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平和の魔王と呼ばれるわけは

「魔族はいつもこんな物を食べているのですか?」


 人間が笑う。明らかな嘲笑をともなって。


「これは、我が国で最も信頼できる料理人に、我が国で最も優れた農家が育てた食材を渡して作らせた物です。これがお気に召さないとなれば、この国で食べられる物はないでしょう」

「ふん、なるほど。では、我々は持ち込んだ物をいただきますよ」


 巨大な円卓。絢爛な調度品。そして、この地に二つとない馳走。その食器に至るまで二流以下の物など一つもなく、およそ笑われるいわれなどあるはずもない。

 そのはずだ。そのはずなのに。


 魔族が人類と和平を結び、丸二年が経過した。今日は、人類から初めてのお客が訪れた記念日だ。

 しかし、どうやらあまり好印象とは言えないようだった。


「寝室に案内してもらえますかな? まさか、木の上で寝ろなどとはもうされまい?」

「……ご案内しろ」


 かつては命を狙いあった勇者と魔王は、結局のところその衝突を避けた。互いに、血を流す事を嫌ったのだ。

 かつては未開であるとされた魔族の土地を、人類は正式に一つの国であると認めた。少ないが両種族間の往来もあり、二年という歳月で国家としての体制は整いつつあると言えるだろう。


 人類は、さまざまな方法で同盟者としての絆を結ぶという。それは婚姻であったり、贈り物であったり、共通の敵であったり、同じ時間を過ごした敬虔だったりする。どれも魔族としては馴染みのない風習なので、関係の構築には大変な苦労があった。

 そんな折、立ち上がった使節団の迎え入れ。国際的な立場を考えて人類国家と友好関係を結びたい我が国としては、これを断る事などできなかった。

 しかし……


「魔王様、なんですかあれは。我々をまるで原始人扱いだ」

「あれが人類の我々に対する対応という事なら、今からでも関係を二年前に戻すべきです」


 人間のいなくなった食卓で、私の信頼すべき忠臣達が、そんな事を言い始める。彼らの言葉は一種の正論ではあるものの、それを認めるわけにはいかなかった。


「今、二年前の言葉を翻せば、未来永劫我らが歩み寄る事はない」

「歩み寄る必要などありますまい! 滅ぼしてしまえばそれで終いなのですから!」

「そのために流れる血を、私は良しとしないのだ。それに、人類の国家との交流によって、我が国の経済は明確に上向いている。悪い話ばかりではない」

「……人類を弁護するつもりはありませんが、魔族奴隷の解放は人魔共存政策の功績かと」

「そんなものは力で解決できた問題だ!」

「よせ、私は争いを好まない」


 私が止めれば、どれほど思うところがあろうと引き下がる。顔には明確に不満であると書いてあるが、それを口に出す事はない。

 これほど信頼のできる部下など、世界のどこを探してもいない。私にはもったいない者共だ。

 比べ、私は……


「……すまないな」

「? 魔王様、何を……?」

「私がもっと大柄であれば。お前達のように見るからに強大であればこうも侮られる事はなかったかもしれない」

「何をおっしゃるのですか魔王様!」

「そうです! 愚かな人類が悪いのです!」


 かけられる優しい言葉は、私の心を微かに抉る。優しければ優しいほどに、自らの当たらなさが浮き彫りになる気がするから。


 頭に戴く二本角。褐色の肌。魔力の発露に伴って光を放つ皮膚の紋様。私が祖先から受け継いだものといえばそれくらいだ。四肢は細く、体躯も人間の少女のようで、肌には鱗もなければ体毛で覆われてもいない。無論、戦えば誰にも(仮に勇者が相手でも)遅れは取らないが、見た目からそれを推し量るのは困難だろうという自覚はあった。


