3 地図から消された不吉な村
「今日の地理探求の授業は特別授業です。旭川市というまちから、旭川市のPR活動をしている商工会の方に講師として来ていただきました」
鏡太朗とさくらがいる一本樹高等学校の一年一組の教室で、地理担当の先生がこれから始まる特別授業について生徒に説明をしていた。
「旭川市は北海道のほぼ中央にある人口三十万人ほどの地方都市で、動物の姿形だけではなく、生き生きとした行動を展示して大人気になった旭山動物園や、シンプルで洗練されたデザインの旭川家具、とんこつと魚介ダシの醤油味のスープが中太縮れ麺によく絡む旭川ラーメンなどが有名です。
では、講師の方を紹介します。旭川商工会の葬儀屋さんです」
教室の黒板近くの戸が開き、九十歳を超えているように見える和服姿の二人のおばあさんが教室に入ってきた。二人は双子のようにそっくりで、お揃いの黒地に黄色い菊の柄の着物を着ていた。おばあさんの一人が教壇に立った。
「わしは朝死川村焼香会の葬儀屋という者じゃ」
「ん? 葬儀屋さん、旭川市の商工会の方ですよね?」
違和感を感じた先生が、おばあさんに質問した。
「うんにゃ。朝死川村には通夜や葬式をする会社がないからのう、通夜や葬式を執り行うために村民がつくった住民組織が焼香会なのじゃ。ちなみに葬儀屋というのはわしの苗字じゃ」
その時、一人の女子生徒が悲鳴を上げた。
「きゃーっ! 思い出した! 朝死川村って、村に足を踏み入れた旅人が、次の日の朝には必ず死体になって川に浮かぶという呪われた村だわ! 日本中の呪いが集まる場所で、あまりにも不吉な村だから地図から消されたって聞いたわ!」
「ほう、お嬢ちゃん、よく知ってるのう。そうじゃ。その朝死川村じゃ」
生徒たちがざわつき始めた。先生はあきらめずにおばあさんに質問を繰り返した。
「生き生きとした動物の姿を見られる旭山動物園がありますよね?」
「活き活きとした幽霊の姿を見られる朝死川霊園ならあるぞ」
「シンプルで洗練されたデザインの家具の産地として有名ですよね?」
「シンプルで洗練されたデザインの棺桶の産地として、一部のマニアの間では有名じゃぞ。オーダーメイドで、体のサイズと自分のセンスにぴったりの棺桶をつくっているのじゃ。どうじゃ、お前も注文せんか?」
「あ……、旭川ラーメンが有名ですよね……?」
「朝死川村では、突然茶碗が割れる、カラスの死骸が空から降ってくる、玄関を開けたら猫の死骸がある、道に迷って気づくといつの間にか墓の前にいる……、そんな不吉な前兆が当たり前のように起こるのじゃ。それらの現象はこう呼ばれているのじゃよ、『朝死川凶兆』とな」
おばあさんは不気味な薄ら笑いを先生に向けた。先生はゆっくりとおばあさんから視線を外し、引きつっている笑顔を生徒たちに向けた。
「せ、先生、電話で講師派遣の申し込みをした時に、色々と聞き間違えたみたい……。そ、葬儀屋さん、せっかくなので朝死川村のお話をしていただけますか?」
「わしらも学校で村の紹介をするのは初めてなのじゃ。ちなみに、そこにいるのはわしの双子の姉じゃ」
姉の方のおばあさんは生徒の間を歩き回っており、その後ろをいつの間にか教室に入ってきた八十歳くらいのおじいさんが歩いていた。おじいさんは黒いスーツに黒ネクタイ姿で、駅弁売りが持つような首掛け式の大きな立ち売り箱を両手で抱えており、おばあさんはその立ち売り箱から細長い六角形の木箱とペットボトルに入った黒い飲み物を取り出して、生徒の机の上に一つずつ置いていった。
教壇の上で、妹の方のおばあさんが生徒たちに言った。
「朝死川村は、大昔から世界中の呪いが集まってくる土地柄なのじゃ」
「どんな土地柄だよ!」
生徒の一人が突っ込んだ。
「朝死川村がある場所はな、二千年以上前に空から呪いの塊が降ってきて、土地全体に取り憑いたと言い伝えられている。以来その土地は呪われ続け、世界中から呪いが集まってくる『呪いの聖地』と呼ばれる場所になったのじゃ。
しかし、近年では村民の高齢化が進み、若者が一人もいないのじゃ。このままでは村を存続できなくなる……、そんな現状を打開するために、わしら村民は呪いで村おこしを始めたのじゃ。お前たちの目の前にある木の箱が、村の名物『呪い弁当』じゃ。箱の蓋を開けてみい」
生徒たちの机の上には、細長い六角形で上に十字架の印がある西洋の棺桶のミニチュアのような木箱が置かれていた。生徒たちが恐る恐る蓋を開けると、中には不気味な黒い煙に包まれた得体の知れない黒い物体がぎっしり並んでいた。
