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13 失われた記憶

 広い公園の芝生の上では、もみじがたくさんの人形を並べていた。

「よし、これだけの間隔を空けて並べれば、人間の姿に戻っても問題ねーだろ! やっと全部並べたぜ。ん?」

 もみじは、自分がさくらの人形を抱えていることに気づいた。

「まだ一体残ってたか。どこの誰だか知らねーけど、おめぇもちゃんと並べておいてやるよ」

 もみじは、さくらの人形を他の人形と同じように芝生の上に並べた。


 鏡太朗は起き上がると、箒の次の攻撃に備えて身構えた。

「なあ、鏡太朗」

「何? ライちゃん」

「わしら、何のためにここに来たんじゃ?」

「そ、それは……人形になった人たちを元に戻すため……」

「人形になったのって、誰じゃ?」

「わからない……」

「誰のためかもわからないのに、何でわしら、こんなに苦しい思いをしてるんじゃ?」

『そうだ、俺は何のために、こんなに苦しい思いに耐えてるんだ?』

「鏡太朗、逃げるんじゃ! ここにいる意味はないぞ」

「そ、そうだよね。賛成だよ! よし、逃げよう!」

 鏡太朗は苦しみに耐え続ける理由と情熱を失い、ライカとともにこの状況から逃げることを決め、霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)を持つ右腕でライカを抱えながら教室の出入口に向かって走り出した。

 鏡太朗は出入口に到着すると、十倍の大きさになった引き戸を左手で開いたが、その瞬間、左手を見つめたまま固まったように動かなくなった。

「ライちゃん逃げて!」

 ライカは鏡太朗に言われるまま、鏡太朗の右腕から離れて教室と廊下の境目にある白い光の壁を通り抜けた。

 ガラガラガラッ!

 教室を脱出したライカの背後で出入口の戸が閉まった。

「おい! 鏡太朗! 何で戸を閉めるんじゃ?」

「ライちゃん、ごめん。やっぱり一人で逃げて。俺、なぜだかわからないけど、ここで逃げたらダメだって、そんな気がするんだ」

 鏡太朗が見つめている先には、左手の甲に貼られたコアラ柄の絆創膏があった。


「おやおや、人間の坊や。せっかく見逃してやろうと思ったのに、逃げ帰らないのなら容赦しないよ」

 四本の箒が次々と鏡太朗に襲いかかり、鏡太朗は床の上を駆け回り、床を転がりながら攻撃を避け続けた。

『この絆創膏を見ていると、誰かの温もりを思い出すんだ。その温もりは心地よくて、きっと俺にとって、とても大切な誰かなんだ。誰の温もりなんだ?』

「うぐっ!」

 鏡太朗の腹部に箒の突きが当たり、鏡太朗は吹き飛んで床に倒れた。次々と襲いかかる箒の突きをかわすため、鏡太朗は床を転がった。

 その時、鏡太朗の頭の中に少女の姿が浮かんだが、少女の顔は影になっていて誰なのかはわからなかった。

『この人は誰なんだ? 誰なのかわからないのに、とても大切な存在だって気がする……』

「があああっ! があっ!」

 鏡太朗の腹部に箒が振り下ろされ、続けて箒の突きが脇腹を直撃した。

『とんでもなく痛くて苦しい。でも、どんなに痛くても、どんなに苦しくても、この人のために逃げちゃいけないって、そんな気がするんだ。俺はこの人のことを思い出したい! きっと俺にとって、誰よりも大切なこの人のことを!』

「ぐうっ! がはっ!」

 起き上がった鏡太朗の背中を箒が横殴りにし、鏡太朗は血を吐き出した。

「さあ、箒の最大パワーで止めを刺す時間だよ。その後ですぐに魂を貰ってあげるからね」

 魔女が冷たく言い放った言葉に続き、鏡太朗の頭を目がけて箒が振り下ろされた。その瞬間、鏡太朗の心に少女の姿と笑い声が浮かんできた。顔は不鮮明だったが、楽しそうに笑っている口元だけがはっきり見えた。