「しかし、何故彼らはあんな事を? 食事が不味かったか?」

「恐れながら魔王様。奴らは食事に手をつけておりません」

「では臭いか? 不快な臭いがしたのなら、なるほど食欲も失せてしまおう」

「恐れながら魔王様。人間の嗅覚は我々ほど鋭敏ではありません」

「ならなんだ? いったい何故あのような態度を? 何が気に食わないと言うのだ?」


 分からない。今日の食事は、人類のそれと大差ないはずだ。調査も、訓練も、試食も抜かりない。ああも鼻先で嘲い、まさか手すらつかないとは何事だったのだろう。


「何も気に食わない事はないな」

「……お前か」


 私達が頭を悩ませていると、聞き覚えのある声がかけられる。いつの間にか食卓に戻り、残された食事を頬いっぱいに貪る人類の英雄である。

 此度の使節団の警護として、彼は再びこの地を訪れていた。

 勇者。史上初めて、魔王の眼前に姿を現した人類である。


「相変わらず油断が過ぎる。こんなに近付くまで気付かないなんてな」

「近付いたからどうだというのだ。お前はこの肌に触れる事すらできぬというのに」


 勇者は肩を竦める。


「……それで? 気に食わなくはないだと?」

「ああ。お前達は人間の習慣をよく理解している。食事も俺達の味覚に適した物だ。見た目も悪くないし、食器類も使いやすい上過不足ない」

「ならば何故貴様らはああも横暴な態度を取るのだ!」

「よせ、落ち着け。しかし勇者よ、私も同じ疑問を抱いているぞ」

「簡単だろ? 奴らは()()()()()だ」


 差別主義。

 なるほど、それは考えられる中で最も困難な答えだ。


 つまり、我々に不備はない。彼らの目的は不備を正す事になく、我らを糾弾する事なのだ。代わりの食事などを用意していたのがその証左。初めから、我らの出した食事などとる気はなかったのだから。

 今後の案内も同じだろう。絢爛豪華であれば品がなく低脳、見窄らしければ矮小な種族。およそ考えられるあらゆる反応の中で、彼らは常に下の下のみを選択する。


「大真面目に考えるのはやめる事だ。あいつらはお前たちの努力にかかわらず、本国に『魔族とか最悪でした。同盟を組むなんて正気の沙汰ではありません』って報告するだろう」

「人類とはなんて奴らだ! 我々の事をあまりにも蔑ろにしすぎではないか!?」


 配下が食って掛かる。それを、私は制止した。


「こうなる事は、始めから分かっていた。我らの中にも、いまだに矮小な人間との同盟を認めぬ者がいる。それを分かっていながら、我らは同盟の道を選んだのだ」

「ならば、此度の狼藉は……」

「不問とする。その後に人類国家へ抗議し、正式な返答をもらおう。安心せよ。人類全てが敵でなどあるはずがないのだ。必ず、友好的な関係を結べる時が来よう」

「……魔王様がそう仰るのであれば」


 私が自信ありげに言うからか、配下は素直に引き下がる。しかし、どう取り繕っていようと、心に残る不安を取り除く事などできないだろう。

 そして、それは私自身も同じだ。あるいはと、もしやと、ともすればと、再び人類と敵対する日を思い浮かべずにはいられなかった。


 勇者は、肩を竦めてよく分からない表情をする。私は、二年前に人魔の共存に賛同した同志であると思う一方で、何を考えているのか分からない不気味さも感じていた。


 それからの日々は、これまでの生を全て合わせたほどにもなる激動だった。

 口を開けば文句しか言わない人間と、それを食い殺そうとせんばかりに怒る部下。その双方の機嫌をとりながら、魔族の文化圏を案内する必要がある。私達を困らせるためだけにわがままを言うものだから、その厄介さは戦時中の勇者も及ばないだろう。その噂を聞きつけた魔族の民達から、人間を連れた視察などごめんだと抗議が寄せられた。それに伴って毎日のように予定を調整し、私の寝る時間はほとんどないようなものだ。

 勇者だけが、静かに素直に厳かに予定を消化している。『魔族の文化を知る事』と『人類を知られる事』による関係構築という名目に対しては、勇者が最も忠実であったと言える。ある時なんて、市井の者から『勇者とは随分と気の良い青年ですね』と声をかけられたものだ、

