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16 割れた呪い玉

 ルビンゴが鏡太朗に向けて拳を放とうとした時、硬い物体同士が衝突する音が響き、ルビンゴが自分の右手首を見ると、そこには小さなヒビが入っていた。ルビンゴが天井を睨むと、ライカが天井に刺さっている赤い結晶を引き抜いて投げつけていた。

「お前の体がどんなに硬いか知らんが、体と同じ物質でできたとんがったモンなら傷じゃってつくじゃろーっ!」

 ルビンゴはライカが投げ続ける赤い結晶を避けるため、鏡太朗の右肘を踏んでいた右足を上げた。

『今だ!』

 ルビンゴが右足を床に踏み下ろす直前に、鏡太朗がその足の下に呪い玉を置き、ルビンゴは右足で呪い玉を踏みつけた。鏡太朗は心の中で歓喜の声を上げた。

『やったあああああああっ!』

 ライカが投げる赤い結晶をかわすため、ルビンゴはさらに歩を進めて移動した。

「え?」

 鏡太朗が床を見ると、ルビンゴが移動した後に残された呪い玉は割れていなかった。


『わ、割れていない! もう一度だ!』

 鏡太朗は慌てて床から呪い玉を拾い上げた。

 ピシッ! ピシピシッ!

 小さな音を立てた呪い玉を見た鏡太朗は、思わず目を見開いた。呪い玉は鏡太朗の右手の中で見る見るヒビが入っていき、ヒビからは黒い煙のようなものが漏れ始めていた。

「わ、割れる!」

 呪い玉が一瞬にして砕け散ると、中から出てきた黒い雲が大きく膨らみ、鏡太朗の全身を包んだ。

「わあああああああああああああああああああっ!」

 鏡太朗の絶叫を耳にしたさくらとライカとルビンゴは、一斉に鏡太朗を見た。

「な、何? 鏡ちゃんに何が起こったの?」

 さくらは、黒い雲に覆われた鏡太朗の足元で輝く水晶の破片を見つけた。

「ま、まさか……、まさか……、これって……呪い玉が割れたの……?」

 さくらとライカ、そしてルビンゴは、目の前で展開する異様な光景に目が釘付けになっていた。やがて、鏡太朗を包んでいた黒い雲が、鏡太朗の体の中に吸い込まれるように萎み始めた。その時、さくらの脳裏に、朝死川村のおばあさんの言葉がよぎった。

『呪い玉を割った者は、封印が解かれた十万体の悪霊に取り憑かれ、『破滅の十二分』が始まってしまうのじゃ』

 さくらはハッとして壁に掛かる時計を見た。時計の針は九時十八分三秒を指していた。

「ライちゃん、十二分以内に何とかしないと、十万体の悪霊に食べ尽くされて鏡ちゃんが消えちゃう!」

「な、何でこんなことになったんじゃ? な、何じゃ?」


 全ての黒い雲が鏡太朗の体の中に消えた時、鏡太朗の姿は人間とは思えないほどの大きな変貌を遂げていた。肌は青黒くなり、銀色になった髪の毛はボサボサになって腰まで伸びていた。下顎には銀色の長いひげが生え、銀色の眉毛の下の両目は黒一色になって大きく吊り上がり、耳はコウモリの翼のような形になっており、両耳の近くまで広がっている口の中には尖った牙が並んでいた。ブレザーの袖から出ている青黒い手の指先には、鋭く尖った黒い爪が生えていた。

「ぎゃはははははっ! 最高の気分だ。体中に力が漲ってくるぜーっ! あーっ、暑い! 熱いエネルギーが全身を駆け巡って体が燃えそうだぜーっ!」

 鏡太朗は普段の言動からは想像できない粗暴な口調で喚きながら、ブレザーやシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった。その青黒い体は、背中と胸と肩と首周りの筋肉は大きく盛り上がっていたが、腹部は大きくへこみ、背中を丸めて長い両腕をだらんと垂らして身構えているその姿は、まるで未知の獣のようだった。

