2 さくらの危機と鏡太朗の想い
「えええーっ! Vチューバーって、バーチャル・ユーチューバーのことだったのおーっ?」
登校中のさくらは住宅街で驚きの声を上げ、さくらと一緒に並んで歩いている二人の女子高校生はさくらの発言に目を丸くしていた。三人とも身長が百五十五センチほどのほとんど同じ背の高さで、お揃いのブレザーの制服を着ており、リュックサックを背負っていたが、同じような格好をしていても、さくらの顔立ちの可愛さと輝くようなオーラはすれ違う人の目を引くほどに際立っていた。
「さくらは今まで何だと思ってたの?」
「くるぶしとか、踵だけで動画に出演する『部位チューバー』だと思ってたっ!」
「くるぶしだけの出演って……。そんなシュールな動画があったら逆に観たいわ!」
「さくらって本当に天然だよね。世間を知らないというか、ずれているというか」
さくらたちの二十メートル後方を、鏡太朗と男子高校生二人がブレザーの制服にリュックサックを背負って歩いており、男子高校生二人がさくらの後ろ姿を見つめながら口々に言った。
「なぁ、佐倉さくらって、めっちゃ可愛いくない?」
「お前もそう思う? 俺もずっと思ってたんだーっ! 超絶美少女なのに、誰にでも優しくて、めっちゃ明るくて、性格も最高なんだよなぁ。しかも超天然なところもキュンキュンするーっ! 鏡太朗、佐倉さくらと仲いいお前が羨ましいよ」
「お、俺は単なる幼馴染だから……。ただそれだけだから」
鏡太朗は動揺を抑えながら、平然を装って答えた。
「そうだよなーっ! お前と佐倉さくらじゃあ絶対に釣り合わないもんなーっ!」
「うっ!」
鏡太朗の胸に男子高校生の言葉が突き刺さった。
「そうそう! 中学時代から全てのテストが満点の超天才で、どんなスポーツも万能にこなす超絶美少女佐倉さくらと、勉強も、スポーツも、ルックスも、何もかもが普通のお前とじゃ釣り合わねぇよな」
「べ、別に、俺はさくらにそんな気持ちはないから!」
鏡太朗はムキになったように答えると、空を見上げた。
『そんなこと、言われなくたってわかってるよ。俺なんかじゃあ、さくらに釣り合わないってことくらい……。俺の片想いだってことくらい、わかってるんだ……』
鏡太朗は、中学一年生の時の二月十四日の出来事を回想した。
「やったーっ! 俺、佐倉さくらからバレンタインチョコ貰ったーっ!」
休み時間の教室で、小さな箱を手にした同級生の男子が満面の笑みを浮かべながら鏡太朗に報告した。
「そ、そうなのか……。よ、よかったな……」
『そっか……。さくらはこいつのことが好きだったのか……。何だか胸の奥が重くなって苦しい……』
鏡太朗が平静を装って浮かべている笑顔には、隠し切れない陰りが見えていたが、有頂天になっている男子は全くそれに気づいていなかった。
二人のやり取りを聞いていた別の男子が話に加わった。
「お前知らないの? 佐倉さくらは、クラスメイト全員に友チョコを渡してるんだぜ。俺だってチョコを貰ったよ。今年からクラスメイト全員に友チョコを配ることにしたんだって」
鏡太朗の胸を締めつけていた何かが軽くなった。
「お前、佐倉さくらに『友チョコ』って言われてから渡されなかったか?」
「え? 言われたのかも……。舞い上がっちゃって、耳に入らなかった……」
「鏡太朗はチョコをまだ貰ってないのか?」
「う……、うん……」
「まあ、一人一人に手渡してるみたいだから、これから貰えるんじゃないの?」
「鏡太朗って佐倉さくらと幼馴染でいつも仲いいけど、本当は嫌われてたりして」
「べ、別にどっちでもいいよ、そんなこと……」
鏡太朗は動揺を隠すようにそう言うと、女の子同士で話をしているさくらの笑顔を遠くから見つめた。
『結局クラスの中で、俺だけがさくらからチョコを貰えなかった。一昨年も、去年も、俺一人だけが貰えなかった。もしかしたら、さくらは本当に俺のことを……』
鏡太朗の目に映る青空が歪んで見えた。
「あたしのおねーちゃん、箒持ってこんなダンスしてるんだよっ!」
さくらは友達から離れて住宅街の交差点の中央に移動すると、もみじのダンスの真似を始めた。
「さくら! 危ない!」
「きゃあああああああああああああっ!」
「何だ?」
鏡太朗がさくらの友達二人の悲鳴の方に目を向けると、若い女性がスマートフォンを見ながら運転している軽自動車が、一時停止を無視してさくらに向かって突進していた。鏡太朗は思わずさくらの名を叫んだ。
「さくらあああああああああああああっ!」
鏡太朗と一緒に歩いていた二人の男子高校生も、二十メートル先のさくらの危機を目にすると、真っ青な顔でその場に立ちすくんだ。
さくらは自分目がけて突進してくる車に気づくと、目を見開いたまま凍りついたように動けなくなり、軽自動車は減速することなくさくらに迫った。
ブオオオオオオオオオッ!