 ただ、私はあまりにも忙しかったものだから、彼の行動を一々気にしてはいられなかった。


 そして数日たったある日。いよいよようやくこの一行ともお別れだという予定の日。残念ながら事件が起きた。


「まったく、魔族というものは、礼儀の一つも知らないのですな」


 帰る直前。まさしく出立というところになって、一行のうちの一人が不意に声を荒げた。まるで何の事か分からない私達は、互いに顔を見合わせる。しかし、それで分かるのは周りも自分と同じらしいという事実だけだ。


「どうかなさいましたか。我々に何か不備が?」

「ふん、よくもそれだけとぼけられるものですな。まさか我々の相手を、こんな子供に任せておきながら!」

「子供……?」


 私を指差し、唾を飛ばしながら叫ぶ。


「我々の相手など子供で充分だと! 魔族はそうおっしゃりたいらしい!」

「おお、やはりそうであったか。おかしいとは思っていた」

「魔王がそんな子供であるはずがない」


 人類からは、賛同の声が上がる。私達としてはただただ困惑するばかりだ。


「人類には見分けが難しいかもしれませんが、私は齢70ほどになります。そして、偽りなくこの地を五十年納めた魔王に違いありません」

「人類には! 聞きましたが皆さん! ()()()()()()と言いましたよ!」

「なんという差別発言か! 決して許してはならない!」

「これは重篤な国際問題ですぞ!」

「いや、そんなつもりは……」

「言い訳はよろしい!!」


 きっと、初めからだ。

 初めから、私達からこの言葉を引き出すつもりだった。それはもしかしたら魔族主義の言葉かもしれないし、あまりに無知な言葉かもしれない。私達の言葉を曲解し、人魔の同盟に不利な要素としてあげつらうつもりだったのだ。

 初日からの態度も、そのための布石だ。私達を煽り、言葉を引き出すための。

 彼らの言動は確かに問題ではあるが、全員で口裏を合わせてしまえばもみ消す事など容易いのだから。


 これが、私の二年を費やした結果である。


「何の真似だ貴様ら!!」

「よせ……!」

「ああ、恐ろしい恐ろしい!! 魔族に脅されてしまった!」

「国から正式に講義させてもらいます!」

「貴様ぁ!!」


 やめろと叫んだ。やめてくれと願った。願っただけでは、何もならないと知っていたのに。

 あるいは、無謀だったのかもしれない。闘いしか知らない私が、政を行うなど。壊す事ばかりが得意な手で筆を握り、砕く事ばかりが得意な足で駆け回り、慣れない事ばかりをやっていた振り戻しが来たのだ。

 竜が壊さないように鳥の卵を温められるだろうか? クジラが潰さないように稚魚をなでられるだろうか? 私がしていた事など、結局は卵を壊して稚魚をつぶしていたにすぎないのだ。


 目の前で、配下と人類が争っている。その光景は二年前と全く同じで、私の理想からは遥かに程遠い。

 たんなる挑発だ。たったそれだけで崩れてしまうようなものが、私がどうにか組み立てようとしていたものに過ぎない。確固たるものにできなかったのは私の落ち度であり、私の力不足は疑う余地もない。

 人間だけのせいではない。人間だけのせいならば、こんな事にはならない。この事態を引き起こしたものの一端は、魔族の中にある差別意識なのだ。

 人類程度に好き勝手言わせておく事が、彼らは我慢ならなかったのだ。意識の改革だとか国交の開拓だとかいろいろな事に着手しておきながら、こんな身近な相手の感情も理解していない。私の二年間は、ただため込まれた不満を爆発させる事にのみ役立ってしまったのだ。

 もう、魔族と同盟を組むような国など一つもない。彼らは国に帰れば『魔族は人類を見下す差別主義であった』と報告するだろう。我らがどれほど弁明しようと、同族の言葉こそを尊重するのは想像に難くない。

