10-04 復讐の、その後は
「エスター、来てくれて良かった」
「どうしたんだ、ヘテラ」
人気のない部屋へ私に呼び出されて、エスターが不思議そうにしている。
最近はお互いに紋章を集めまわったり、本来聖女にまわってくる依頼の穴を埋めるので忙しかった。
けれどそれが落ち着いた今、話さなければならないことがある。
「今までずっと謝りたかったんだ、だから呼び出した」
「ヘテラ、謝るようなことしてないだろ」
困った顔をして、エスターが私を見つめてくる。
けれどそれは彼が自覚していないだけだ、私もそれを頭の隅に追いやっていたから。
知っているのに、分かっているのに、自分の為に仕方ないことだと言い聞かせ続けてきた。
「私は、お前をずっと傷つけてきた」
「俺は傷つけられてなんかいない。剣を持ったのは自分の意思だ」
「それだけじゃない。最初から私はずっと、利用する為にお前を抱え込み続けていた」
罪の始まりは、聖女の印をつけた魔物の夜から。
あの夜を二人で乗り越えた経験で誤認させて、私を唯一の理解者だと勘違いさせた。
「結果的にはお前の命を救うことにはなったかもしれない。けれど結局は、私の身を守る為だ」
裏切らない、裏切れない、私だけの誰かを。
そしてその条件に当て嵌まったのが、エスターだった。
本当は私だって、カルティと大差ない。
「お前は力がないから私でも抑え込めると思ったし、フォルドに対しては人質になると思っていた。そう思わなくなってからも、一人になるのが怖くて連れまわした」
互いにできることが違うから、一緒にいれば補える。
そんな綺麗ごとで、何も知らない子供のような青年を連れまわし続けてきた。
最初は少しだけのつもりだった、だがその環境に慣れてしまってから歯車が狂いだした。
(初代聖女のように、死んだって一人で戦うべきだった。カルティとエスターに接点などなかったのだから)
エスターはカルティに人質にされたことがあるが、それだって私と関わらなければ防げたことだ。
最後まで慣れる事がなかった剣を持つ事も、勇者の紋章を覚醒させることもなかった。
(命がけで、魔王に挑む羽目にもならなかった)
結局フォルドが避けたかった悲劇を、全て引き起こしてしまった。
そんな私は、もうコイツと一緒にいない方がいい。
「だからもう、お前のことを解放しようと思う」
本当はもっと早く言わなければならなかった、その機会はあったのに。
いつまでも、私は自分の都合で彼を縛ってきた。
けれどエスターは私の言葉を聞いて、驚いた顔になった後に笑みを浮かべる。
「ヘテラは閉じ込められていた頃の、傷一つなかった頃の俺だけが好きなのか?」
「そういうわけじゃない」
出会ったばかりの美しいだけの青年に対する感想は、手違いで出会ってしまった立場の違う人物だった。
傷だらけで精神が手遅れなくらいにねじ曲がった自分と、天使のようになにもかもが清らかな存在。
数日暮らしてみれば、ただの人間だという事は理解できたが。
(でもそれで幻滅したという事もない)
美しくて無垢な彼は、海外の美術館で見た彫像のような作り物感を強く感じていた。
だから触れられるのにも壊してしまうのではないかという恐れを抱いたし、私を見て喋っているのすらどこか信じられなかった。
虐待で壊れた精神ですら、そう感じさせられていた。
(けれど、私は人間らしさを孕んでいる方が好きだ)
子供のように一途で、空回った善意の塊で、最初は悪意すらまともに受け取ることもできなかった。
でも今はきちんと人を嫌って、自身の意見を主張することもできるようになっている。
(だからこんな風に問われたら、勘違いしそうになる)
彼が自分の意志で、私を選んでいるのだと。
そうじゃないことは、とっくに分かっているのに。
「なら俺と一緒だよ、俺は今も昔もヘテラが好き」
いつの間にか壁に両手をつかれて、私の逃げ道は奪われた。
手を振って追い払おうとするものの、いつもならすぐに離れるのに今日に限ってびくともしない。
だから諦めて見上げれば、エスターの顔がすぐそばにあった。
「おい、退け「俺はヘテラと一緒にいるのが好きだから、ずっと一緒にいたんだ。怖かったからじゃない」」