その場にいた誰もが、さくらが車に衝突したと思った瞬間、誰かがさくらを抱えてその場から救い出し、そのまま二人で道路を転がった。運転手は今の出来事に気づいておらず、軽自動車はそのまま走り去っていった。
「鏡ちゃん?」
さくらが我に返って自分の下を見ると、鏡太朗がさくらを抱えたまま、地面の上でさくらの下敷きになっていた。
「ご、ごめん、鏡ちゃん大丈夫?」
さくらは慌てて鏡太朗の上から離れ、立ち上がった。
「俺のことよりさくらは? どこも怪我してない?」
鏡太朗は起き上がりながら、心配そうにさくらを見つめた。
「あたしは大丈夫だよっ! ありがとう。鏡ちゃんのおかげで助かっちゃった! あっ、血が出てるっ!」
さくらは、鏡太朗の左手の甲から血が出ているのを見て、リュックサックのポケットの中から絆創膏を取り出した。
「こ、こんなのただのすり傷だよ。平気だよ」
さくらは両手で鏡太朗の左手をつかむと、可愛いコアラの柄の絆創膏を傷に貼った。さくらに手を触れられた瞬間、鏡太朗の頬が赤くなった。
「また鏡ちゃんに助けてもらったね」
顔を上げたさくらの微笑みを至近距離で見た鏡太朗は、鼓動が一気に高まり、思わず視線を逸らした。
「そ、そうだっけ?」
「そうだよ~っ!
小学三年生の時、誰かがスズメバチの巣に悪戯して、たまたま通りかかったあたしにスズメバチの大群が襲いかかってきた時も、いつの間にか鏡ちゃんがあたしをかばうように前に立っていて、脱いだジャンパーでスズメバチをみんな捕まえちゃったっ!
中学二年生の宿泊研修で山道を歩いていたら、野生のイノシシがあたしに向かって突進してきたけど、いつの間にか鏡ちゃんがあたしの前に立っていて、イノシシを遠くに投げ飛ばしちゃったっ!
あたしが危険な時には、いつも鏡ちゃんが助けてくれるよねっ! 本当にありがとう」
「ぜ、全部偶然だよ。偶然、偶然……」
鏡太朗は、真っ赤になった顔をさくらから隠すように後ろを向くと、二十メートル先で立ち尽くす男子高校生二人の方へ歩き始めた。
二人の男子高校生は何か信じられないものを見たような表情で、自分たちに向かって歩いてくる鏡太朗を見つめていた。
「見、見たか……?」
「あ、ああ……。ど、どうやったら、あんな一瞬であの距離を移動できるんだ?」
「鏡太朗の動き、信じられない速さだった……」
さくらに背を向けた鏡太朗は、ゆっくりと男子高校生たちに向かって歩いていた。
『昔からさくらが危機に遭遇すると、考えるよりも先に体が動いて、さくらを守るためだったら、自分でも信じられない凄いことができた。子どもを守るために母親が凄い力を発揮したっていうエピソードを聞くことがあるけど、きっと、人間って大切な存在を守るためだったら、普段じゃあ考えられないような凄い力が出せるんだと思う。俺にとって、さくらはそんな存在なんだ。……きっと』
鏡太朗は空を見上げると、もやもやした気持ちで視線の先にある白い雲を睨んだ。