 無駄だった。私だけの力では、もはや収拾のつく状況ではない。


 ――そう、私の力だけだったなら。


「お前ら黙れ」

「ぼごぃぉッ!?」


 飛ぶ。飛ぶ。人類が飛ぶ。

 知らない者のために説明すると、多くの人類は空を飛ばない。


「ゆ、勇者様! 一体何をなさるのですかボゲぇ!?」

「仕置きだよ。お前らが悪い」

「あ、あなたは我々の護衛ですぞ! 今にも手を出しそうな魔族の方こそを始末すべきでしょうだガァ!?!!」

「どう見ても手ぇ出さないし、魔族側悪くないし」

「ゆ、勇者……暴力は良くない……」


 勇者は人間を説教しながら殴りつける。一応平手なので手加減はしているようだが、私でも引くくらいにボコボコだった。


「いや、こういうのはちゃんとした方がいいから。ハッキリした方がいいから」

「でもやめとけ、泣いちゃってるし……」

「泣く子も黙る魔王が何言ってんだよ!」

「二年前までの事だろ!」


 なんか配下も怖がっちゃって逃げ腰だから私が自分で引き剥がす必要があった。いくら勇者といえども、魔王と腕力勝負では話にならない。ただ、真顔で追撃を加えようとする勇者がちょっと怖い。


「いいだろ別に? 俺人間だし。国際問題にゃならないって」

「可哀想だって言ってるんだよ!」

「嘘をついて戦争を起こそうって輩だぞ。情けは世界のためにならないって」

「ゆ、勇者様がご乱心なされた!」


 大の大人が情けないと思うだろうか? しかし、彼らを襲っているのは、ただの一人で魔族の軍勢を退けて魔王の眼前に姿を現した勇者である。私でなければ単独で抑える事はできず、勇者が少しでも手加減をしくじれば亡骸も残らない。

 恐れて恐れすぎという事はないだろう。逃げて逃げすぎという事はないだろう。震えて震えすぎという事はないだろう。

 なにせ大袈裟ではなく、命の危機なのだから。


「おい、使者の皆さんをお連れしろ!」

「はい! このままでは死者になりかねませんからね」

「やかましい!」


 かなり引いてる配下に命じると、混乱しすぎて訳わからない冗談を言い始めた。


 その場にいた全員が全力で逃げ出す姿は、種族に関わらず息がピッタリだった。こんな状況ではあるが、人類と魔族の未来に希望が持てる。


「ほら! もういなくなったから! 落ち着け!」

「……もうちょっと締めといた方がいいと思うんだが」

「締めんな!」


 勇者の胸ぐらを掴み、体重をかける。右に動けば左へ。左に動けば右へ。押さえつけているわけではないが、動きはかなり制限されるだろう。


「何のつもりだ貴様!」

「俺が暴力を振るい、お前が押さえる。これであいつらの印象もだいぶ良くなったろう。それに、俺を押さえられる者をただの子供などと、おかしな事も言えなくなる」


 勇者はしたり顔だ。しかし、その答えは私を満足させるものではなかった。


「お前はそんな打算的な男ではない! 国家間の問題ならば、国に帰ってから奴らの言葉が偽りであると証言すれば済む話だろう! 正直に言え! 何のためにこんな事をしたのだ!」

「……全く、敵わないな。あの時同盟の道を選んだのは間違いじゃあなかった」

「誤魔化すな!」


 一つ、ため息。

 自信なさげな、恥ずかしげな、弱々しげな、そんな、今まで見た事のない勇者の姿だ。

 そして……


「好きな女が馬鹿にされたからな……」

「は……?」

「頭に血が昇って……我慢ならなかったんだ……」

「ん? は?」


 言っている意味が、理解できない。

 好きとは? 我慢ならなかったとは?


 勇者は、私から目を逸らす。よく見れば、やや頬が赤い気もする。


 は? いや……は?


 ◆


 世界などどうでもよかった。人魔の共存など考えた事もなかった。俺はただ、心を奪われてしまっただけだ。初めて見た魔王に。生れてはじめて恋をしたのだ。


 魔王と敵対する事に我慢ならず、どうにか友好的な関係を結ぶように努力した。同盟の話も、使節団の護衛も、全ては魔王に近付くための口実だ。国では平和の象徴などと言われてはいるものの、実際には恋にうつつを抜かしたに過ぎない。

