07-05 誰が為の戦い
カルティは倒れこんだイノスを踏みつけるように蹴り飛ばし、私に向かって微笑みかけてきた。
その笑みの冷徹さに、見開かれた瞳に、思わず背筋が凍る。
「カルティ、お前、自分がなにをしたのか分かってるのか!」
「魔王討伐よ、聖女として当然でしょ」
悪びれもせず、平然とそんなことを言い放つ彼女に、私は理性を失いかける。
けれどすぐに我に返り、イノスの容態を確認した。
「イノス、大丈夫か!?」
「へ、テラ、ちゃん」
まだ息はあるようだが、このままでは危ない。
イノスに肩を貸して逃げようとするが、それをカルティが邪魔してきた。
「私の下僕だったくせに、裏切った罰よ」
「誰が、お前の下僕だって? 僕は教会から派遣された、監視役だ」
「その教会にも嘘をついていたくせに」
魔王の癖に、教会に所属していたなんて汚らわしい。
彼女はそう吐き捨てると、こちらに短剣を向けて叫ぶ。
「お前の首を刈り取ってやるわ、それで全てが元どおりよ!」
彼女は本気でそう思っているようで、とても正気とは思えない目つきをしている。
追放されてからの生活は彼女を反省ではなく、狂気に駆り立てたようだ。
だがカルティの笑顔が凍り付く、それは私の隣から伸びた手によって引き起こされた。
「へ、テラ、ちゃん。……離れて!」
「なんだ、これ……!」
私を突き飛ばしたイノスの姿が、朧気になっている。
しかもその現象はイノスだけではなく、周囲の景色にまでも影響して歪んでいく。
私でも分かる、濃い魔力の噴出。
(でもイノスは、魔力を持っていないはず)
それなのになぜ魔力を感じるのか、私は混乱する頭で必死に考える。
けれどその間にも、周囲は急速に変化していく。
草木が黒く染まり、魔力に飲み込まれた風が形を変えて吹き荒れる。
そしてその光景に耐えきれなくなったカルティが、絶叫しながら走り去っていく。
「きゃ、あああああああああ!」
「おい、この状況にしておいて逃げるのか!」
さすがにそれは許せないと声をかけると、彼女は振り向き様にこちらを怒鳴る。
まだ彼女は、自分が悪いと思っていないらしい。
こんな状況になっても尚、自分優先の理論を振りかざす。
「知らないわよ、そっちが勝手に暴走したんでしょ! あぁもう、計画が台無し!」
「くそっ! おいイノス、大丈夫か」
カルティを責めても何の役にも立たないと判断し、私は諦めてイノスに声をかける。
だがイノスは自分から噴出する炎のような魔力に覆われていて、影のような姿にしか見えなくなっていた。
濃い魔力に阻まれた彼の声は、とぎれとぎれにしか聞こえなくなる。
「……僕はこ れから、魔王とし て覚醒する。感覚 で分かるん だ」
そして、私は思い至る。
イノスを殺すために、カルティが聖女の魔力を短剣を通して注ぎ込んだのだとしたら。
そして半端な聖女の魔力では殺しきれず、イノスを守る為に魔王の魔力が目覚めたのだとしたら。
「でもこ れ、僕には制 御できない。だか らヘテラちゃ ん、すぐに離れ て!」
「だが、それじゃお前は」
制御できないのであれば、この異常な魔力に喰いつくされるのではないか。
私がそう言う前に、彼は自分の姿を覆い隠すほどの黒い炎に包まれてしまった。
まるで巨大な火柱のように天まで伸びる黒炎は、彼の自我さえも燃やしているように見える。
そして異変に気付いた人々が、遠くで逃げ惑っているのが聞こえた。
「————ヘテラ!」
その中で、私の名前を呼ぶ声だけがはっきりと聞こえる。
幻聴じゃない、それははっきりと私に近づいてくる美しい青年の姿を伴っていた。
「エスター!」
「良かった、イノスと一緒だったのか!」
人込みをかき分けて、エスターが私へとたどり着く。
