08-01 希望は眠る、復讐が目を覚ます
国境の街の入り口に辿り着いた時には、既に誰も残っていなかった。
黒い城に飲み込まれた街の骸が、横たわっているだけだ。
(黒い雪か、これ? でも冷たくもないし、溶けもしない。それに、あの城から降っている)
城を中心に真っ黒な雲が空を覆い尽くし、ぱらぱらと灰のような何かを振り落としている。
それは触れても痛くはなくて、触れると少しだけ光って消えていく。
「あんまり触らない方がいい、多分イノスの魔力だ」
そういうとエスターは私の腕を掴んで、屋根のある場所に連れていく。
だが紋章持ちは魔力に慣れているので、この程度なら急に汚染されることはない。
「これからなにが起こるんだ」
「世界規模で、人としての生を終わらせられる。魔力のない人たちが魔族に変質したり、魔族であっても魔力に耐えきれない場合は死亡する」
(まるで災害だな)
私は息をつくと、降りしきる黒い魔力を見上げた。
終わりが降り注ぐ中で、人々は逃げ惑ったことだろう。
逃げても助かるかどうかは分からない、それでも彼らは走るしかなかった。
「魔王の城は魔王の身を守るのと、中で魔力を生成するために作られるんだ。有名な童話の話でさ。でも、実際に見ることになるとは思わなかった」
「……お前ら、やっぱり戻ってきたのか」
雨宿りのように二人で身を寄せ合いながら空を眺めていると、探そうと思っていた人物から声を掛けられた。
振り向いた先には、疲れた顔のフォルドが立っていた。
「あ、先生良かった。無事だった」
「無事も何も、城の辺り一帯が危険区域だ。近づけやしない」
私たちが去ってからの魔王討伐の結果は芳しくなかったようだ、だがそれで良かったと思う。
フォルドもイノスもまだ生きている、今のところ私にとって一番いい状態だ。
「先生なら強硬突破してると思った」
「もう歳だ、昔みたいに動くのは無理だよ」
半分くらい口癖になっている台詞を口にしながら、フォルドは肩をすくめる。
彼の視線にはいつも複雑な感情が見え隠れしているのだが、なんとなく諦めの色が濃いように感じた。
「一回、適当な建物に入るぞ。焦ったところでどうにもならない」
そういうとフォルドは、屋根の下を通って入れる建物を指差す。
私たちはそれに従い、とりあえず建物の中へと避難した。
「敵は魔王だけじゃないし、正直助かった」
三人で適当な喫茶店に入り、椅子に座って一休みする。
外では相変わらず黒い魔力が降り続け、街を少しずつ黒く染めていた。
「今、この街は魔王の城に侵食されている。そして危険区域が増える程、魔王の力が強くなる」
「じゃあ汚染区域を削っていく感じだな」
フォルドの言葉にエスターが返すと、彼は静かに頷いた。
彼が考えている魔王城攻略法は、そう的外れでもないようだ。
「あぁ、だがこれは力押しじゃ無理だ。俺は汚染区域から発生した魔物は倒せても、浄化はできない。だから立ち往生してたところだ」
「じゃあ魔力汚染の要素を殺す毒薬を作るか」
魔王の魔力は、勇者の魔力に弱いという特性がある。
勇者の魔力は元であってもフォルドから採取できるし、量が足りなくても毒薬にしてしまえば複製が可能だ。
「そうしてくれ。問題は勇者の魔力以外の材料をどうするかだが」
「現地調達で良くないか? どうせ毒薬を作りには原因物質が必要だし」
勇者の魔力は今回、あくまで毒薬の強化素材でしかない。
村での騒動の時も聖女の魔力に対抗するため、魔女の魔力で偽薬を作ったのだから。
「どちらかというと街の損傷が激しいから、採取の為に町中走り回ることになるな」
「でも目的がはっきりしてるから、迷わなくていい」
道筋が困難でも、できることがないよりよっぽど良い。
ここを出た時の無力感よりは、ずっとマシだ。
「お前ら、随分手慣れてきたな」
そういうとフォルドは、なんとも言えない苦笑を浮かべる。
彼の中ではまだ私たちは、無力な子供だったのだろう。
けれど今は違う、少なくとも守られるだけの存在ではなくなっているはずだ。
「今回は直接の戦闘じゃないから、ちゃんと動けるだけだよ」
「それに弱体化が目的なら、イノスを殺さなくていいかもしれない。そう思えるだけで、精神的にはマシだ」
行く道が苦難であるなら、まだいい。
一番堪えるのは、どう努力してもどうにもならないことだから。
それに今は、一人じゃない。
「正直私は人間全員の為になんか戦いたくない。だからこれはイノスを助けるためだ」
未だに私を魔女にした奴を許す気はない、滅びるならざまぁみやがれとも思う。
ただなにも関係ない人がいることも、この世界で生きていくにはもう認めなければならない。
そしてそれ以上に、イノスは大事な友達だった。
(それにイノスは理由があったとしても、私に最初から好意的だった。本当はそれに救われていた、だから助けたい)
外の人間がまだ怖かった時期に、イノスは躊躇いもなく話しかけてくれた。
あれがなければ私は他者に対して、未だ懐疑的な目をしていただろう。
そしてフォルドは、お世辞にも綺麗とは言い難い私の動機を否定しないでいてくれる。
「それでいい。きちんとお前たちなりの戦い方を、ちゃんと身に着けてるんだからな」
そういうとフォルドは、腕を伸ばして私たちの頭を撫でる。
けれどその父親然とした表情を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
「安心した」
その理由は分からない。
ただ漠然とした嫌な予感が、私の中で燻っていた。