 もちろん、そんな事は誰にも言えない。幻滅されれば勇者の任を解かれるかもしれないし、そうなればもう魔王には会えないかもしれない。

 それだけは、許容できなかったからだ。


「色ボケ勇者」

「…………」

「脳みそお花畑。人類の裏切り者。色情魔」

「返す言葉もない……」


 事情を聞いた魔王は、俺の事を思いつく限り罵倒した。すべてが、反論の余地のない正論である。


「お前が同盟の話をしたときに、私は感心したのだぞ。だからこそ今日まで力を尽くしたのだ。あの時私の体目的だと知っていればお前の口車になど乗らなかったというのに」

「か、体って……」

「合ってるだろうが」


 鋭い目が向けられる。その瞳すら好きになったのだが、どうにも居心地が悪くて仕方がない。

 こうなっては、もう関係の構築など望めないだろう。一時の癇癪で失うには、あまりにも大きなものを失ってしまった。女性は性的な事に対する嫌悪感が強いというし、こうも悪く取られてしまっては言い訳も効きそうもない。

 だが、公開しているわけではない。あの使者たちを好きにさせておく事は、俺の良識が許さなかったからだ。

 仕方のない事が重なった結果である。だから、潔くあきらめようと、そう思っていた。


 ――そう、思っていたのだ。


「お前にはこれから、私に全面的に協力してもらうぞ」

「え……?」

「え、じゃない。はいと言え」

「は、はい」


 思ってもみない言葉をかけられ、間の抜けた返答をしてしまった。


「お前は、人類でも信頼の厚い英雄だな?」

「は?」

「返事」

「え、あ、自分で言うのもなんだが大体そうだな」

「お前の一挙手一投足が強い影響を与える」

「ま、まあ、多分」

「そして、老若男女問わず好意的に思われている」

「比較的そうかな……?」

「そんなお前は、私の事が好きと」

「……あ、改めて言われると恥ずかしいな」

「よし、結婚しよう」

「うん……うん?」


 聞き違いか?


「私と結婚しろ。勇者」

「ん!?」

「結婚……あれ? 『結婚』であってるよな? なんか、愛する二人がつがいになるやつだ」

「合ってるね!? 聞き違いかと思ったわ!」


 なんか会話がつながってない!!


「え、な、なんで? なんでいきなりけけけ、結婚?」

「人間は婚姻によって関係性を強めるのだろう? 同盟を結ぶために相手の国に姫を送る文化があると聞いたぞ」

「言い方は悪いけど大体そうだな」

「だからお前が私の国で暮らせ。今回のような事は二度とごめんだからな。手っ取り早い同盟関係の強化がしたいのだ」

「横暴すぎる!」

「嫌か?」

「…………」


 ほんのわずかな時間ではあるが、返答を考える。

 俺が理想としているのは、どちらかといえばもっと庶民的な関係性だ。こじんまりとした家に暮らし、子供は一人か二人。裕福ではないが幸せな家庭を夢見ていた。

 この提案には、俺の理想が何一つ含まれていない。欲しいものが手に入らないのだ。たった一つ、魔王を除いて……


「お前、難しい顔をしているな」

「と、当然だろ。急に言われてはいってわけにはいかない」

「難しく考えているからだろう」

「……と、言うと?」

「私が、魔王である私が、ほとんど何でも好きにできた私が、好きでもない奴に結婚なんか申し込むわけがないだろう」


 時間が、止まる。自分の顔が熱くなるのを感じて。

 魔王が、わずかに目を逸らす。その様が、たまらなく愛おしかった。

 だから……


「よ、よろしくお願いします」

「よろしい」


 ◆


 勇者と魔王の婚姻の情報は、瞬く間に世界中を飛び交った。誰もが驚愕をもって迎え入れたこの事実ではあるが、勇者本人が魔王と各国を回るという疑う余地のない証拠を提示してしまう。

 人類にはいまだに多くの魔族差別者がいたが、勇者の存在は表向いての魔族差別へのけん制として大きな役割を持つ事になる。


 これを皮切りに、魔族は人類国家と良好な関係を築いた。


 そして、当の勇者は魔王の城で暮らす事になる。後の世には、三人の王子と二人の姫に恵まれ、何不自由のない暮らしをしたと伝えられていた。

 しかし、勇者の理想がほとんど叶えられていない事については、終ぞ本人以外知る事はなかった。

 なにせ、彼はいつでも幸せそうに笑っていたから。

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