10 捕らわれのさくらともみじの作戦
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! その御力を宿し給え! 昇龍之稲妻!」
誰かが地面に右の掌を当てながら叫んだ。
ゴーレムの右足の下の地面の中から、空に向かって雷が駆け上った。ゴーレムの体は右足を上げた状態で一瞬宙に浮くと、地響きを立てながら地面に倒れた。
『な……、何だ、今のは?』
薄れゆく意識の中で、鏡太朗はグラウンドに立つ人影を見た。
「も、もみじさん?」
グラウンドの中央には、長い髪をなびかせたもみじが立っていた。
「古より月を司りし月光照之命よ! その御力を宿し給え! 月下之湖水!」
空にあった欠けた月が見えなくなり、別の場所に満月が輝くと、グラウンドが湖に変わり、地面に倒れているゴーレムの姿が水の中に消えた。鏡太朗が溺れそうになって慌てて立ち上がると、水の深さは胸の高さまであり、ライカは鏡太朗の腕から離れて空に浮き上がった。
「二人とも大丈夫か?」
もみじは鏡太朗の隣に立っていた。
「も、もみじさん、すみません……。あの怪物に全然歯が立たなくて」
「もみじ、あいつ、わしの雷玉が効かんのじゃ!」
「うむ、奴を見ると、生き物特有の霊力と魂が感じられねぇ。恐らく、奴は土でできた機械仕掛けの人形みてぇなもんだ。だとすると、厄介なのは、機械のように痛みや恐れを感じることがなく、機能が完全停止するまで命令されたことを遂行し続けるだろうってことだ。体がどんなにぶっ壊れたとしてもな。しかも、動く土の塊じゃあ、あたしの雷の術も奴には効かねーだろう。こんな時に雷を実体化して矢や太刀をつくる奥伝の術があたしに使えたら……。母上に伝授された惑わしの術では奴を倒すことはできねー。
……よし、これしかねぇ! 二人に作戦を伝える。この作戦に全てを賭けるしかねぇ。さくらに危機が迫っているんだ。二人とも必ずこれで極めてくれ!」
「え? さくらに危機が?」
鏡太朗は驚いてもみじに聞き返し、ライカも唖然としていた。
「ああ、直面した危機は回避したが、危険な状態であることは変わらねぇ」
もみじは、さっきまでのさくらの状況を思い浮かべた。
「さくら!」
七時十分、現世之可我見には、さくらに向かって五色の光線が放たれた様子が映し出されていた。もみじは車を降りると、懐から人の形をした五枚の白い紙を取り出し、空中に放り投げながら叫んだ。
「古より月を司りし月光照之命よ! その御力を宿し給え! 式神之遊戯!」
人の形の紙が空中で身長二十センチほどの小人になって着地し、全部で五体いる小人は色違いの平安時代の貴族のような服装を身にまとっていた。青い服の小人は他の小人よりも一人だけ背が高く、自信に満ちた表情をした切れ長の目の男の子で、紅色の服の小人は両目を情熱的にギラつかせた男の子だった。白い服の小人は、高貴さを感じさせる気高い表情の女の子で、緑色の服の小人は目尻が垂れた優しそうな可愛い顔立ちの女の子、桃色の服の小人は顔と体型が少しふっくらしていて、悪戯っぽい笑みを浮かべた男の子だった。
「もみじ式神戦隊の青くん、紅くん、白ちゃん、緑ちゃん、桃くん。さくらに危機が迫っているんだ。今すぐこの建物の四階へ行って、さくらを小魔女たちから助け出してくれ!」
「なんと! さくら殿に危機が? もみじ殿、麻呂たちに任せてくれ給え!」
青い服の式神がもみじにそう言うと、五体の式神は一斉に校舎の玄関に向かって凄いスピードで走っていった。
「さくら!」
もみじのスマートフォンが七時十三分を示した時、さくらは黄色い光の線で首から下を何重にも巻かれて、校舎四階の廊下に倒れていた。魂を吸い取る魔法の掃除機を手にした赤い髪の小魔女が、身動きができないさくらにニヤニヤ笑いながら迫っていた。
「ウメーナコノパ……、きゃっ!」
掃除機のノズルがさくらに届く寸前で、赤い髪の小魔女が勢いよく後ろに倒れた。
「ゴメンよ、お嬢さん。油をこぼしてしまったんだ。……わざとね。はははっ!」
さくらが隣から聞こえた声の方に顔を向けると、青い服を着た式神が油の瓶を両腕に抱えて自信たっぷりの笑顔で立っていた。倒れている赤い髪の小魔女の下には油が撒かれており、さくらは歓喜の声を上げた。
「青くん!」
「間に合った……」
もみじは車の中で胸を撫で下ろしたが、その直後、何かに気づいて目を見開いた。
「ライちゃんと鏡太朗はどうなってる?」
現世之可我見に映ったグラウンドでは、ライカをかばってうずくまる鏡太朗の背中に土の塊が次々と激突しており、鏡太朗が激痛で叫び声を上げていた。
「さくらのことが気がかりなのに……。しゃあねー、このまま放ってはおけねーだろ!」
もみじは車を降りると、グラウンドに向かって一目散に駆け出した。
もみじがグラウンドに向かっている頃、校舎四階の廊下では、さくらの手前で転んでいる赤い髪の小魔女の背後で、六人の小魔女が毛ばたきに跨って宙に浮いていた。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ」
六人の小魔女が後ろから聞こえた声の方を振り返ると、桃色の服を着た式神が、コーラが入った二リットルのペットボトルを頭の上に抱えて床に立っており、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
その隣では、紅色の服を着た式神が棒状の包装紙に包まれたソフトキャンディを右脇に抱え、ギラギラした目でニヤリと笑いながら小魔女たちに声をかけた。
「お前ら、めっちゃ面白いことがあるんだけど、見たくねぇか? 俺が持っているこの某ソフトキャンディ、これをコーラに入れると何が起こると思う? すっげーことが起こるんだぜ!」
六人の小魔女は『めっちゃ面白いこと』と『すっげーこと』という言葉に興味を引かれ、思わず紅色の服を着た式神の挙動に注目した。紅色の服を着た式神は、ソフトキャンディの包装紙を破ると跳び上がり、桃色の服を着た式神が頭上で抱えるキャップが外されたペットボトルにソフトキャンディを全て放り込んだ。六人の小魔女は、身を乗り出してペットボトルを凝視した。
ブシュウウウウウウウウウウウウーッ!