「ぎゃはははははっ! おい、そこの赤い奴! てめぇ俺を破壊するってほざいてたな! やれるもんならやってみろよ! てめぇの方こそ俺がバラバラにしてやるぜ!」


「こ、こんなの……鏡ちゃんじゃない……」

 呆然としているさくらの隣では、ライカも愕然としていた。

「一体これからどうなるんじゃ?」

「わからないよ。でも、九時三十分三秒までに何とかしないと、鏡ちゃんが消えちゃう」

「おい、さくら! ライカ!」

 青黒い獣のような姿の鏡太朗が、さくらとライカに凶暴そうな顔を向けた。

「鏡ちゃん?」

「わしらのことがわかるのか?」

「ぎゃはははっ! 自分の中で何かが暴れ回ってるみてーで、いつもの自分じゃあいられねーが、鏡太朗の想いと記憶はどうにか維持してるぜ! 危ねーから離れていろ」

 さくらとライカは、不安げな表情で鏡太朗から距離をとった。


「お前は本当に人間か? だが、お前が何者であろうと、我はお前を破壊する!」

 ルビンゴは、鏡太朗の顔面を狙って右拳を放った。

「な、何だと!」

 ルビンゴが驚愕して見つめた自分の右拳は、鏡太朗が突き出した右拳で止められていた。

「ぎゃはははっ! てめぇの拳の硬さも、パワーも、大したことねぇな」

「おのれ! 我を愚弄することは許さぬ!」

 ルビンゴは次々と突きや蹴りを繰り出したが、鏡太朗はルビンゴと同じ動きをして拳や足の裏、脛で全てを受け止めた。

「ぎゃはははっ! 今度はこっちから行くぜ!」

 鏡太朗の拳がルビンゴの胸の中央に当たり、ルビンゴは二十メートル吹き飛んで両足と右膝を床についた。その赤い胸には亀裂が何本も走っていた。

「お、おのれーっ! 何っ?」

 いつの間にか、鏡太朗がルビンゴのすぐ目の前に立っていた。

「ぎゃはははははっ! てめぇ動きも遅いな!」

「我はお前を許さぬ!」

 ルビンゴが右拳を鏡太朗の顔に放った時、そこに鏡太朗はいなかった。

「ど、どこへ行った?」

「どこ見てんだよ? ノロマ!」

 鏡太朗は、ルビンゴの後ろに立って薄ら笑いを浮かべていた。

「おのれーっ!」

 ルビンゴは鏡太朗に後ろ蹴りを放ったが、鏡太朗は横に移動して蹴りをかわしながら右手でその足首をつかむと、ルビンゴの巨大な体を軽々と十メートル先の床に叩きつけ、床には何本もの亀裂が走った。ルビンゴは怒りの形相で立ち上がった。

「おのれ! 我は赤い結晶でお前を破壊する!」

 ルビンゴが赤い光を吐き出すと、それは途中で十個の先が尖ったラグビーボール型の赤い結晶に変化し、鏡太朗に向かって飛んで行った。

「ぎゃはははっ! おもしれぇことをしやがるじゃねぇか!」

 鏡太朗は飛んでくる赤い結晶を次々と空中でつかみ、九個の赤い結晶を凄いスピードでルビンゴに投げ返した。

「がああああっ!」

 九個の赤い結晶は大きな音を立てながら連続してルビンゴに衝突し、ルビンゴは苦悶の表情を浮かべて叫び声を上げた。ルビンゴの体には、無数の細かいヒビが入っていた。

「勝てる! さくら、これなら鏡太朗はあいつを倒せるんじゃ!」

「でも、十万体の悪霊が次第に鏡ちゃんを乗っ取っていって、最後は……」

 事態の打開を確信して歓喜するライカの隣では、さくらが不安と悲しみの入り混じった感情に押しつぶされそうになっていた。

「ぎゃはははっ! てめぇ本当によえーな」

 鏡太朗は残った赤い結晶の先端にかじりつき、口の中で噛み砕いた破片を床に吐き捨てると、右手を大きく振りかぶり、赤い結晶をルビンゴの胸に投げつけた。激しい衝突音が響いた後、ルビンゴの胸は中央がへこみ、その周囲には大きな亀裂が何本も走っていた。

「おのれ! おのれ! 許さぬ! 我はお前を許さぬ!」

 ルビンゴが口から赤い光を放射すると、鏡太朗の体全体が赤い光で包まれ、その光は大きな赤い結晶に変化した。ルビンゴは赤い結晶を見つめてほくそ笑んだ。

「お前を赤い結晶の中に閉じ込めた。いくらお前でも、抜け出すことはできないはずだ」

「鏡ちゃん!」

 さくらは鏡太朗を覆い尽くした赤い結晶に向かって叫んだが、ハッとして壁に掛かる時計に視線を向けた。

「変身してから、もうすぐ四分になる……」

 さくらは、朝死川村のおばあさんの言葉を思い出した。

『最初の四分間は悪霊十万体が肉体に取り憑き、とんでもない力を持つ超人と化す。次の四分間では姿がおぞましい魔物に変貌し、悪霊に心が乗っ取られて凶暴になる』

 その時、大きな赤い結晶に次々と亀裂が走った。

「な、何っ! 人間界の全ての物質よりも硬い赤い結晶が、割られるだと?」

 赤い結晶が無数の破片になって崩れていった。

「きょ、鏡ちゃん……?」

 両目を大きく見開いたさくらとライカが見たものは、あまりにも変わり果てた鏡太朗の姿だった。

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