白の皇帝という小人
言葉が通じる。
想いが伝わる。
互いを思いやることができる。
――ああ、何て素敵で温かいのだろう……。
□ □
「――白の皇帝、本日の湯浴みはあなたさまが先に終えられたようなので、寝宮でしばしお待ちくださいませ」
そう言って、竜族が《火》族の女官たちは白の皇帝を連れて、彼女たちが仕える唯一の主――《火》族の族長である《火》神の居宮のひとつである寝宮へと向かっていた。
空には満月に近い白銀の月。
夜雲は緩やかに浮かび、月を遮るほどではないが、月光を受けて幻想的な色を帯びてゆっくりと流れている。
湯殿から寝宮までは、中庭を眺めながらいくつもの回廊を渡らなければならない。小柄なハイエルフ族の少年である白の皇帝にしたら、ちょっとした散歩の感覚になる距離がある。
中庭、と言ってもかつては簡単な樹木があるだけで、そこには花も色彩もない殺風景な空間ばかりが広がっていたが、
「あ、バスカヴィルの花が咲いている! 俺、あの花好きなの! 女官のお姉さんたちが植えてくれたの?」
自分に同行する女官のひとりの手を取りながら、白の皇帝は嬉しげに声を上げて、そのまま中庭で広く咲いている薔薇の花によく似た白い花のところまで飛び出してしまう。
月の光を受ける白い花は、花自身が淡く輝いているようにも見えて、幻想的に美しい。
「白の皇帝っ」
なりませぬ、と思った女官は一瞬、自分たち竜族の雌よりもはるかに小さく、小柄な小人――白の皇帝の動きを止めようと思ったが、最近では多くを学んだので、小人と握っていた手に力をこめようとするそれを寸前でこらえた。
――この小人は、こう、なのだ。
小人は自分たち女官を困らせたり、手間をかけさせようとしているわけではない。自分たち《火》族の感覚にはない、目についたものに好奇心や興味を示してすぐに心が動くので、本人もほとんど無意識に、ついパッと動いてしまうのだ。
最初は、何て落ち着きがないのだ、と嫌気に近いため息も漏れたが、この小人の衝動はそうではないのだ。
――だから。
何もかも、この小人の好きにさせるのがいちばんよい。
この小人は悪いことをするわけではない。
何より、この小人を御する必要はもうどこにもないのだから。
「わぁ、きれいに咲いている。俺、花冠作りたいなぁ」
言って、白の皇帝は目を輝かせながらバスカヴィルの花を見やり、愛しげに目を細める。
片方の手は女官と手をつないだまま。もう片方の手を伸ばして、摘むかどうかを躊躇う。
そのようすを見て、女官たちはクスクスとやわらかく笑いながら、
「白の皇帝。花遊びはまた明日にでも。こちらで夢中になられていたら、寝宮に姿がないと心配される族長が、居宮中を探しまわるかもしれません」
やんわりと言って白の皇帝の興味を逸らすと、小人も理解したように素直にうなずき、
「そっか……、そうだよね。寝宮で会おうねって《火》神と約束したものね。約束は守らないと」
きっと《火》神のことだ。すぐに酷く心配して、ほんとうに居宮中探し出すかもしれない。そう思うと急におかしくなって、白の皇帝もクスクスと笑ってしまう。
でも……と思い、いまがいちばん美しく咲いている白の花びらを見やり、白の皇帝は空とも水の色ともとれる長い髪の後ろ髪を引かれる思いで花冠作りはあきらめるが、
「バスカヴィルの花びらはね、お茶に浮かべて飲むとおいしいの。でも、ハティの花の煮込み茶のほうが甘い香りも強いんだ」
「まあ、さようでございますか?」
「女官のお姉さんたちはどんなお茶が好き? よかったら今度、俺が淹れてあげるね」
「まあ、恐れ多いことでございます。そのお気持ちだけで、嬉しゅうございます」
女官たちはまだ、小人が語る花の種類や茶の淹れ方に知識がない。
ただ、楽しげに煮込み茶なるものを語る小人の調子に合わせるように微笑みながら言葉を返し、周囲の女官たちはさりげなく目配せし合って、急いでそれを理解しようと心に留める。
――好意的に言われているとはいえ、小人は女官たちの族長である《火》神と理解し合った正式なる寵愛の相手。
すでに客人あつかいでも、庇護の対象でもなく、族長と同等の存在。下々である自分たちのために給仕をさせるなど、あってはならないことだ。
何より、聞けばこの小人は竜族の《祖》であり、世界の《祖》でもある始まりの竜……《原始》が正統な継承者と認めたというではないか。
それがどういう意味なのかは、女官風情である自分たちには理解の範囲を超えているが、とにもかくにも、この小人の立場ははるか高位にあると心せねばならない。
けれども、本人にその自覚はない。
女官たちはどのようなときでも族長である《火》神のためだけに存在するので、その多忙からなかなか休めずにいるのだろうか。そんなふうに思ったのか、小人はやや不思議そうに小首をかしげて、
「じゃあ、お仕事がお休みのときにいっしょにお茶を飲もうね。俺、女官のお姉さんたちともたくさんお話ししたいし」
などとこだわりなく言ってくるため、女官たちはどう答えたらいいのか恐縮してしまう。
――この小人はとにかく、こう、なのだ。
興味があればそちらに行き、何かをしたいと思えば頓着なく誘いを持ちかけてくる。これが、この小人なのだ、と女官たちはようやく学んだ。