第3話 俺は……
前世の記憶を取り戻した彼は迷う・・・前世の自分と今の自分、どちらを生きるべきなのか──
名前とは人間社会における個体を識別する記号、とは思わない。自分でもキャラじゃないと思うけど俺は自分の名前を大事にして生きてきた。名前は人生の印だ。だってそうだろ? 役所の名簿にも、子どもの頃の自由研究の工作にも、珍しく良かった数学のテストにも士堂慧唯って書かれてる。士堂慧唯は俺の、俺の人生の名前なんだ。それはたとえ異世界でだって心が俺である以上変えたくない。
「シドウケイ、それがあなたの前の名前――」
「前じゃない、今だって」
俺の前のめりな主張に天使はいつになく真剣な表情を見せた。
「本当に申し訳ないと思ってる……だけど、あなたは今の人生でフルクトと名付けられ育った。前の人生がどうあれ、今あなたはフルクトなの」
何も言い返せなかったのは理解できたからだ。俺はこの世界で士堂慧唯を生きていない。自論から見ても今俺はフルクトに間違いは無いんだ。
「……でも、でも」
理解できても納得できなくてモゴモゴと言葉の続きを探す。
天使が初めて天使らしい顔をしやがった。俺の頬をくるみ、親指で優しく目元を拭う。凪いでいた風が再び流れて運ばれてきた新しい空気を吸う。俺はまた自分を騙す、騙した気になったことにしよう。そうするしかないんだから。フルクトとして生きていくしか――
「さ! いつまでそうしてんの?」
どこまでも透っていく活き活きした掛け声と共に俺は突き飛ばされ、その拍子に服のポケットに入っていた赤色の木の実がこぼれた。――あ。そういえば色々あって忘れてたけど朝飯の材料を調達する最中だった。多分もう30分くらい経ってるだろな、ということは――
「……ちゃ〜ん、どこ〜? フーちゃ〜ん?」
聞き馴染みのある柔らかい声だ。普段はあまりない焦りを含んでいることからしてかなり不安なのだろう。まあ当然だが。
「誰?」
「やべ! 俺の母親だ! どうしよ!?」
「どうしよって、別に母親なんだからどうもしなくていいんじゃない?」
うっ、言われてみればそうだが……記憶が戻っただけにちょっと気まずいんだよぉ!
「つかお前もやばくねえの? その姿?」
頭の上に輪っかを浮かべ体も若干光っている。日常ではまず目にしない神々しさだ。誰かに見られでもすれば絶対後々突っ込まれるだろう。
「やば! 光ってんじゃん! どうしよ!?」
「とりあえずそれ消せ! あとその輪引っ込めろ輪!」
「ちょっと焦らせないでよ!」
――ガサガサッ
「も〜こんな所で何してたの? 心配したのよって……その子――」
間に合わなかったか。天使のヤツはまだ光ってるし、思い描いた悪いシナリオが実現してしまった。これから怒涛の質問攻めが始まるに違いない。
「――どうしたの? ここらじゃ見ない子だけど、お父さんやお母さんは?」
俺たちの予想とは裏腹に母はむしろ普段の落ち着きを取り戻していた。明らかに人ではない異質な雰囲気を纏う少女を前にしてのこの態度は、逆に母の異質さを濃く感じさせる。一方、質問された天使もこの異質さを感じたのか誤魔化しが間に合わず母に見られた衝撃によってか、はァ……と抜けた返事しかできないでいた。
「…………そっか」
母は一度こちらに目を向けた。俺の目を、鼻を、口を、耳を、手を、足を、ひとつひとつ視線で撫でていく。その瞳の動きから目が離せなかった。何を考えてるんだろう……。息子が無事だったことを噛み締めている、これが無難なところだろう。
十秒ほどして母は天使へと視線を動かす。それにつられ俺も天使を見ると、あっこいつちゃっかり輪っか消してる。
「フッ……よし! 分かったわ。うちへいらっしゃい、ちょうど朝ごはんだったの」
そう言うと母はパンッと手を合わせて一気に立ち上がりスタスタと来た方向へ歩いていった。
――行こう……
「すごい! このサラダ美味しいです! 特にこの赤い実の甘酸っぱさが良いですね! んむっ、こっちも美味しい!」
