあたしとさくらにだけは心を開いてくれているが、人間のことを憎んでいる」
さくらが怒りを露わにして言った。
「ライちゃんのお母さんが今どこにいるのか、手がかりが全然ないの!」
「許せない! 小さい子どもからお母さんを奪うなんて! 俺は絶対にそいつらのことが許せない! それに、その時のライちゃんの気持ちを考えると、悲しくて、悲しくてたまらないよ!」
強い怒りが込み上げた鏡太朗は叫び声を上げ、その頬を涙が伝った。鏡太朗の声が響いた廊下では、壁に背を預けたライカがうなだれていた。
「おねーちゃん、これは!」
「ひでぇ……」
現世之可我見に映し出された光景を見たさくらともみじは、驚きの声を上げた。その隣では、鏡太朗とライカも息を吞んでいた。グラウンドや教室、体育館、部室、廊下、職員室など、学校の至る場所に無数の人形が落ちていた。
「こ、こんなにたくさんの生徒や先生が魂を取られたの? おねーちゃん、みんなの魂を取り返さないと……」
「さくら、俺、どうしても思い出せないんだ。俺たちは魔女の手下が魂を吸い取る現場を目撃したよね? でも……、魂を吸い取られたのって……誰なんだろう?」
「え? あ、あたしもわからない……。本当に一時間で記憶が消えちゃったの?」
鏡太朗とさくらは、魂を吸い取られた同級生の記憶を失ったことに動揺し、もみじはそんな二人の様子を見つめながら、眉を寄せて呟いた。
「これは何とかしないとならねーな……」
現世之可我見から魔女の声が聞こえてきた。
『アタシは、魂を吸い取られた後の人形を見るのが大嫌いでねぇ……。ああ、気色悪いったらありゃしない! おい、人形を全部集めて地中深くに埋めておいで! アタシは美容のためにもう寝るからね。アタシが目を覚ました時、建物の中に人形が残っていたら許さないよ』
『かしこまりました、魔女エカテリーナ様。ゴーレム、行くぞ』
『ハイ、ゴ主人様!』
魔女とグノーシスのやり取りを聞いた鏡太朗は、気が動転して叫び声を上げた。
「わあああああああっ! た、た、たいへんだよ、もみじさん、さくら! 人形が地中深くに埋められたら、みんなが元の姿に戻ると命が危ないよ! ど、どうしよう……?
そ、そうだ、もみじさん! 魔女はこれから寝るって言ったよね。たぶん、その時って帽子を脱ぐと思うんだ。魔女の手下は、魔女の帽子の内側に魂を取り出す呪文が書いてあるって言ってた。その鏡で呪文を見ることはできないの?」
「残念ながら、現世之可我見は場所全体を見ることしかできねーんだ。呪文を読むのは無理だ」
もみじが無念そうに答えると、さくらが何かを決意した表情をもみじに向けた。
「おねーちゃん! だったら、あたしが離魂之術で呪文を見てくる!」
もみじは驚いてさくらの顔を見た。
「ダメだ! 危険過ぎる!」
「大丈夫! 魂の姿のあたしって幽霊と同じだから、きっとあたしの姿は魔女たちには見えないはずだよ!」
さくらは、心配するもみじを安心させようと、屈託のない笑顔を見せた。
「見えないっていう保証はねぇんだ。それに、二十分以内に肉体に戻れなければ、魂は二度と肉体に戻れず、いつまでもこの世を彷徨うことになるんだぞ。あまりにもリスクが大き過ぎる!」
「でも、ほかに方法はないんじゃない?」
さくらが微笑みながらそう言うと、もみじは腕組をしてしばらく考え込んだ。
「うーん……、仕方が……ねぇか。さくら、これだけは約束してくれ。たとえ呪文を見られなくても、危なくなったらすぐに体に戻ること。いいな? あたしは現世之可我見でさくらの状況を見ているからな。さくらが危なくなったら、あたしが真正面から突入する」
