6 魔法の掃除機と奪われた魂
泣きながら九年半前の出来事を語るさくらの隣では、鏡太朗も涙を流していた。
「あたしね……、よく思うの。おとーさんとおかーさんは、このお札のせいで帰って来られないんじゃないかって。このお札さえ剥がしてしまえば、おとーさんとおかーさんが帰ってくるんじゃないかって……。でも、そんなことできる訳がないよね……」
俯いて嗚咽を漏らしたさくらの目の辺りから、キラキラ輝く大粒の涙が一粒、また一粒と零れ落ちていった。
ベリッ!
何かを剥がす音に驚いたさくらが顔を上げると、呪いのロッカーの前にしゃがみ込んだ鏡太朗がお札を右手に持っていた。
「きょ、鏡ちゃん?」
「か、勘違いするなよ! べ、別にさくらのために剥がしたんじゃないから。こ、これは俺のためなんだ! 呪い玉を封印するために、俺はこのお札が欲しかったんだ」
鏡太朗は顔を赤らめながら立ち上がると、胸ポケットから取り出した呪い玉をお札で包んでポケットの中に戻した。
「鏡ちゃん……」
鏡太朗の優しさを感じたさくらは、涙を流したまま微笑んだ。
「ま、魔女エカテリーナ様、人間界への出入口が開きましたぞ!」
突如として、呪いのロッカーの奥から年配男性のしわがれた声が響き、鏡太朗とさくらは、全身に緊張を走らせて呪いのロッカーを凝視した。ロッカーの奥は、たくさん貼られていたダミーのお札とスチール板が消えて窓のようになっており、その向こう側には暗闇の空間がどこまでも広がっていた。声は空間の奥から聞こえたようだった。
鏡太朗はさくらを背後にかばいながら後退り、ロッカーを睨みながら距離をとった。
今度は、ロッカーの奥の空間から若い女性の声が響いてきた。
「三百年振りに人間界との出入口がある場所に来たら、出入口が閉じられていて途方に暮れたけど、こんなにすぐに開くとは何てツイてるんだろうねぇ。どきな! 一番乗りはアタシだよ!」
少しの間を置いて、見た目が二十代前半の若い女性がロッカーの中から姿を現した。大きなつばのある黒いとんがり帽子をかぶり、長袖の黒いドレスを身にまとった長身ですらりとした体形のその女性は、肌が白く、髪の毛は水色に輝いていた。彫りが深く美しい顔立ちの女性の瞳の色は、右目がエメラルドグリーンで、左目は妖しく輝くルビー色だった。
女性に続き、ロッカーの奥からは、宙に浮いて動き回る箒が十本出現し、女性から一メートルの距離を置いて円形に女性を囲んで直立した。箒の穂は細い枝を束ねた形状で、上を向いている柄の先端は槍先のように尖っており、穂も、柄も、素材の全てが鉄のような金属でできていた。
「ゴーレム、早く進め! お前が邪魔で、魔女エカテリーナ様に置いていかれたではないか!」
再び年配男性のしわがれた声が響いた後、粘土でつくった人形のような巨人が窮屈そうにロッカーを通り抜けて姿を現した。巨人は頭が教室の天井に届きそうなほど背が高く、その頭部には目や口がなく、大きな掌には親指だけが生えており、右手に大きな虫取り網を持っていた。
最後に、身長百五十センチの黄緑色の肌をした白髪の年配男性が出てきた。その男性は、大きな鷲鼻に丸いフレームの小さな眼鏡をかけ、頭には赤いとんがり帽子をかぶり、童話の本に出てくる小人のような緑色の洋服を着ており、両腕には一台の赤い掃除機を抱えていたが、その掃除機には電源コードがついていなかった。
黄緑色の男性が、鏡太朗とさくらに向かって口を開いた。
「ここにいらっしゃる魔女エカテリーナ様の若さと美しさのために、お前たちの魂をいただくぞ」
「お、俺とさくらの魂だって?」
鏡太朗は驚愕して訊き返し、黄緑色の男性は得意げな口調で語り出した。
「魔界の魔女族史上、もっとも美しく、もっとも強力な魔力を持っておられる魔女エカテリーナ様は、人間一人分の魂を食べることで一年間年をとらずにいられるのじゃ。だから三百年に一度人間界に来て、三百人分の人間の魂を集めて魔界に持ち帰り、一年に一人分の魂を三百年間食べ続け、若さと美しさを維持しておられるのじゃ。
私は土の中に棲み、土を自在に操り、四千年もの寿命を持つ『土の妖精』とも呼ばれるノーム族の魔物で、名をグノーシスという。私は魔女エカテリーナ様にお仕えする腹心の部下なのじゃ。
そこにいる生命体のように動く土でできた巨人は、私が魔力で土からつくり出した土人形のゴーレムじゃ。
私はこれからゴーレムとともに、魔女エカテリーナ様のために三百人分の人間の魂を集めなければならぬのじゃ。これがどれだけたいへんな仕事だと思う? さっさと魂をよこすのじゃ!」
「おい! お前!」
背後から魔女に呼びかけられたグノーシスは、顔が真っ青になって震え出した。
「も、申し訳ございません! 決して魔女エカテリーナ様のご命令に不満がある訳では……。お、お願いですから、魔法の箒でお尻を百叩きするお仕置きはしないでください……」
魔女は、怯えるグノーシスに真剣な表情で訊いた。
「お前は誰だ?」
「わ、私は魔女エカテリーナ様にお仕えする腹心の部下グノーシスで……」
「おお、そうだった、そうだった。なんせ二十年も生きていると、忘れっぽくなってな」
