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18 さくらの想いとライカの涙

 闇のオーラの中央に立つ鏡太朗は、変身を始める前の形状に戻っていたが、髪はボサボサで真っ白になっており、瞳がない真っ白な両目が並ぶ顔からは一切の感情が消え、肌の色は薄い灰色になっていた。そのモノクロ写真のような皮膚の表面では、数えきれないほどの大小様々な大きさの青白い模様が蠢いていた。

 巨大な教室の中に、数えきれない程の人数の男女が口にする人を呪う言葉が響き渡った。

「俺がこんなに苦しいのはあいつのせいだ……絶対に許さない……」

「あの人とあの女は絶対に幸せにさせない……」

「あいつが死ぬまで呪ってやる……」

「みんな苦しめ……死ぬまで苦しみ続けろ……」

「あたしだけが苦しいのは許さない……みんな道連れにしてやる……」

「呪ってやる……全ての人間を呪ってやる……」

「みんな死んじまえ……死ね……死ね……死ね……死ね……死ね……死ね……」

 鏡太朗の体中の皮膚の上で蠢いている青白い模様は、全て人の顔であり、憤怒、憎悪、悲嘆、絶望などの様々な表情を見せながら、口々に呪いの言葉を呟いていた。全身が心霊写真になったかのような体には、赤い結晶による傷は全く見当たらなかった。


 鏡太朗が表情のない顔で口を開くと、その声は大勢の人々が狂気をはらんだ声色で一斉に喋っているように聞こえた。

「げへへへっ……。ここにいる奴らは俺たちが食らってやるぞ。体も、魂も、俺たちが全部食らい尽くしてやる。この体はもうすぐ俺たちの呪いの力に耐え切れずに終わりを迎え、俺たちもこの体と一緒に消滅する。それまでに可能な限り多くの命を食らって楽しんでやる。消滅する前には、この体とこいつの魂も食らって、最後の瞬間まで楽しんでやるのさ。げへへへっ……」

「ば、化け物め!」

 ルビンゴは口から赤い光を放ち、それは途中で十個の先が尖ったラグビーボール型の赤い結晶になって鏡太朗に向かって飛んで行った。突然、鏡太朗の胸と腹の表面で蠢く無数の顔が一斉に悲鳴を上げ、鏡太朗の胸と腹の前の空間が歪み始めてバリアのようになると、全ての赤い結晶は歪んだ空間に触れた瞬間に粉砕された。

「これならどうだああああああっ!」

 ルビンゴは天井と壁の様々な場所に口から赤い光を放ち、赤い光が広がった天井と壁から数十本の赤い結晶のつららが出現して鏡太朗に向かって伸びていった。鏡太朗は両手を頭上に挙げると、掌や上半身の様々な部位の表面で蠢く顔が次々に悲鳴を上げ、それらの顔の前の空間が歪んでつららを粉砕しながら天井や壁まで伸びていき、当たった場所を粉々に破壊した。

「げへへへっ……。まずはお前から食らってやるか。げへへっ……」

 鏡太朗の胸で蠢く顔が一斉に悲鳴を上げると、胸の前の空間が歪んでルビンゴまで伸びていった。

「ぐあああああああああああああっ!」

 ルビンゴは歪んだ空間に全身を包まれて悲鳴を上げ、空間の歪みが消えた時にはルビンゴの全身には深い亀裂が無数に走っていた。


「げへへへっ……。お前の全てを食らい尽くすぞ。げへへへっ……」

 鏡太朗が差し出した右の掌から黒い雲が出現し、ルビンゴに向かって伸びていった。その黒い雲の表面では無数の青白い顔が不気味に蠢き、口々に呪いの言葉を呟いており、その雲はルビンゴに到達するとその全身を覆っていった。

「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!」

 ルビンゴの断末魔の叫び声が教室に響き、さくらとライカは目を見開いたまま言葉を失っていた。ルビンゴの絶叫が消えた時、聞こえてくるのは大勢の男女が呟く呪いの言葉だけだった。

