02-02 魔女は安寧から逃げ出すか
家の中をゆっくりと、一つずつ確認してまわっていく。
日差しが柔らかく降り注ぐ家の闇を見つけようと、静かに歩き回る。
(人身販売をしている形跡はないな、隠しているだけかもしれないが)
誰かが抵抗した様子はないか、悪意に塗れた道具はないか。
なんでもいい、アイツらが信用できない連中だという証拠が欲しかった。
(もしくは処刑まで生かす為に、あそこから救い出されたのか?)
今考えると、そういう線もありえるだろう。
いくら迫害対象だとはいえ、白衣の男たちが魔女は処刑にて殺さなければいけないと言っていた。
でなければ、最初から首でも落とせば全て解決だったはずだ。
(それなら理解できるな、あの虐待男はやりすぎたのかもしれない)
白衣の男たちが思っていたよりも酷かったから、私をあの貴族の元から引き剥がした。
それなら筋は通る、少なくとも何もないのに救われたと考えるよりは。
(でも恐らく他殺はできるはずだ、でないと処刑もできないから。それとも、処刑までは死なないようになっている?)
魔法がある世界であることは、既に実証済みだ。
だから常識外のことが起きても、納得するしかない。
(考えても考えても、分からないことばかりだ)
静かな場所に腰を落ち着けて頭を捻っても、あくまで想像の域を出ない。
突然常識の通じない場所に飛ばされ、挙句に迫害対象にされてしまったから。
しかし、それならどうして世界に害なす存在をわざわざ呼び寄せたりしたのだろうか。
(魔女。世界を恨み、滅ぼす女。それはお前達が作ってるんじゃないのか)
そもそも表向きだけでも厚遇しておけば、私は処刑当日まで害意など持たなかったのに。
(でも鏡の中の私は、確かに魔女に見える)
長いこと手入れをされなかった髪は伸び放題で、その隙間から見える目からは殺意しか感じられない。
ここに来る前の私であっても、魔女と説明されれば納得する。
世界を滅ぼす、長い髪の女。
「……そうだ」
じょきんと鉄の擦れる音がした後、長かった髪が床に落ちる。
それを適当に掴んで、近くにあったゴミ箱の中に押し込んだ。
「ヘテラ! お前、髪!」
「あぁ、切った。これで女には見えづらいだろう」
近くを通りかかったエスターが私の外見の変化に気づいて声を上げる。
前世から伸ばしていた髪を、首の付け根まで切り落とした。
今までは腰に届く長さだったのだが、今はショートヘアになっている。
これでもう、女だと思われることはないだろう。
(前髪は伸ばしたままだけど)
この世界でも、前の世界でも、見たくないものは多い。
それに他人の視線も、遮られればいいと思った。
けれどその男はそう思わなかったらしい。
「先生ーーーーーーーー!」
「うるさい! その程度で人を呼ぶな!」
エスターは大声で叫びながら、部屋の外に呼びかける。
既にどたどたと重たい足音が聞こえているから、呼ばれた男はこちらに来てしまうのだろう。
「ヘテラ、好きで切った訳じゃないだろ」
「それはそうだが」
「そんなことどうだっていい」と言おうとして、口を閉じる。
目の前の美しい青年が怒ったような、なのに悲しげな顔をするから。
(なんでお前がそんな顔するんだ、まるで本当に心配してるみたいじゃないか)
お前には、なんの関係もないのに。
けれどそう言おうとして、なぜか口が動かなくなった。
だがすぐにフォルドが部屋に入ってきて、答える必要もなくなる。
「おいおいどうした」
「ヘテラがめちゃくちゃ髪切った!」
悪いことをした子供を大人に言いつけるように、エスターはフォルドに報告する。
だが私は何も悪いことはしていない、現にフォルドも困り顔だ。
「これはまたばっさりいったな」
「魔女は女だ。なら髪を短くして男装すれば、少しは目を欺けるだろう」
「言いたい事は分かった、じゃあ整えてやるからこっちに来い」
私が髪を短くしたことを特に否定せず、フォルドは私を呼び寄せた。
そしてそのまま椅子を引き寄せ、私に座るよう伝える。
「エスター、毛生え薬を用意しろ。それで伸ばしたら、また短く整える」
「分かった、すぐ作ってくる!」
フォルドの言葉を聞いて、エスターがすぐに反応する。
しかしあの美女のような男が毛生え薬を作るのは、イメージに合わなかった。
(フォルドが使っているのか?)