『なぜだろう? この人が笑うと心が温かくなって、心の中が幸せな気持ちでいっぱいになる……』

 続いて、少女が俯いている姿が見えた。少女の顔は見えなかったが、目からは雫になった大粒の涙がキラキラ輝きながら零れていた。

『この人が泣いていると、俺も悲しい。俺の全てを懸けて、この人の悲しみを消し去ってしまいたい。俺はこの人の幸せな笑顔をずっと見ていたい……』

 脳裏に浮かぶ映像が白い光一色になって、太陽のように輝く少女の笑顔が浮かび上がった。

『さくら!』


「ん?」

 魔女が鏡太朗を見ると、箒は鏡太朗の額の前で斜めになって静止しており、鏡太朗の左掌が穂先の根本を受け止めていた。魔女は驚愕して叫び声を上げた。

「な、何だと? 魔法の箒の止めの一撃を手で受け止めただと? 人間の筋力や骨が、箒がフルパワーで放つ止めの一撃に耐えられるはずがない! こ、こんなことは有り得ぬ!」

 鏡太朗は俯きながら、続けて襲ってくる三本の箒を左手でつかんだ箒で次々と打ち払い、三本の箒は壁や天井に柄の先端が突き刺さって動かなくなった。

 鏡太朗は魔女を睨んだ。

「さくらの魂を返してもらうぞ!」

「な、何だと? 記憶を取り戻しただと?」

「そうだ、俺はさくらの笑顔を、姿を、声を、さくらの全てを思い出したんだ! 俺の心の中からさくらの記憶を奪うことなんて、絶対に、絶対に誰にもできないんだあああああああああああああああっ!」

 鏡太朗は左手につかんでいる箒を魔女目がけて槍のように投げ、箒はもの凄いスピードで魔女の右側三十センチを通過し、巨大化した黒板に突き刺さった。目を見開いたまま表情が固まっている魔女の頬を冷や汗が伝った。

『は、速すぎて、ア、アタシも箒隊も身動きがとれなかった』

「信じられないよ……。魂を奪って人形になった人間の記憶を取り戻したのは、坊やが初めてだ。坊や、名前は?」

「鏡太朗!」

「坊やの名前……憶えておくよ。プー太朗」

「鏡太朗!」


『俺にできるのは霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)の一撃だけだ。そのためには魔女に近づくしかない!』

 鏡太朗は右手で霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)を握り締めると、三十メートル先の魔女目がけて駆け出した。

 魔女の前から二本の箒が鏡太朗に向かってミサイルのように飛び立ち、残る四本は魔女の前方の守備位置に移動した。鏡太朗は飛んで来る箒の一本を左手でつかむと、もう一本の箒を上に打ち飛ばし、飛ばされた箒は天井に突き刺さって動かなくなった。鏡太朗はつかんだ箒を槍のように投げて右側の壁に突き刺し、突進を続けた。

 今度は、魔女の前に並んでいた四本の箒が鏡太朗の手前に飛んで来ると、『#』の形に交差して壁のようになり、鏡太朗の突進を阻んだ。

『ま、前へ進めない!』

 箒は鏡太朗の胸と下腹に当たっており、鏡太朗の体を凄い力で押し返していた。箒に押され、鏡太朗の体は一歩、また一歩と後退した。

「フフフッ。人間の力で箒四本のパワーに勝つことなんて不可能だよ。フフフッ」

 鏡太朗の体はさらに後退し、前方から聞こえる魔女の声から次第に遠ざかっていった。

『こ、ここで極めないと、さくらの魂を取り戻すことができない……』

 鏡太朗の頭に、記憶の中のさくらの姿が次々と浮かんできた。初めて会った時の五歳のさくらの笑顔、スズメバチの大群に襲われて固まっているさくら、イノシシの突進を前に引きつっているさくら、鏡太朗の左手に絆創膏を貼って微笑んでいるさくら、九年半前の話をしてロッカーの前で泣いていたさくら……。

「俺は……」

 鏡太朗の後退が止まった。

「俺は絶対にさくらを守るんだあああああああああああああっ!」

 鏡太朗は凄い勢いで箒の壁を押し戻し、前進していった。

「な、何だと? 人間ごときの力で箒四本を押し戻しているだと?」

 魔女は信じられない光景に目を丸くしていた。

「俺は絶対にさくらを取り戻す! 俺は絶対にさくらを守るんだ! 古より雷を司りし天翔(あまかける)迅雷之命(じんらいのみこと)よ! この霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)に宿りし御力(みちから)を解き放ち給え!」