 やがて黒い雲が縮み始め、全ての黒い雲が鏡太朗の右の掌の中に消えた時には、ルビンゴの姿は教室から消えてなくなっていた。


 鏡太朗は振り返ると、瞳がない目をさくらとライカに向けた。

「げへへへっ……。次はどっちにしようかな。げへへへっ……」

 その時、さくらが鏡太朗の真正面に立った。

「鏡ちゃん、お願い! いつもの鏡ちゃんに戻って!」

「げへへへっ……。次はお前を食らうぞ。げへへへっ……」

「悪霊さんたち、お願い。鏡ちゃんをあたしに返して」

 鏡太朗を見つめるさくらの両目で涙が光を放った。さくらは数か月前の二月十四日の夜のことを思い出した。


「はーっ。結局今年も渡せなかったなぁ……。たった一つだけ手づくりした特別なチョコ……」

 ピンク色のもふもふしたパジャマを着たさくらは、自分の部屋のベッドの上に腰かけながら、きれいにラッピングした小さな袋を両手で抱えて溜息をついた。そのベッドの周りには、ふわふわした可愛いキャラクターのぬいぐるみが並べられていた。

「いつもは普通にお話してるのに、チョコを渡そうと思っただけで緊張しちゃって、今年も鏡ちゃんには一日中近づくことができなかった……。

 はあ……、何でバレンタインデーなんてあるの? バレンタインデーさえなければ、ずっといつもどおりの関係でいられるのに。特別な人に特別なことをしなくちゃいけない日なんて、ない方がいいのになぁ……。

 小学生の頃は、ずっと鏡ちゃんにチョコを渡したかったのにどうしても渡せなくて、中学生になってからは、自然に渡すきっかけにしようと思ってみんなに友チョコを配り始めたのに、毎年肝心の鏡ちゃんにだけ渡せないなんて……、あたし一体何やってんだろ? 

 でも、このチョコどうしよう? ライちゃんは甘いものを食べないしなぁ……」

 さくらは居間に向かった。居間のソファの上では、神主姿のもみじが銀色に着色した竹箒にラインストーンを貼っていた。

「おねーちゃん、いつもお世話になってるからチョコあげる」

「おー、サンキューさくら。ん? これ、本当にあたしのために用意したチョコか?」

「そ、そんなの当り前じゃない!」

 否定したさくらの頬は赤くなっていた。

「そういやばあ様が、一昨年と去年のバレンタインデーに、特別な人にあげるような大きな手づくりのハート形チョコをさくらから貰ったって笑ってたな……」

「だ、だって、お、おばーちゃんは特別な人なんだもん!」

 ニヤニヤ笑うもみじを残し、顔中真っ赤にしたさくらは自分の部屋へ戻って行った。


 変貌した鏡太朗の前に立つさくらの両目からは、大粒の涙が流れ続けていた。

『あたしの本当の想いは、恥ずかしくて絶対に誰にも言えないけど、あたしはずっと鏡ちゃんの隣にいたい。五年経っても、十年経っても、五十年経っても、鏡ちゃんの隣にいるのは、いつもあたしであって欲しい……』

「お願い……、あたしの鏡ちゃんを返して……」

 さくらが涙を零しながら、体を震わせて言葉を絞り出した時、鏡太朗が目を見開いて驚きの表情を浮かべた。その目には黒い瞳が戻っており、いつもの鏡太朗の声で喋り出した。

「さ、さくら……? お、俺は今まで何を……?」

「鏡ちゃん!」

 さくらの泣き顔が喜びで輝いた。

「げへへへっ……。この体は俺たちの体だ。もうお前は出てくるんじゃねぇよ」

 鏡太朗の口から大勢が同時に話す狂気をはらんだ声が聞こえた瞬間、鏡太朗の顔からは再び表情と黒い瞳が消え、それを見たさくらの表情は絶望に変わった。


「げへへへっ……。次はお前だ。お前の体と魂の全てを俺たちが食らい尽して、お前の痛みと苦しみと絶望と恐怖を味わってやるぞ。げへへへっ……」

 鏡太朗が差し出した右の掌からたくさんの顔が蠢く黒い雲が現れ、さくらに向かって伸びていった。

「さくらーっ! 逃げるんじゃあああああああああっ!」

 ライカはさくらに向かって絶叫したが、さくらは逃げることなく真正面から鏡太朗を見つめていた。涙を流しながら鏡太朗を見つめるさくらの姿は、大きく膨れ上がった黒い雲に呑まれて消えていった。

