11 駆け抜ける鏡太朗とさくらの決意
ゴーレムが湖の中で立ち上がった。水面の高さはゴーレムの腰まであった。
「こらーっ、土人形! さっきの一発くらいじゃあ、わしは倒せんぞ!」
ライカがゴーレムに向かって飛んで行った。ゴーレムは両手から土の塊を連射し、ライカは空中を旋回してそれを避けていった。
霹靂之大麻を右手に持った鏡太朗は、自分の周りに広がる湖水を見つめていた。その顔つきは今までにない凛々しさだった。
『この水は幻……、存在していないんだ。この水の奥に地面がある。意識を集中して地面を見るんだ』
鏡太朗の目に映る湖水が次第に透けていき、地面が見えてきた。
『見えた!』
鏡太朗は、ライカを狙って土の塊を放ち続けるゴーレムの背後に向かって駆け出した。鏡太朗の目には、自分が周囲の水を割って道をつくりながら走っているように映っていた。
『ここで極めて、もみじさんにさくらを守ってもらうんだ! さくらの危機に、もみじさんが駆けつけることができるように! 絶対に、絶対に極めるんだ、さくらのために!』
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え!」
鏡太朗が右手に持つ霹靂之大麻の紙垂が一斉に逆立ち、その周囲に小さな雷が何本も走った。
「霹靂之大麻が起動した!」
鏡太朗は霹靂之大麻を見て、喜びの声を上げた。
「よそ見をするんじゃねえええええええええっ!」
「え?」
もみじの叫び声を聞いて前を向いた鏡太朗の目の前では、鏡太朗に気づいたゴーレムが左の拳を自分の顔に向けていた。
「土塊!」
ドゴッ!
土の塊が額を直撃した鏡太朗は、大きく後ろにのけぞり、右足が高く宙に浮いた。
『意識が遠くなっていく……。俺って、本当にダメだな。もみじさん、すみません。さくらのことが心配でたまらないよね。本当は、今すぐさくらの方に行きたいよね。それなのに、俺たちを助けに来てくれて……。俺はそれを無駄にしたんだ。俺が不甲斐ないせいで、全てを台無しに……。もう意識を失いそうだ……。さくら……、さくらは今どうしてる?』
薄れゆく意識の中で、鏡太朗の心の中にさくらが追い詰められている姿が浮かび、もみじの声が思い出された。
『さくらに危機が迫っているんだ。必ずこれで極めてくれ!』
鏡太朗は目を大きく見開くと、右足で地面を力強く踏みしめた。
『気を失っている場合じゃない! さくらに危機が迫っているんだ!』
鏡太朗は再び目に力を漲らせ、ゴーレムの前方に向かって走り出した。
「鏡太朗ーっ! 術を解くぞ!」
もみじの声が響いた直後、満月と周囲の湖水が一瞬で消え去り、欠けた月とグラウンドの地面が姿を現した。体が鏡太朗くらいまで小さくなったゴーレムは、地面に両膝をついて開いた腹部に両手で土を補充し始めたが、目の前に迫った鏡太朗に気づき、右手で土を補充しながら左の拳を鏡太朗の顔に向けた。
「鏡太朗ーっ! 気をつけろおおおおおおおっ!」
もみじが警告して叫ぶ声を聞いた瞬間、鏡太朗の心の中に同級生から言われた言葉がふと蘇った。
『勉強も、スポーツも、ルックスも、何もかもが普通のお前とじゃ……』
『そう、俺って、勉強も、スポーツも普通で……、俺が人生の中でヒーローになって輝く瞬間なんてないのかもしれない……。でも、そんな俺でも、好きな女の子のためだったら、その時は……』
ゴーレムの左手から放たれたソフトボール大の土の塊が、瞬く間に鏡太朗の眼前に迫った。
『その時だけは、俺はヒーローになりたいっ!』
ドゴッ!