 鏡太朗が右手に持つ霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)紙垂(しで)が逆立ち、小さな雷が何本も走った。鏡太朗は魔女の二メートル前まで接近した。

『あと一歩で魔女を倒せる! この一撃で絶対にさくらを助けるんだ!』

 鏡太朗は箒の壁を体で押し返しながら、右足を大きく前へ踏み出し、ベッドの上に座っている魔女に向かって霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)を突き出した。

天地鳴動(てんちめいどう)日輪如(にちりんのごとき)稲妻(いなづま)あああああああああああっ!」

 霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)の先の大きな雷の塊が当たる寸前、魔女が冷たい笑みを浮かべて指を鳴らすと、魔女とベッドは鏡太朗から二十メートル離れた場所に一瞬で移動した。

「残念だったねぇ。アタシは魔力で空間を自由に伸び縮みさせられるのさ。お前とアタシの間にある空間を伸ばしたんだよ」

『こ、これじゃあ魔女に届かない……。もう打つ手がない……。もう……おしまいだ……』

 希望を打ち砕かれた鏡太朗は、目の前が暗くなっていくように感じた。鏡太朗の脳裏にさくらの輝く笑顔が浮かび上がったが、鏡太朗にはさくらの笑顔が闇に呑まれて遠く離れていくように感じられ、鏡太朗の心を絶望の暗闇が覆っていった。

『さくら……』


「あきらめんなーっ、鏡太朗ーっ!」

 その時、鏡太朗の背後で何かが鏡太朗の上に飛び上がった。

「ラ、ライちゃん?」

 我に返った鏡太朗が見上げると、ライカが自分の頭の上に飛び上がって、熱く燃えるような目で鏡太朗を見つめていた。

「お前の心の中で燃える想いは、まだ消えてはいないはずじゃあああっ! お前を見てたら、わしの心にも火がついたんじゃからなあああああっ! 鏡太朗ーっ! 合体技じゃああああああああああああああああああああっ!」

 鏡太朗はライカの言葉の意味を瞬時に理解し、霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)の先で逆立つ紙垂(しで)の根本でどんどん小さくなっていく雷の塊に目をやった。

『術が不発で、雷がどんどん小さくなって今にも消えそうだ! 今すぐやるしかない!』

 鏡太朗は何かを決意したかのように、霹靂之大麻(へきれきのおおぬさ)の先の今にも消えそうな小さな雷の塊を睨んだ。

「わああああああああああああああああっ!」

 鏡太朗は叫びながら右手を下ろし、消える寸前の雷の塊を自分の右足の甲に当てた。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああっ!」

 雷の塊は鏡太朗の右足に当たると大きく膨れ上がり、そこから何本もの雷が発生して鏡太朗の全身を駆け巡った。耐え切れないほどの激しい苦痛に絶叫しながら、鏡太朗が頭の上のライカのしっぽを左手でつかむと、雷は二人の体を伝わって、ライカの両前足の前で直径二メートルの大きな雷玉になっていった。

「食らえ! 特大の雷玉じゃあああああああああああああああっ!」

 鏡太朗の体を押していた四本の箒が雷玉と魔女の間に移動したが、雷玉は箒を吞み込みながら、一瞬にして魔女が座るベッドを直撃した。

「ぎゃああああああああああああああああああっ!」

 ベッドが粉々になって吹き飛ぶのと同時に魔女の体は宙を舞い、床に落下して動かなくなった。気を失った魔女のそばには、活動を停止した四本の箒と帽子が落ちていた。


「や、やった……。じゅ、呪文を見るんだ……」

 鏡太朗はよろよろと立ち上がると、魔女のそばまでふらふらしながら歩いて行き、帽子を手に取って内側を見た。

「そ、そんな……」

 鏡太朗は力なくその場に座り込んだ。床を転がった帽子の内側には、見たことがない文字が並んでいた。

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