だがフォルドを見ても、この中で一番毛量が多いように見えた。
薬で増やしているのかと考えたが、髪の痛み方から天然物の可能性の方が高い。
「で、どれくらいで整えるとするか」
エスターが薬を用意している間、フォルドは私に希望を聞いてくる。
けれど私としては、第一印象で女に見えなければそれでよかった。
「適当でいい」
「あんまり短すぎても目立つぞ」
(確かに)
女に見えなければ良いという考えが先行しすぎて、溶け込むことを忘れていた。
正体を隠すために髪を切るのに、目立ってしまっては意味がない。
「先生、持ってきた!」
「じゃあ毛先に少しづつ掛けて伸ばせ。肩辺りまででいい」
「分かった! 沁みたら言えよ、ヘテラ」
エスターはそう言って、瓶に入った液体を髪に振りかける。
そしてフォルドがわしゃわしゃと、短い髪に揉み込んでいく。
すると、じわっと髪に染み込むようにして、髪が伸び始めた。
(手が暖かくて、気持ちいい。眠くなる)
髪を整えてもらうなんて、いつぶりだろうか。
本当にすぐ髪が生えてくることに一瞬驚いたものの、それも一瞬で霧散して瞼が落ちてくる。
(——いけない! 気を緩めるな、私!)
あの家にいた、昨日までのように。
だから今も油断はできないと自分を叱咤するが、それでも身体が重くなっていく。
(駄目だ、寝るな!)
そう思うほどに、意識が沈んでいきそうになる。
この世界に来てまだ数日だというのに、私は随分気が抜けてしまった。
「さて、そろそろ切るか」
「っ」
けれどしゃきん、とさっきより軽い音が、私のうなじで鳴って目が覚める。
その音に私はひどく震えてしまい、フォルドどころかエスターにも気づかれた。
「ど、どうしたヘテラ」
「あぁ、俺が持っているハサミが怖いのか」
(くそ、バレた)
一瞬のことだったから何とか隠そうとしたが、二人にはバレてしまった。
弱みを見せることは、私にとって何より避けたいことだったのに。
「べ、つに。平気だ」
自分で持っていた時は平気だったのに、他人が持つと酷く恐ろしい。
それはあの暗闇の中で、脅しの音の一つとして聞いたからだろう。
「無理をするな。先が丸い物があるから、それを使えばいい」
「首回りも布で覆った方がいいな、今持ってくる!」
けれど二人はさっさと鋏をしまい、またばたばたと動き出した。
特に私を責めるでもなく、ただ気を使うように。
「……そこまでしなくていい」
(随分と手を掛けるな、処刑までの相手だろうに)
この二人にとって、あくまで私は生きてさえいればいい存在のはずだ。
それとも少しでも懐柔して、脱走の可能性を無くそうとしているのだろうか。
「エスターが幼い頃にやっているから慣れている、そう手間でもない」
「そうそう、俺だって沢山やってもらったからな! 次はヘテラの番だ!」
そんなことを私が考えているとも知らず、エスターとフォルドは散髪の用意をし続けている。
午後の柔らかな陽が降り注ぐ家の中で、家族の真似事をしながら。
「——これでどうだ」
何度も丁寧に髪を切り落とした後、フォルドが聞いてくる。
鏡に映った私は長い前髪から鋭い目を見せる、少年のように見えた。
「いい、と思う」
「似合ってるぜ、ヘテラ!」
椅子の背に寄っ掛かりながら散髪の様子を眺めていたエスターは、太鼓判を押す。
そして切った髪を手早く処分したフォルドは立ち上がり、床に転がっていた鞄を肩にかけた。
「じゃあこの後は服を買いに行くぞ。男装したいなら、そういう店で見ていけばいい」
「よし、久々の外出だ!」
私の答えは聞かず、二人はあっという間に外出の用意をした。
私は特に用意するものもなかったが、フォルドに大きめの外套を着せられる。
「先生に甘い物ねだろうぜ、俺いい店知ってるんだ」
「夕飯入る程度にしろよ」
はしゃぐエスターが、私の手を握って玄関を通り抜ける。
そこに拘束する力はなく、頑張れば弱った私でも振り解けるくらい。
(あぁ、嫌だ)
さんさんと降り注がれる暖かさに、気持ち悪くなる。
さっきの眠気も同じだ、相手の思う壺だと分かっているのに。
(嘘でも甘やかされて、殺意がなくなっていく。この殺意だけが、私を守る術なのに)
力がなくても、常に警戒していれば少しは理不尽な仕打ちから身を守れるかもしれない。
けれどこのままでは、また二の舞になる。
(離れよう、二人から。何も返せていないけど、これ以上与えられる前に)
繋いだ手に引かれて外に出ながら、辺りを見渡して計画を練る。
不誠実な思考だ、仮に彼らに他意がないとするのなら。
けど私は、彼らを裏切らなければならない。
彼らが白い法衣のアイツらと、繋がっていない証拠がない限り。
(……大丈夫、きっと出来る)
例えどんなに怖くても、この手を離すのだ。
そう自分に言い聞かせて、私は彼の手を握り返した。