02-03 魔女は安寧から逃げ出すか
小さな村で必需品を買い与えられて、疲れただろうからと早めに寝室に戻された夜。
私は夜中まで眠らず、部屋の中でじっと耳を澄ましていた。
(どこでもいい、ここじゃない場所へ行こう。どこも酷い場所だろうが、悪意がはっきりしているだけマシだ)
エスターが部屋に戻り、フォルドは仕事に行くと家を出た。
そして私の求めていた静寂が訪れる。
(私は恨んで、世界を壊して、聖女とその取り巻きに報いを受けさせる。その流れで処刑されるなら、それでいい。けれどこの感情が、うやむやになるのだけは嫌だ)
まともな食事と睡眠を取って回復した体は、安寧の家から静かに出ていくことを可能にした。
扉を通る時に少しだけ胸が痛んだものの、無視して夜になった外の世界へと飛び出していく。
(夜の異世界は、きっと魔物がそこら中に潜んでいる。けど、逃げるなら今しかない)
安寧の家は丘の上にあり、その周りを森が覆っている。
見通しは良くないが、隠れるのも苦労しなかった。
(虐待に魔物も使われたからな、そういう存在がいるのも分かってる)
日本にはいなかった生き物が、あの地下室で幾度か私の体をかじっていた。
欠損している部分はないから、長時間は使用していなかったのだろう。
地下室にいた私にはまともな時間感覚がなかったから、よく分からないけど。
(でもここで魔物にでも殺されれば、奴らの計画は全て狂うんじゃないか? それも悪くない考えだ)
魔女が処刑される過程が重要なのであれば、予定してない場所で殺されたら慌てるのではないか。
格下だと思ってた相手に噛みつかれるのは、どんな気分なのだろうか。考えただけで、胸がすく思いだ。
(何でもいい、とにかく滅茶苦茶にしてやりたい)
恨みが先に募って、思考がまとまらなくなる。
生存よりも先に、破壊を優先したくなる。
けれどその感情も、闇夜を裂く雄叫びに殺された。
「————————!」
(ちっ、やっぱり出たか)
異世界の、まして夜の森の中に何もいないとは思っていない。
出会わなければ幸運だっただろうが、ここ最近の運勢はおそらく最悪だ。
(まだ気づかれてはいない。しかし足音的に、結構大きめだな)
ここは森の中だ、隠れる場所はいくらでもある。
私は深い茂みの中に身を隠し、唸り声の元を探した。
(……背中で、何か光っている?)
獣はすぐに見つかった、暗い森の中で光っていたから。
目を凝らしてみると、白い傷跡のような何かが輝いていた。
そして獣の声以外が、耳に届いてしまった、
「——テラ! ヘテラ、どこだ!?」
(嘘だろ、もう追ってきたのか)
ここ数日の中では一番良く聞いた声が、私まで届く。
けれど今この声を聞いているのは、私だけではない。
(このままだと、アイツまで巻き込まれる)
あいつがどこにいるのかは分からないが、大声を出している時点で獣の存在は把握してないだろう。
放っておけば、獣はすぐにエスターの元に駆けつける。
(いや、でも巻き込まれたほうがいいんじゃないか? アイツが私に何かする前に)
エスターが獣に襲われているうちに逃げ出すというのは、私が使える一つの手段だ。
追うものを足止めし、同時に危機の標的を逸らすこともできる。
(でも、アイツは私に何もしていない)
どういう理由であったあとしても、エスターはまだ私に何もしていない。
やった事と言えば、ただ世話を焼いただけ。
罪のない者を見捨てれば、私も白衣の男たちと同じになる。
(とりあえず、今は助けよう。裏切ったら、その時に対処すればいい)
ここでエスターを見捨てるのは、さすがの私でも気が引けた。
私の目的は確かに復讐だが、それはこの男に対してではない。
「エスター、こっちだ! ……っ」
「ヘテラ!」
エスターを呼びながら茂みから身を乗り出したが、視界が反転する。
戻ってきたと思っていた体力は、ただの過信だった。
体を支えていたはずの足は力なく崩れ、体を段差の下へと投げ出させる。
(崖下に落ちる!)