「じゃあ、みんなの人形は俺が奪い返すよ!」
力強く言い放った鏡太朗の顔をみんなが一斉に見つめた。もみじは無言で立ち上がると、どこかへ行ってしまった。
「アホーッ! おまえに何ができるんじゃ、ボケーッ! 人間のことなんてどうだっていいんじゃが、さくらともみじのためにわしが人形を取り返してくるわ!」
「だ、だけど……、俺もみんなを助けたいんだ……」
「何もできない奴が偉そうな口を叩くなーっ!」
ライカに罵倒される鏡太朗の目の前に、もみじが紐で括られた細長い木箱を差し出した。
「これを持っていくといい」
「え? これは?」
不思議そうな顔をしている鏡太朗の目の前で、もみじが紐を解いて木箱の蓋を開けると、長さ四十五センチほどの一本の木の棒が入っており、その片側の端には長さ十八センチほどの紙垂と呼ばれるジグザグに切り折られた白い紙がたくさん括りつけられていた。
「これは雷鳴轟之神社に伝わるもう一つの神器『霹靂之大麻』だ。これは雷の神様が雷を材料にしてつくり、あたしたちの先祖に伝えたと言われている。父上は霹靂之大麻と現世之可我見は対の神器だと言っていたが、それについてはあたしにはわからねーけどな」
鏡太朗に向かって語るもみじの後ろから、何かに気づいたさくらが楽しそうに声を上げた。
「あーっ、それ、おねーちゃんがおとーさんから使うのを禁止されてたやつだ! おねーちゃんねー、五歳の時、おとーさんとおかーさんがいない間にそれを勝手に持ち出して、それで遊んで神社の裏に生えてた木を全部折っちゃったんだって!」
「えええええええーっ? この神社の裏の木が全部折れているのって、あの異様な光景って、全部もみじさんがやったことなのおおおおおおおおおおっ?」
鏡太朗が仰天して大声を出すと、もみじは頬を赤らめながらバツが悪そうに言った。
「ま、まあ若気の至りってーやつだな」
もみじは真剣な表情を見せて語り出した。
「この神器はな、先端から雷を出すことができるんだ。問題は、おめぇがこれを使えるかどうかだ。神器には神様の力が宿っているんだが、それを発動させるには使う者の霊力が必要なんだ。車のガソリンエンジンを起動するのに電気を使っているようなものだな。
修行をしていない鏡太朗には、霊力をコントロールして神器を起動させるのは無理だ。おめぇがこの神器を使うためには、強い想いを込めることだ。霊力ってのはな、宇宙で起こるあらゆる事象の背後で作用しているんだ。膨大な霊力が働くと、超常的な現象が起こる。誰かを助けたい、守りたいっていう強い想いに集中すれば、膨大な霊力が働いて神器を使うことができるはずだ。
さくらから聞いていたが、おめぇはさくらを守るために、今まで何度もすげー力を発揮したんだよな? それはな、おめぇの強い想いに膨大な霊力が流れ込んだことで、常人離れした力を発揮できたんだ。
これを持って行き、ライちゃんと一緒に人形を奪い返すんだ。使い方は後で教えてやるが、たぶん練習じゃー強い想いは込められねー。本番で一気に想いを爆発させろ」
「もみじ、わしだけで十分じゃ!」
「ライちゃん、こんな頼りない奴でも何かの役に立つだろう。連れて行ってくれ」
もみじは不服そうなライカを優しい口調で諭した。
「もみじさん、こんな貴重なものを貸してくれるなんて。本当にありがとう!」
鏡太朗は感激しながら、もみじに感謝の気持ちを伝えた。
「大人になったら、ちゃんとレンタル料を払えよ」
「え? お金……とるの?」
鏡太朗は呆気にとられて、もみじに訊き返した。
「あったりめーだろ! 誰がこんなに大事なものをタダで貸すか! よし、学校に向かって車で出発するぞ。学校に着いたら作戦開始だ!」