「その黒い米も、野菜や川魚も、玉子も、呪いをたっぷり浴びてすくすくと育った呪われた食材じゃ! それ、食べてみい! 食べるごとに呪われていくぞ!」
生徒たちは無言で弁当箱の蓋を閉めた。
「ペットボトルの方を開けてみい」
生徒たちは重苦しい雰囲気の中、黒い液体が入ったペットボトルに怖じ怖じと視線を向けた。五百ミリリットル用のペットボトルの側面には、歪んだ顔に苦悶の表情を浮かべているリアルな人面の模様があり、顔の模様の反対側にはシミだらけの古い紙でつくられたラベルが貼られていて、そこには『次はお前の番だ』と血で書かれたような手書きの文字があった。恐怖を感じた生徒たちがガタガタ震えながらペットボトルのキャップを開けると、中から黒と紫のまだらの煙が立ち上り、教室中に漂った。
「それは朝死川村最凶の名産品で、呪いの大地から呪いの力をたっぷり吸収した紫蘇でつくった死詛ジュース『次はお前の番だ』じゃ。国産の呪い百パーセントの一級品じゃぞ! さあ飲んでみい。一生呪われ続けるぞ!」
生徒たちは無言でペットボトルのキャップを閉めた。
その時、隣に人の気配を感じた鏡太朗が顔を上げると、弁当とジュースを配っていたおばあさんが不気味な笑顔を浮かべて立っていた。
「兄ちゃん、いい顔をしとるのう」
「え?」
もう一人のおばあさんも、教壇を降りて近づいてきた。
「姉者もそう思ったか。わしも一目見た時から同じことを思っておったのじゃ。こんなに惚れ惚れするような『呪われ顔』を見るのは初めてじゃ」
「え? 俺の顔って呪われ顔なの?」
「そうじゃ。まさに呪われるために生まれてきたような顔じゃよ。姉者もそう思うじゃろ? 兄ちゃんは、今までに数え切れないくらいの霊に取り憑かれてきたじゃろ?」
『や、やめてくれよ……。俺が霊に憑かれやすいことは、学校じゃあさくらしか知らないんだから。こんなことをみんなに知られたら、絶対に気味悪がられる……』
さくらが離れた席から、困惑している鏡太朗の様子を心配そうに見つめていた。
「兄ちゃん、お前にいい物をやろう」
妹の方のおばあさんが、懐から小さな黒い宝石箱を取り出し、中に収められていた黒いビー玉のようなものを鏡太朗に差し出した。鏡太朗は思わず右の掌でそれを受け取ると、怪訝な顔でおばあさんに尋ねた。
「これは? 持っていると、何だか凄く嫌な感じがするんだけど……」
「それは呪い玉じゃ。兄ちゃんこそ呪い玉の持ち主に相応しい」
「も、もしかして強力なお守りか何か?」
鏡太朗は期待いっぱいの笑顔で尋ねた。
「うんにゃ。十万体の悪霊を封印した水晶玉『呪い玉』じゃ」
「じゅ、十万……」
鏡太朗の笑顔が一瞬で凍りついた。
二人のおばあさんが代わる代わる説明を始めた。
「朝死川村にはな、二千年以上前から世界中の悪霊が集まってきたのじゃが、強力な悪霊が次から次へとやって来るため、祓い清めることなど到底不可能だったのじゃ。そこで、先祖たちは悪霊を祓うのではなく、この水晶玉に封印することにしたのじゃ。この玉には数百年かけて十万体の悪霊が封印されているが、もう容量いっぱいで、これ以上はこの玉に悪霊を封印することができないのじゃ。村では、今は四代目の新しい呪い玉を使用しているのじゃ」
「問題は、容量いっぱいになった呪い玉の処分なのじゃ。万が一、災害などで割れてしまったら、封印が解けた十万体の悪霊が飛び出して、人や動物に取り憑いて暴れ回り、大勢の被害者が出る。呪い玉を清めようにも、朝死川村は土地全体が呪われており、封印した悪霊を清められるような神聖な場所がないのじゃ」
「そこで、昔から、村以外に住む若者に呪い玉を託してきたのじゃ。兄ちゃんは、差し出した呪い玉を正式な作法通りに右の掌で受け取った。呪い玉はもう兄ちゃんのものじゃ。責任もって清めるように」
「そ、そんな勝手な! だいたい清めるってどうしたらいいの?」
「神聖な山に四十九年間籠り、毎日、日の出から日没までの間、呪い玉を両手で握って滝に打たれ続けるのじゃ。一日でもさぼったら最初からやり直しじゃからな。真面目に精進するんじゃぞ」
「そ、そんな滅茶苦茶な!」
青ざめた鏡太朗の顔には、涙が滲んでいた。
「ただし、絶対に呪い玉を割るんじゃないぞ。呪い玉を割った者は、封印が解かれた十万体の悪霊に取り憑かれ、『破滅の十二分』が始まってしまうのじゃ」
「は……、破滅の十二分?」