あまり高さはないが、咄嗟のことで受け身が取れない。
だが反射的に伸ばした手を取ったのは、先ほどから叫んでいた声の持ち主だった。
「すまない、エスター」
「俺は平気だ、それよりヘテラは!?」
小さな崖下に転がり落ちる前に、長い指に捕まえられて引き上げられる。
私の失踪に気づいてから走り通しだったのか、エスターの息は短く切れていた。
(まるで心配してるみたいだ。いや、コイツの場合は本当に心配してるのかもしれない)
私が窮地に陥っているのは、誰がどう見たって私の自業自得だ。
充分な体力もないのに、急いてあの家から逃げ出したのだから。
それはさすがに彼も分かっているだろう、なのになおもこの美しい青年は私を気にかける。
「なぁ、そんなに私がいなくなると大変なのか」
自分の身にそれだけの価値があるとは思えず、私はぽつりとエスターに問う。
どうせ殺される存在なら、どこで死んでも同じではないのか。
それとも、そんなに処刑で殺すという過程が重要なのか。
けれどエスターの答えは、そのどちらでもなかった。
「大変じゃなくて、心配なんだよ!」
「どうしてだ?」
エスターの答えは人として正しいのだろう、けれど私が知りたいのはそこに辿り着く為の理由だった。
それが分からなければ、私はいつまでも誰も信用できないから。
「どうして、って」
「もう芝居は打たなくていい。私は何に使われるんだ」
無償の愛は家族とか、関係がある存在に降り注がれるものだ。
この青年と私には何の繋がりもない、だから彼を信じるには納得できるだけの理由が必要だった。
「この悪意塗れの異世界で、嘘であってもお前たちは私を大切した。だから少しくらいなら、目的に協力してやってもいい」
獣の徘徊する森で息を潜めながら、私は少しだけエスターに利用されても良いと伝える。
完全でなくともこの数日間は、確かに私を癒した。
であればその礼に彼が求めていることをするのは、私に害のない範囲であれば問題ない。
だがエスターは、私が欲しがっている答えを持ち合わせていなかった。
「少なくとも俺に、ヘテラが思ってるような目的はないよ。信じられないと思うけど」
「じゃあ何で追ってきた?」
信用する気はないが、少しくらい協力してやってもいい。だからその為に、黒い理由が知りたい。
そう言っているのに、エスターは求めている答えを返してくれない。
けれどエスターの持っていた理由は黒くない代わりに、私が想像していたものでもなかった。
「同じ立場の仲間が欲しいっていうのは、理由にならないか」
「同じ? お前が?」
傷一つないこの美しい男が、私と同じ立場とはどういう冗談だろうか。
それとも何かに利用されるために、彼は健やかな状態を保たれているのだろうか。
(コイツも搾取される側だっていうのか)
私が知らない犠牲の役割を、エスターも負っているのだろうか。
そうであれば、彼の言葉にも辻褄が合う。
「ヘテラは魔女だろうけど、俺は癒しの一族の末裔なんだ」
「その一族っていうのも、迫害されているのか」
エスターの言葉に、私は問い返す。対話を、試みる。
この世界で与えられた役職によって差別を受ける、それならば、彼も私と同じだ。
そしてエスターは私の推測に、頷いた。
「そうだ。この世界では教会が薬を管理しているけれど、薬を作れるのは癒しの一族と聖女しかいない。そして教会は薬の供給元を独占して、利権を得ている」
(なるほど、話が見えてきた)
私に訴えるエスターの声は、震えている。
それは未だ私たちを見つけられない獣に対してではなく、仲間を取り入れられるかによる緊張だった。
「俺は幼い頃から、先生の所で保護されている。だから外の事は、ほとんど知らないんだ。ヘテラ以上に何も知らないかもしれない」
月明かりに照らされた青年は、怯えながらも美しい。
行動するには邪魔になるほど長い髪も、生きているのに傷一つ見当たらない白い肌も。
(何もかもが綺麗だ、きっと荒事なんてしたことがない)
肉体の造形以上に、彼の美しさは守られているという事実から来ている気がしていた。
だからこそ疑いも殺意も、彼は持っていても足りていない。
(つまりコイツが、私を利用できる可能性は低い)
男女差などを考慮しても、本気で抵抗すればエスターは私に負ける。
そう考えると、途端に彼に対する敵意は薄れた。
「分かった、信じてやる」
今まで同じ立場の仲間を見つけられなかったのは、私も同じだ。
だからエスターが私を見つけた時の気持ちは、少しだけ分かっていた。