「さくらああああああああああああああっ!」

 ライカの泣き叫ぶ声が教室に響いた。黒い雲が縮んで鏡太朗の右の掌に消えた時、さくらの姿はどこにもなかった。

「さ、さくら……」

 ライカは涙を流してその場に崩れ落ちた。


 鏡太朗は表情がない顔をライカに向けた。

「げへへへっ……。お前の番だ。お前の全てを食らい尽くしてやる」

 鏡太朗は狂気に満ちた多人数の声でそう言うと、右掌から出現させた黒い雲をライカに向かって伸ばし、ライカは泣きながら飛び上がって黒い雲から逃れた。鏡太朗がすかさず左手をライカに向けると、左掌で蠢く顔が悲鳴を上げて前方の空間を歪ませ、歪んだ空間はライカ目がけて伸びていき、ライカは空中を旋回してそれをかわした。歪んだ空間はそのまま直進して天井に衝突すると、当たった部分を粉砕した。

『もう逃げる気力が出ない……。さくら……』

 ライカは涙を流しながら、空中をヘビのようにうねりながら追いかけてくる黒い雲と、次々に発射される歪んだ空間をかわして飛び回った。ライカにかわされた歪んだ空間は、教室の天井や壁、床を次々と粉砕していった。

 ライカがぎりぎりで歪んだ空間を避けた時、鏡太朗から伸びている黒い雲がライカの目の前で大きく膨らみ、ライカの視界いっぱいに広がった。

『か、かわせない! もうダメじゃ!』

 ライカが目を見開いて観念した瞬間、大きく膨らんだ黒い雲が突然向きを変えて鏡太朗の頭上に移動した。ハッとしたライカが壁の時計を確認すると、時刻は九時二十九分三十三秒を指していた。

「三十秒前じゃ! もうすぐ鏡太朗が悪霊に食らい尽くされる!」


 黒い雲は鏡太朗の右掌と繋がったまま、鏡太朗の頭上で軽自動車くらいの大きさまで膨らみ、鏡太朗の体の表面で蠢いていた無数の顔は、呪いの言葉を口にしながら頭上の黒い雲にどんどん移動していった。蠢く顔が体の表面から消えると、鏡太朗の肌や髪の色が元に戻っていき、目には瞳が戻った。意識がないまま目を開いて棒立ちになっている鏡太朗に向かって、黒い雲がゆっくりと降下していき、黒い雲の表面で蠢く顔が一斉に狂気に満ちた声を上げた。

「俺たちはもうすぐ消滅する。最後にこいつを食らってやる。この世に存在する最後の瞬間に、こいつの体と魂を味わい尽してやる。こいつの最後の肉の一片も、最後の血の一滴も、魂の最後の残滓も、こいつの全てを楽しみ尽くすんだ。げへへへへへへへへへへっ!」


「きょ、鏡太朗ーっ! い、一体どうすりゃいいんじゃ? あ!」

 ライカは周囲を見渡し、床に落ちている何かを発見した。

「もみじが言っていたお札じゃ!」

 ライカはお札まで一直線に飛んで右前足でお札をつかむと、急に右膝を床について目を丸くした。

『な、何じゃこりゃあ? このお札を持った瞬間に力が抜ける……。しかも、飛ぶこともできなくなるんじゃーっ!』

 ライカはお札を持ったまま三十メートル以上先の鏡太朗を見据えると、後ろ足でよろよろと歩き始めた。ライカは壁に掛けられた時計を見た。

『あと二十秒……』

 ライカの心の中に、大粒の涙を流して自分を見つめる鏡太朗の顔と、『ライちゃんがそんな辛い目に遭ったなんて、俺、とても悲しくて……、何もできない自分が悔しくて……、悔しくて……』という言葉が浮かんだ。