ペットボトルから噴水のように噴き出したコーラが、六人の小魔女の顔に命中した。桃色の服を着た式神は悪戯っぽく笑いながら、六人の小魔女の顔を狙ってペットボトルを動かしていた。
コーラの噴出が止まると、桃色の服を着た式神はペットボトルを放り投げ、二体の式神は高笑いをしながら、さくらと反対側に向かって走って逃げ出した。
「こ……、こ、こらああああああっ! 待てえええええええええーっ!」
コーラまみれになった六人の小魔女は激高し、毛ばたきを反転させて二体の式神を追って飛び立ち、一瞬で追いついた……と思った瞬間、空中を後ろ向きに吹き飛び、跨っていた毛ばたきは凄いスピードで遥か先の壁に激突した。
廊下の左右の壁には、金具がそれぞれ六か所ずつ高さを変えて取りつけられており、小魔女たちは金具に張られた六本のゴム紐に引っ掛かったのだった。
「これでぶっ壊して差し上げますわ。ふふふっ……」
教室側の金具の下で待機していた白い服を着た女の子の式神が、大きなハンマーを肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべながら、倒れている小魔女たちに向かってゆっくり歩いて行った。
「まあ! 白ちゃんったら怖いこと言うのね……。間違って小魔女さんたちを壊さないでね」
窓側の金具の下で待機していた緑色の服を着た女の子の式神は、白い服の式神の発言に驚いた顔を見せながら、大きなハンマーを肩に担ぎ、倒れている紫色の髪の小魔女に近づいていった。白い服の式神が紫色の髪の小魔女に向かって言った。
「わたくしたちもみじ式神戦隊の式神は、霊力を物質化して色々な道具を出すことができますのよ。このハンマーのようにね。さあ緑ちゃん、行きますわよ!」
白い服の式神の合図で、二体の式神はハンマーを頭上に大きく振りかぶると、望遠鏡を交互に叩いて粉々に破壊した。それを見た紫色の小魔女は上半身を起こし、目を見開いて叫んだ。
「望遠鏡が! これじゃあ幽霊がどこにいるかわからない!」
「さくら殿、今麻呂が助けるから、しばしお待ち給う」
油を撒いた青い服の長身の式神は、大きなハサミを出現させると、さくらに巻きついていた光の線を切っていき、さくらは笑顔で起き上がった。
「ありがとう、みんな! みんなのお陰で助かったよっ!」
もみじが命じたミッションを完了した五体の式神は、笑顔でさくらに手を振ると、人の形の紙の姿に戻って燃え上がり、消えてしまった。
「魔女エカテリーナ様に報告だ! 毛ばたきよ、こっちに来て!」
六人の小魔女は空飛ぶ毛ばたきを自分のそばに呼び寄せると、それに跨り、凄いスピードで廊下の奥に向かって飛んで行った。
「待ってよーっ!」
赤い髪の小魔女も、魔法の掃除機を抱えながら慌てて毛ばたきに跨ると、六人の小魔女を追って飛び去った。
一面が湖になったグラウンドでは、もみじが鏡太朗とライカに作戦を伝えていた。
「奴が起き上ったら、ライちゃんは奴の注意を引きつけて土の塊を発射させ続けてくれ。奴は体が小さくなるが、周りは一面の湖水だ。土の補充ができねー。そこに鏡太朗が突っ込んでいく」
「もみじさん、待って。こんな水の中じゃあ思うように動けないよ。突っ込むなんて……」
「いいか、鏡太朗。この水は全て幻だ」
「え? だって、さっき本当に溺れそうに……」
「おめぇの脳が、本当に水があるかのように反応しているだけだ。いいか、意識を集中して、幻に過ぎない水の奥にある地面を見るんだ。そうすれば、術は解ける。おめぇが奴に十分近づいた時、あたしは術を解く。奴はここがグラウンドの地面の上だと認識して、グラウンドの土を腹の中に補充し始めるだろう。鏡太朗、おめぇはその時、霹靂之大麻を奴の腹の中に突っ込んで、奴の体の中で雷を放て。これは賭けだが、体の内側で雷を放てば奴を倒せるかもしれねー」
「もみじさん、俺、霹靂之大麻を発動させることができなかったんだ……」
「これに失敗すれば全てが終わりだ。さくらの危機に、あたしが駆けつけることもできなくなる。おめぇの一撃に全てがかかっているんだ。頼む、極めてくれ!」
『そ、そうだ。さくらは今危険な状況なんだ。もみじさん、本当はさくらのことに集中したいはずなのに……。
よし! 俺の全てを懸けてここで極めるんだ! もみじさんにさくらを守ってもらうんだ!』
鏡太朗は背中から霹靂之大麻を取り出した。霹靂之大麻を握る手には力がこもり、目には闘志が漲っていた。




