08-08 希望は眠る、復讐が目を覚ます
「理由なんか関係ないわ。ヘテラは私を殺した、それが事実。それとも理由があれば無罪になるのかしら?」
自分の言葉を鵜呑みにしなかったことに腹を立てたカルティが、エスターに向かって短剣を振りかざす。
けれどエスターは揺らがず、まっすぐに見据えたまま、カルティと対峙した。
「お前と違って、ヘテラが妬みで殺すとは思えない。ヘテラは妬んで恨んだって、自分で立ち上がる。俺は近くで、それを見てきたんだ」
カルティの手からイノスを庇いながら言うその顔は真剣で、決して目をそらさない。
だがそんなエスターを前にしたカルティの目は、より一層怒りに染まっていった。
「……また、お前が庇われるのね。誰も私のことを、庇ってくれないのね。いいわ、もう。私も自分で立ち上がるわ」
「っう」
「エスター!」
カルティが掲げていた杖で、エスターの頭を殴打した。
イノスを守ろうとしていたエスターは吹き飛ばされ、イノスから離れた場所に倒れてしまう。
そして私が庇う前に、カルティはイノスの首筋に短剣を突き付ける。
「イノス! おい、カルティやめろ!」
「いいんだ、ヘテラちゃん。僕はもう、助からない」
エスターが懸命に治療していたが、時間がかかりすぎた。
ただでさえ過大な魔力傷ついて衰弱している上に、出血量も危険域に達している。
イノスの瞳は目に見えて、暗く濁り始めていた。
「聖女の要素が、僕を殺していくんだ」
「後悔してるでしょ、ヘテラについたこと。でも今から私について、尽くすなら助けておげてもいいわ」
カルティはまた短剣をちらつかせながら、高圧的な態度のまま、提案してくる。
彼女のいうことなど信用に値しないと分かりきっているが、従うしかない状況だ。
けれどその中で、イノスが小さな声をあげた。
「僕ね、色んなものが好きなんだ」
「……?」
もう声を出す力すら残されていなかったが、それでも必死に振り絞って何かを伝えようとしている。
けれど誰もその意図が分からず、黙ってイノスを見つめるしかない。
「力のない僕を育ててくれた魔界も、僕を魔王として扱ってくれたレタリエも、子供扱いしてくれたフォルドさんも、友達として遊んでくれたエスター君も、……似た立場のヘテラちゃんも」
カルティが彼の言葉の意味するところを理解して、唇を噛む。
彼が最期に伝えようとした言葉は、カルティへの刃だった。
「だけど君だけは嫌いだ、カルティ。君は好かれる為の行動をしない、だから誰からも好かれないのは当然だよ」
「それが遺言なのね」
イノスの言葉を聞き終えたカルティの顔から、表情が抜け落ちる。
そして短剣ではなく、杖をイノスに突き刺した。
「もういいわ。用があったのは、あなたの命だけだから」
「——っ」
突き刺された杖から、イノスの血が吸い上げられていく。
杖は赤々と染められ、その先端についていた透明な宝石も紅く染まる。
「もう、もうやめてくれよ……!」
「血の量は、これくらいでいいわね」
倒れながも顔を覆うエスターに見向きもせず、カルティは杖を引き抜いた。
そして愛しくてたまらないというように、色づいた宝石を撫で上げる。
「聖女は魔王を倒した血から、宝石を作るの。それが致死量であることを天秤で測って、魔王が殺したことの証明にするのよ」
イノスの血から作られた宝石は、禍々しい光を放っている。
本来それは、聖女であるはずの女が手にするには似合わないものだった。
けれどそれを見つめるカルティは幸せそうで、いっそ恍惚として見えた。
「じゃあヘテラ、大人しく捕まるのよ。もうすぐ人が来るから」
用事が終わったカルティは、意気揚々と魔王の座から退出する。
そして外からは、大勢の人間がこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「これで全てが元通りだわ!」
階段を降りながら高笑いしている彼女は、これから本物の聖女として崇められることになるのだろう。
今までの過程を、全て帳消しにされて。
聖女の存在理由は、魔王の討伐だから。
「ヘテラ、今すぐ逃げよう! 俺は先生たちを担ぐから」
「無理だ。負傷している人間の数が多すぎる」
長時間追いかけてこないフォルド達も、死んではないだろうが自力で動けない可能性が高い。
そして倒れているイノスも、ここに放置してはおけない。
「まさか聖女の言う通り、捕まるのか」
「アイツの言う通りだったんだよ。カルティが原因であっても、私が助からなければこんなことにはならなかった」
私が最初からカルティに従っていれば。
転生後の、あの地下室で死んでいたら。
(こんな事態には、ならなかった)
後悔なんて、しても仕方がないと分かっているけど。
それでも悔やまずにはいられない、無力な自分が嫌になる。
「そんなことない。ヘテラが聖女を殺した理由は知らないけど、悪いのは絶対にあの聖女だ」
「ありがとう、そう言ってくれて」
エスターの言葉は正しい、けれど結果がこれじゃあ認められない。
だから私は代わりに、今までの感謝の言葉を告げた。
そして階段を駆け上がってきた聖女派閥の人間が、私たちの前に現れる。
「ここか、魔女!」
私たちがここにくるまでには大変な道のりだったのに、コイツらはすぐにここまで来てしまった。
それが悔しくて、辛くて、奥歯を強く噛み締めてしまう。
「エスター、手を出すな」
「嫌だ!」
殴られたせいで平衡感覚が戻っていないエスターが、それでも剣を抜いて私の前に出ようとする。
だが多勢に無勢、多少戦えるようになった程度でこの包囲網は突破できやしない。
「この人数相手に、素人がどうにかできると思ってるのか」
「そう、だけど」
エスターを傷つけてるのは分かっている、でも今はフォルド達と一緒に安全な場所に行ってほしかった。
そしてその為に必要なことは、私が囮になることだけだ。
「聖女派閥の者ども、よく聞け。私だけ捕らえるなら、大人しくついていってやる」
「誰が魔女の言葉など」
「ならばお前の家族の命は、諦めることだな」
私の言葉を聞いた奴らは、明らかに動揺し出す。
人質を取るのは卑怯だろうが、元々コイツら相手に手段を選ぶほど優しくはない。
むしろエスター達が傷つかずに済むのなら、毒薬の一つでも直接頭に浴びせてやりたかった。
「我々を脅すつもりか!」
「だから取引だと言っているだろう。お前に娘がいるのなら、顔を爛れさせてやろう。お前に息子がいるのなら、出世できない体にしてやろう。お前に孫がいるのなら「やめろ!」」
私と言葉を交わしていた男が耐えきれずに、怒鳴り声を上げた。
それを周りにいた他の人間たちが、宥めようとしている。
だが彼らも私のこと恐れているようで、直接話しかけてはこない。
「落ち着け、魔女の虚言だ」
「嘘かどうかは、お前の家族が経験するだろう」
脅しは直接の相手ではなく、彼らが守ろうとする人間を標的にする方が効果的だ。
魔法がある世界ではこれだけで、彼らは私に強くあたれない。
「さぁ、私をつれていけ。……後は頼んだぞ、エスター」
最後に一度だけ振り返ったとき、彼は目に涙を浮かべながら私を見ていた。
それを見届けてから、私は前を向いて歩き出す。
(最初に戻っただけだ、これまでが夢だったんだ)
転移した日の時のように、私は人に連れられて行く。
けれど今回は自分で選んだのだから、悔いはない。
強いて言えば、エスターが私のことなど忘れて生きていってくれればいいと願うだけだ。