破顔してホッとした様子を見せた魔女に向かって、グノーシスが大声を出した。
「魔女エカテリーナ様は三千年以上生きていらっしゃいます! 私は三千年以上お仕えしているのです!」
「おお、そうだった、そうだった。それにしても、しばらく振りに人間界に来てみれば、人間の姿は随分と変わってしまったものだな」
魔女はゴーレムを見上げて言った。グノーシスは右の眉をピクピクさせながら魔女に答えた。
「そ……、それは人間ではなく、私がつくった土人形のゴーレムでございます」
「おお、そうだった、そうだった」
その時教室の戸が開き、二人のジャージ姿の男子生徒が中に入って驚きの声を上げた。
「わっ! な、何? この人たち! それにこのでっかい土人形は何なの?」
「ウメーナコノパイン!」
グノーシスが素早い動きで男子生徒の一人に近づき、呪文を唱えながら掃除機のノズルを向けると、掃除機はウィーンと音を立てて吸引を始め、男子生徒の体内から白い光が滲み出て全身を包み込んだ。掃除機はその光を全て吸い込むと吸引を停止し、光が消えた後には男子生徒の姿は消え、代わりに長さ三十センチほどの布製の男子生徒の人形が床に転がっていた。
グノーシスは振り返ると、ゴーレムに言った。
「ゴーレム、そやつもじゃ!」
「ハイ、ゴ主人様!」
ゴーレムは大昔のロボットのような人工的な声質とイントネーションで答えた直後、目を見開いて固まったように動かないもう一人の男子生徒に歩み寄り、大きな虫取り網を振り下ろした。全身がすっぽりと網の中に捕らえられた男子生徒の体から白い光が滲み出て、体全体を包み込んだ。
「ウメーナコノパイン!」
グノーシスが呪文を唱えながら掃除機のノズルを虫取り網に当てると、網の中の白い光は全て掃除機に吸い取られ、ゴーレムが虫取り網をどけた時には、男子生徒に代わって長さ三十センチほどの布製の男子生徒の人形が床に転がっていた。
グノーシスは得意げな口調で、鏡太朗とさくらに語り始めた。
「ゴーレムが持つ魔法の網で捕らえられた者は体が動かなくなり、魂が光になって体の外に出てくるのじゃ。そして、この魔法の掃除機で魂を吸い取られた者は、肉体が人形に変わり、魂を奪われてから一時間経つと、その者に関する記憶は全ての人間から消えてしまうのじゃ。全ての人間から記憶が消えれば、その者は初めから存在していないのと同じこと。だからその者がいなくなっても、誰一人気にしないのじゃよ。
魔女エカテリーナ様は魔女族史上、最強の魔力を持つと言われており、このような強力な魔法グッズをつくり出す魔力があるのじゃ。ちなみに、魔女エカテリーナ様ご自身が発揮される能力は魔力であられるが、魔法とは呪文や道具で発動する特別な力のことなのじゃ。
そして、この魔法の掃除機で吸い取られた魂を取り出すことができるのは、魔女エカテリーナ様だけじゃ。魔女エカテリーナ様だけが取り出しの呪文を知っておられるのじゃ」
「アタシはそんな呪文知らんぞ」
魔女がきょとんとして言うと、グノーシスは魔女に向かって喚いた。
「魔女エカテリーナ様が呪文をお忘れにならないように、そのお帽子の内側に呪文を書いておられるではありませんかーっ! 三百年前、魔女エカテリーナ様が呪文を思い出すまでに三年かかって、その間にお体が三年分歳をとられたと言って大騒ぎになったではありませんかーっ!」
「おい、お前!」
魔女のドスの効いた声を聞いた瞬間、グノーシスは我に返った。
「はっ! 私としたことが取り乱してしまい、誠に申し訳ございません! 決して魔女エカテリーナ様を批判した訳では……」
「お前は誰だ?」
「わ、私は魔女エカテリーナ様にお仕えするノーム族のグノーシスで……」
「おお、そうだった、そうだった。なんせ十八年も生きていると、忘れっぽくなってな」
魔女は思い出してすっきりしたような表情で答え、グノーシスは再び喚いた。
「魔女エカテリーナ様は三千年以上生きていらっしゃいます! 私は三千年以上お仕えしているのですーっ!」
「おお、そうだった、そうだった。そういえばゴーレム、お前いつの間にか顔が小さくなったな」
魔女は鏡太朗に向かって言った。
「魔女エカテリーナ様、その者は人間です! お前たち、三百人分の人間の魂を集めるのはたいへんなのじゃ! さっさとお前たちの魂をいただくのじゃ」
グノーシスはそう言うと、左手に掃除機本体、右手に掃除機のノズルを持って鏡太朗とさくらに向かって身構えた。ゴーレムも大きな虫取り網を両手で構えた。
鏡太朗はさくらを背後にかばって両腕を広げ、その頬に冷や汗を流していた。さくらは全身を緊張させて、グノーシスとゴーレムの挙動を注視していた。
『ど、そうすりゃいいんだ……? で、でも、さくらだけは絶対に守るんだ!』
「覚悟するのじゃーっ!」
グノーシスは素早い動きでさくらの背後に回り込み、さくらの背中に掃除機のノズルを向けた。ゴーレムは一歩前に踏み出しながら、その長い両腕を使って鏡太朗に虫取り網を振り下ろした。鏡太朗は心の中で絶叫した。
『ダメだああああああっ! 避けられない!』