土の塊が鏡太朗の頭に衝突する鈍い音が響き、粉々になった土の塊が飛び散った。
「あ、あいつ、土の塊を頭突きで砕きやがった!」
もみじは、思いがけない鏡太朗の行動に驚いていた。
鏡太朗は額から血を流しながら、ゴーレムの腹にある大きく開いた口に霹靂之大麻を突き入れて叫んだ。
「天地鳴動日輪如稲妻あああああああああっ!」
ゴーレムの体の中で、霹靂之大麻の紙垂から強烈な雷が四方八方に放射された。ゴーレムの体は大きく膨れ上がった後で爆発し、粉々になって周囲に飛び散っていった。
「うわああああああああああああっ!」
鏡太朗はゴーレムの爆発で吹き飛ばされながら、ゴーレムの破片で全身を激しく打たれ、ライカは空高く上昇して爆風とゴーレムの破片を避けた。
「鏡太朗! ライちゃん! 二人で人形を集めて車まで運んでくれ! あたしはさくらが心配だ。すまん」
もみじは、地面に落下した鏡太朗と空高く浮かんでいるライカに声をかけると、車に向かって一目散に走り出した。
『さくら、無事でいてくれ!』
もみじは車に戻ると、助手席に置かれたスマートフォンを見た。
「七時十九分? あと三分しかないぞ!」
もみじの後ろの席では、さくらの体が頭を垂れていた。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この現世之可我見に宿りし御力を解き放ち給え! 遠可見得看給! さくら、どこだ? どこにいる?」
もみじは、次々に校舎内の廊下や教室を現世之可我見に映し出した。
「さくら!」
もみじが発見したさくらは一年一組の教室にいて、天蓋付きのベッドに歩いて近づいていた。もみじは、現世之可我見に映るさくらの姿に向かって叫んだ。
「さくら! 魔女の帽子の中の呪文はもういい! 今すぐ体に戻るんだ! 二度と元に戻れなくなるぞ! ちくしょおおおおおおおおっ! 今からあたしが向かっても間に合わねぇ! さくらあああああああああっ!」
さくらは、十倍の大きさになった壁に掛けられた十倍の大きさの時計を見上げた。
『体に戻るリミットまで二分三十秒。もう体に戻らないと……。でも、あたしはみんなを助けるんだ! それでないと、鏡ちゃんがお札を剥がしたことに責任を感じて、きっと苦しみ続ける。本当はあたしのせいなのに……。絶対にそんなことにはさせない!』
さくらは、ベッドを囲んで直立している箒に注意を払って慎重にベッドに近づきながら、鏡太朗と初めて出会った時のことを思い出していた。
『十年前、鏡ちゃんは初めてうちの神社にやってきた。お父さんとお母さんに連れられた鏡ちゃんは、幽霊の男の子と手を繋ぎながら、輝くような笑顔で歩いていた。鏡ちゃんの周りには、他の人には感じたことがない優しい波動が満ちていて、そんな鏡ちゃんのことが気になって、とても気になって、この子のことをもっと知りたいって思った。そして、柱の陰からずっと鏡ちゃんを見つめてた……』
さくらは、針をさらに三十秒進めた壁の時計を一瞬見た。
『あれから十年経っても、鏡ちゃんはずっと優しい。鏡ちゃんを苦しませる事態には絶対にさせない! あたしが絶対に鏡ちゃんを守るんだ!』
さくらはベッドの横にあるアンティーク調のコート掛けに近づいた。魔女の帽子はそこに掛けられていた。
『よかった。この箒たちにもあたしの姿は見えないみたい』
さくらはベッドの中で魔女が眠っているのを確認しながら、そっとコート掛けの隣に立って帽子の中を覗き込んだ。
「さくら! 後ろだ! 後ろを見るんだ!」
もみじは現世之可我見に映るさくらに向かって叫んだ。さくらの後ろには、物音を立てずにベッドから起き上がる魔女の姿が映っていた。もみじは現世之可我見を見ながら絶叫した。
「さくらーっ! 頼むから後ろを見てくれええええええええええええっ!」
現世之可我見に映る魔女は、ベッドの下から魔法の掃除機を取り出した。
「さくらあああああああああああああっ!」
「お嬢ちゃん」
さくらは背後から聞こえた声に驚いて振り返った。そこには魔法の掃除機のノズルをさくらに向けている魔女が、冷たい笑みを浮かべて立っていた。
「あ、あたしの姿が見えるの?」
「幽霊のお嬢ちゃん、残念だったねぇ。アタシのこの赤い瞳には、幽霊の姿が人間と同じくらいはっきり見えるのさ」
魔女の左の瞳が、ルビー色の不気味な輝きを放った。
「おや? お嬢ちゃんの顔、どこかで見た気がするねぇ。まあ、どうでもいい。ウメーナコノパイン!」
「さくらあああああああああああああああああああっ!」
もみじは、現世之可我見に映るさくらの姿に向かって絶叫した。
さくらの姿は白い光に変わり、魔法の掃除機に吸い込まれていった。
「やったーっ! 魔女エカテリーナ様が幽霊を退治したーっ!」
ベッドの上に置かれた本の中で、七人の小魔女の絵が歓声を上げた。
「さくら……」
もみじは力なくうなだれた。