「でしょ〜? いっぱい食べていいからね〜」
混乱と気まずさで一口も朝食を食べられていない俺の目の前で天使はまるで親しい親戚の家のごとく次々と料理を口に運んでいる。台所からは全くいつも通りの母の声が聞こえる。まだ家に着いて15分くらいしか経ってないんだけど……。二人とも順応が早すぎるだろ。そして薄々感じてはいたけど、この天使、かなり肝が据わってやがるな。
「ほら、フーちゃんも食べなさい」
そう促しながら母は自分の分の料理を持って俺の隣に座った。母の顔は優しかった。12年間毎日見てきた顔。なのに今は全くの別物に見えて仕方がない。
「そーよ。お母さんの料理なんていつまで食べれるか分かんないんだから今のうちに食べときなさいよ。なんならアーンくらいしてもらったらー?」
なんだこいつ。てか流石に馴染みすぎだろ、もしかして本当に親戚か? それか家族なのか? 隣では母が俺たち二人を穏やかに見ている。ついにこの空気に耐えられなくなり、いつもより急ぎめで朝食を済ませた。
「ね、この後いい? 勇者としての準備を始めるわよ」
「へいへい」
食器を片付けながら母に聞こえないようにひそひそ会話する。
「それよりお前この後のこと考えてんのか?」
「この後って?」
見た目相応の子どもみたいに純粋な反応に思わず呆れる。キョトン、とは今のこいつの顔面を表すために存在してる言葉だな。
「お前なぁ……。あの人になんて説明すんのかってことだよ。まさかさっき俺に言ったことそのままお出しする気じゃねえよな?」
「ああそれなら心配しなくて平気よ。ちゃーんと考えてるから」
ほんとかなぁ? こいつのことだし謎の力で洗脳とかしそうだな……。まあ、やけに自信ありげだし今は信じるとしよう。
「ねえお嬢さん――」
言ってるそばから来た! 見せてもらうぞ、お前の策を。
「一応あんなところにいた事情とか聞いておきたいんだけれど……」
「そうですね……お話しましょう」
天使は待ってましたとばかりに神妙な面持ちを作り、ゆっくりと息を吸った。そして――
「実は私は隣国の貴族階級の一人娘なんですしかしつい最近権力争いに負け没落家族は散り散りになり奴隷商人に捕まりそうになった私は命からがら逃げ延びて来たのです」
――やっぱり無理矢理いったあああ! しかも俺の時と同じやり方で! あいつに任せたのはやっぱり間違いだった、あんなめちゃくちゃが通用する訳ない。ここからフォローいけるか?
「マ、ママ……これはその――?!」
「うぅ……ひぐっ……そんなことが……。大丈夫、好きなだけここに居ればいいわ」
めちゃくちゃ通用していた。こんな見え見えの嘘を信じるとはのほほんとしすぎで心配である。
「フッ」
天使は親指を立てて任務完了を密やかにアピールしていた。……まあいいか、何とかなったっぽいから。
「いってきまーす」
「暗くなる前には帰ってきなさいね〜」
天使が快活なあいさつと共に扉を開ける。俺も今まではこんな風にできていたのか。朝の生まれたてのような空気は既に昼が近づき今日という日に馴染んできていた。
「フーちゃんも、いってらっしゃい」
………………
「い、いってきます」
逃げるように出てしまった玄関を振り返ると母は扉が閉まりきるまで手を振ってくれていた。
「よぉし、始めましょうか!」
俺たちは再び森の中の空き地に来た。天使はやる気満々、両手を腰に当ててまっすぐ見つめる目はキラッキラだ。
「で、勇者の準備ってなんなんだよ?」
「そりゃあ色々あるけど、まずは何より強くならなくちゃ!」
「それってつまり――」
「フフン。そう! 修行よ!」
フルクト/士堂慧唯・・・主人公。前回士堂慧唯としての記憶が戻ったせいで今の自分の存在に疑問を抱いてしまっている。
天使・・・フルクトの魂を勇者として送った張本人。八方塞がりになりフルクトを勇者にするという英断(自己評価)をする。図太く強引。
ママ/マムール・・・フルクトの母親。のほほんとしているがどこか抜け目ない。