言い終わる前に否定されて、言葉が喉の奥に消えていく。
けれどエスターはその隙を逃さず、さらに顔を近づけてきた。
「だから解放するなんて言わないでくれ。少なくともそれが理由じゃ、俺は離れない」
じっと見つめられて、視線を逸らすことができない。
今までずっと利用してきたのに、そんな私になぜまだ執着してくるんだ。
そう言おうと思っても、上手く声が出せなかった。
まるで何かを期待するように、心臓の鼓動が高鳴ってうるさくて唇を噛み締める。
「おい、距離をつめるな!」
「でも今の俺も嫌いじゃないんだよな? さっきも否定しなかったし」
背中に腕を回され、ぎゅっと抱きしめられる。
確かにエスターの言う通り、私は彼が嫌ではない。
だがそれを言ってしまえば、取り返しのつかないことになる気がした。
「そ、れは!」
「ね、俺の恋人になってよ。ずっと好きだったんだ」
私が口ごもると、エスターはこつんと額を合わせてきた。
そうして間近で見る瞳には、作り物には宿らない熱が籠っている。
「ヘテラは俺のこと、どう思ってる?」
耳元で囁かれるように尋ねられ、ぞくりと背筋が震えた。
それに気づかれないよう必死に堪えている間にも、エスターの少し緊張した視線が降り注いで逃げ道を塞がれる。
だから私は否応なく、彼のことについて考えさせられてしまう。
(最初だったら、解放しようだなんて思わなかった。手元に置いて、苦しむ様をずっと見続けてやった)
裏のない善意にすら牙を剥いて、自分以外の何も信用できなくなって、八つ当たり先を必死に探していた。
だから彼に救われているのは分かっているのに、それでもそっけない態度を取り続けていた。
それに内心傷ついていることを、知っていたのに。
(けれどいつからか、それが逆転した)
エスターを味方につけるためにフォルドと話し合ったり、依頼のために二人で奮闘し始めたあたりから、私は以前ほど冷たく接することができなくなっていた。
その頃には他者に抱いていたはずの恐れも感じず、エスターに対しては守るべき相手として認識している節すらあった。
けれどその感情は、家族に感じるような親愛の情に近かったはずだ。
(それがいつからだ、こんなことになったのは)
明確にいつだったかは覚えていない、エスターへの感情はいつだって罪悪感と隣り合わせだったから。
けれどこうして触れられて、見つめられていると自分の気持ちがよく分からなくなる。
(このままでいいはずがないのに、今の私にエスターの想いを受け入れる資格はないのに)
この温もりを失いたくないと思う一方で、早く突き放さなければならないと理性が叫ぶ。
どうすれば最良なのか、答えがどこにあるのか分からない。
それなのに時間だけがゆっくりと過ぎていく。
(むしろ抵抗を諦めたふりをして、されるがままになっていることが常態化していたじゃないか)
エスターに触れられた部分が心地よくて、いつまでもこうしていたいと思う時がある。
それを自覚した瞬間、かっと頬が熱くなった。
でもきっと、それが答えだ。
(嫌いなら本気で抵抗するだけだ。そうじゃないから、答えは決まってる)
今だって本気で抵抗すれば、エスターの腕から本当は逃げることができる。
力云々ではなく、エスターは本気で私が嫌がることはしないから。
だからもう、観念するしかない。
「わ、たし、も。……エスターのことが、好きだ」
絞り出した情けない声に、思わず死にたくなる。
けれどもう遅い、口にしてしまった言葉は消えない。
だからエスターの顔をまとも見ることもできなくて、顔を隠すように俯いた。
「嬉しい。じゃあ俺たち、恋人だな!」
「う、あ」
(キスされた!)
額にだが。
けれど恋愛経験のない私はその程度でも、頭が真っ白になるくらい混乱してしまう。
「真っ赤だ、かわいい」
(この野郎!)
笑顔で覗き込まれ、振り切れた羞恥が変質して殺意になる。
だからいつものように怒鳴ろうとしたのに、今度は唇を重ねられて言葉が途切れた。
「一生守るよ、ヘテラ」
そう言って優しく抱きしめられると、なにも言えなくなってしまった。
だってその言葉は、私がずっと欲しかったものだったから。