 ライカはよろめきながら、鏡太朗に向かって歩き続けた。

『あと十五秒……』

 鏡太朗との距離が一向に縮まらないライカの脳裏に、床を這いつくばってルビンゴからライカを必死にかばう鏡太朗の姿と、『俺が盾になる! ライちゃんはその間に逃げるんだ!』という叫び声が鮮明に蘇った。

『助けるんじゃ……。絶対に、絶対に鏡太朗を助けるんじゃ……』

 ライカの両目からは止めどなく涙が流れ続けていた。


『あと五秒……』

 ライカの前方三十メートル先では、黒い雲がすでに鏡太朗の頭のてっぺんの髪に触れており、もはや鏡太朗は黒い雲に吞み込まれる寸前だった。

「一か八かじゃあああああああああああああああっ!」

 ライカはお札を手放すと、左前足からお札に雷玉を放った。雷玉はお札もろとも鏡太朗へ向かって飛んで行った。

「か、雷玉が小さくなっていく!」

 愕然とするライカの目の前では、お札を押している雷玉が雷の飛沫(しぶき)を上げながらどんどん小さくなっており、雷玉は鏡太朗の胸の手前十センチの位置でとうとう消滅してしまった。雷玉が消えると、お札はひらひらと落下を始めた。

「だあああああああああああああああああっ!」

 ライカは全力で飛び込んで前足でお札を鏡太朗の腹に叩きつけ、勢い余って床を転がった。

 ライカが顔を上げると、時計は九時三十分三秒を指しており、黒い雲は鏡太朗の頭頂部すれすれで静止していた。鏡太朗の腹部にはお札が貼られていた。

「ま、間に合ったのか……?」

 ライカは息を呑んで鏡太朗の様子を凝視していたが、突然たくさんの悲鳴が教室の中に響き渡った。黒い雲の表面では、蠢いている無数の顔が苦しみの表情を浮かべながら口々に悲鳴を上げていた。やがて黒い雲は鏡太朗の右の掌の中にどんどん吸い込まれて消えていき、鏡太朗はその場に崩れ落ちた。


「きょ、鏡太朗……、お前……、大丈夫か?」

 鏡太朗はライカが呼びかける声を聞くと意識を取り戻し、急いで起き上がろうとしたが、両膝と両手を床についた瞬間、突然動きが止まって目を剝いた。

「そうだ、思い出した! 呪いの言葉が響く闇の中に意識が呑み込まれて、心の中がたくさんの呪いの言葉と、激しい怒りや、恨み、憎しみ、悲しみ、絶望の感情、胸が引き裂かれるような悲しい映像と、直視できないような恐ろしい映像でいっぱいになって、俺は気が狂いそうになりながら意識を失っていった……。

 遠くからさくらの声が聞こえた気がして我に返った時、闇の隙間から一瞬さくらの姿が見えたけど、すぐに俺の意識はたくさんの見えない手で引きずり込まれるように、深い闇に沈んでしまった……。

 あっ! あの時、大勢の声が『あの女を食らってやる! 食らってやるぞ』って言いながら、狂ったように嗤っていた……。ライちゃん! さくらは?」

 ライカは俯くと、涙を流しながら体を震わせて嗚咽を漏らした。鏡太朗の大きく見開いた両目に涙が溢れた。

「そ、そんな……。本当にあいつらはさくらを……? そ、そんな……。ちくしょう、俺のせいだ! 俺のせいでさくらが! わあああああああああああああっ!」

 床に顔を埋めて泣き叫ぶ鏡太朗に、ライカは涙を流しながら優しい声をかけた。

「お前のせいじゃない……。お前のせいなんかじゃ……」

「わあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 鏡太朗が泣き叫ぶ声が、巨大な教室の中に響き渡った。

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