彼は私の無事を確認すると、ほっとしたように息をつく。
だがその直後、エスターは顔色を変えてイノスの方を見た。
その視線を追うとそこにはイノスを中心に、更に高く燃え上がる魔力の柱があった。
「エスター、助けてくれ! イノスの魔力がおかしくなっている!」
「いや、これはダメだ。すぐには解決できない」
今度はエスターのすぐ後ろを走っていたフォルドが、息を切らせながら追いついてきた。
だが煌々と輝く魔力を見て、すぐに首を横に振る。
「イノスが魔王として覚醒し始めている、いったん撤退するぞ」
元勇者として見たことがあるものだったのかもしれない、フォルドはすぐに判断を下した。
そして反論する隙も与えず、フォルドは私を抱えてイノスから距離をとる。
「お願 いします、ヘテ ラちゃん を連れてっ てください!」
「任せろ、どういう形であれ必ず戻ってくる」
魔力の向こう側からイノスが、こちらに向かって必死に叫んでいる。
そんな彼を安心させるかのように、フォルドは力強く言い切った。
そしてイノスは安心したのか、声に落ち着きを取り戻す。
「ごめ んね、ヘテラちゃ ん。ちゃん と助け られなく て」
「――イノス!」
私はフォルドに抱えられて、イノスからどんどん遠ざかっていく。
けれどもう、魔力の向こうからは何も聞こえない。
朧な影を残して、辺り一帯を飲み込む魔力でできた業火の中へ彼は消えていった。
それからしばらくして、私の体は地面に降ろされた。
けれど人が目の前で刺されたことに現実感が湧かず、起きた現象を消化しきれず、足元がふらついている。
「聖女に刺されたイノスが、魔王だった。だから今まで魔王が見つからなかったんだな」
「くそ、そんなの全然気づかなかった」
立ち止まったエスターも頭を抱えながら、そう呟く。
けれどイノスは魔女である私以外には、ヒントを与えていない。
そして私は察していたが、真剣に捉えていなかった。
つまり、完全に私の判断ミスだった。
「なぁフォルド、イノスはこの後どうなるんだ?」
「間違いなく、討伐対象になる。そして、聖女は正当化されるだろう」
その言葉を聞いて、自分の顔色が青ざめるのが分かる。
魔王の討伐は人間の悲願であることは知っていた。
しかしそれがイノスに向けられるなら、話は違ってくる。
それに今回は、経緯が経緯なのに。
「目覚めさせたのはアイツだぞ!」
「他に目撃者もいなかった、それに覚醒前に始末しようとしたと言えばおしまいだ。理由はともかく、目的に違いはないしな」
私は思わず叫んだが、フォルドは冷静に分析して告げる。
イノスは私達にとって友人だが、人々にとってそんなことは関係ないのだと。
「……私のせいだ。イノスと一緒に逃げなきゃ、こんなことにはならなかった」
「違う、悪いのはイノスを刺した奴だ!」
自分を責め始めた私を、エスターがそう言って励ます。
そしてフォルドもまた、エスターに同意した。
「その通りだ。そうでなければイノスにお前を託した俺も同罪だ」
「それは」
「違うだろ。だからお前のせいでもない」
もし私が一緒に行かなかったとしても、いずれこうなっていた。
だからお前だけの責任ではないと、フォルドは強い口調で断言する。
「ここからはお前らには辛い状況になる。だから安寧の家に戻れ、いいな」
「……分かった」
魔王となったイノスを討伐するところを、フォルドは見せたくないのだろう。
それを止める権利など私にはなく、ただ頷くことしかできなかった。
「エスター、頼むぞ」
「うん。ヘテラは俺が守るよ」
フォルドから私を託されて、エスターは強く頷く。
そしてその背には、見慣れない剣が背負われていた。