鏡太朗の両目が大きく見開かれた。
「最初の四分間は悪霊十万体が肉体に取り憑き、とんでもない力を持つ超人と化す。次の四分間では姿がおぞましい魔物に変貌し、悪霊に心が乗っ取られて凶暴になる」
鏡太朗は大きく目を見開いたまま、冷や汗を流していた。
「最後の段階ではさらに禍々しい姿となり、手当たり次第周りの人間の体と魂をむさぼり食う悪鬼と化す。そして最後には……」
鏡太朗は生唾を飲み込んだ。さくらが目を丸くして話を聞いていた。
「呪い玉を割った者は、肉体も、魂も、全てを十万体の悪霊に食らい尽くされて消滅する。そして、取り憑いた者とともに十万体の悪霊も消滅するのじゃ。
人間の体と魂が十万体の悪霊の強力な呪いの力に耐え得るのは、十二分が限界なのじゃ。悪霊たちに取り憑かれてから十二分が経過すると、取り憑かれた人間の魂と体は呪いの力で消滅してしまう。そして取り憑いていた人間が消滅すると、悪霊たちの強力過ぎる呪いの力が開放され、悪霊たち自身もボロボロに崩れて消滅するのじゃ。
悪霊たちは呪い玉の中に封印されている間、呪いの大地から呪いの叡智を授けられると言われているのじゃ。だから悪霊たちは、自分たちが消滅することは避けられない運命だと知っており、消滅するまでの束の間の時を享楽にふけって過ごすのじゃよ。
悪霊たちが人間の体と魂を食らう時に感じる人間の痛みや苦しみ、絶望、恐怖、魂の消失による永遠の死は、悪霊たちにとって何ものにも代えがたい至上の快楽なのじゃ。だから悪霊たちは人間を食らい続けるのじゃよ。
そして、悪霊たちは消滅する寸前に、取り憑いていた者を貪り食うのじゃ。この世で食らうことができる最後の人間、最後の晩餐として、体と魂を食われていく時のその人間の苦しみや痛み、絶望、恐怖を甘美に味わい、消滅する最後の瞬間を喜びに打ち震えながら迎えるために。
悪霊たちは、呪いの大地の教え通り、呪い玉を割った者が超人に変貌した瞬間からぴったり十二分後に、その者を食らい始めるはずじゃ。
ちなみに、一代目の呪い玉は清めることに成功した。二代目の呪い玉は託された若者が割ってしまい、破滅の十二分の後で若者は食らい尽くされ、悪霊たちは自分たちの呪いの力で消滅したのじゃ。さて、兄ちゃんが辿る運命はどっちかのう?」
鏡太朗の顔からは血の気が失せ、全身が小刻みに震えていた。
「こ、これ……返すよ」
「な、何じゃと?」
「正式な作法でお前が受け取ったのじゃ! もうお前の物じゃ!」
二人のおばあさんは慌てて鏡太朗に背を向けると、教室から出て行こうとした。鏡太朗は立ち上がって二人を追おうとした。
「もともと村の物でしょ? 返すよ!」
おばあさんの一人が振り返り、懐から取り出したびちょびちょに濡れて強烈な腐敗臭を放つ雑巾を鏡太朗の足元に放り投げた。鏡太朗は雑巾を踏んだ瞬間、勢いよく背中から倒れた。
「それは『呪いの濡れ雑巾』じゃ! それを踏んだ者は、三十六回転び続けるという呪いを受けるのじゃ」
「ま、待って! うわぁっ!」
鏡太朗は立ち上がる度に勢いよく転び続け、その間に二人のおばあさんは、黒いスーツ姿のおじいさんを従えて教室から出て行ってしまった。
三十六回転び終わった鏡太朗は、勢いよく廊下に飛び出した。
「やっと呪いが解けた! ん? 何だ、この音? 屋上からだ!」
鏡太朗は大きな音が響いている屋上に向かった。
鏡太朗が屋上の扉を勢いよく開け放つと、一機のヘリコプターが屋上から飛び立つところだった。黒いスーツ姿のおじいさんが操縦するヘリコプターの後ろの席には、二人のおばあさんが並んで座っていた。
「兄ちゃん、朝死川村はな、高額の報酬を見返りとして、世界中の危険な呪われた物を預かり、大量に保管しているのじゃ! どんなに危険な呪われた物でも、十万体の悪霊を封印した呪い玉に比べりゃあ可愛いもんじゃからな。どうってことないのじゃ。だから、ちょっとした用事でもヘリコプターで移動できるくらい朝死川村は豊かな村なのじゃ」
「兄ちゃん、呪い玉を頼んだぞ! くれぐれも『破滅の十二分』を引き起こすことがないようにな! その呪い玉を持っていれば、その辺の雑魚幽霊に取り憑かれることもないじゃろ。よかったなーっ!」
学校の屋上に鏡太朗を残し、ヘリコプターは飛び去っていった。
鏡太朗は右手に握った呪い玉を見つめた。透明な水晶玉の中では、不気味な黒い雲が渦巻いていた。
「ど、どうしよう……」
鏡太朗は、奈落の底に突き落とされたような絶望感に襲われていた。