01-05 聖女召喚、一人は魔女
呼ばれたことのない名前で呼ばれて、けれどすぐに思い当たる。
私の名前はこの世界の誰も知らないはずだ、ならばそれは私の仮称なのだろう。
「ヘテラはこっちの世界での、お前の名前だって。俺も先生から聞いたんだけど」
(あの聖女の信仰者がつけた名前か? ならどうせろくな意味じゃなさそうだな)
単純に魔女という意味なのか、それとも死や罪などの物騒な意味が含まれているのか。
なんにしてもまともな意味ではないだろう、もしかしたら他の魔女が同じ名前をつけられていた可能性もある。
(まぁここから出たら、偽名でも名乗ればいい。そう考えれば、知れた名前がついているのは悪くないか)
わずかであっても隠れ蓑になるものは、利用すべきだ。
生き残るために、復讐のために、私はなんでもしなければならない。
だが目の前の青年はにこりと笑った後、唐突に私を持ち上げた。
「とにかく、夕食は期待しててくれよ。部屋まで連れていくから、それまでは休んでいてくれ」
「あ、おい! 離せ!」
急に体の自由が奪われたから、私は反射で自由を得ようと暴れる。
だがエスターと名乗った男は私を離さず、床に尻餅をついてしまった。
「いてて、なんにもしないから大人しくしてくれって!」
「歩くだけなら自分でもできる! あと、ここに長居する気はない!」
「……そうなのか?」
エスターのきょとんとした顔を見て、思わず我に帰る。
私は今、そのことを言うべきではなかった。
(やってしまった。くそ、急に抱き上げられたのに動揺した)
ここがどんな場所であれ、私は抜け出すつもりでいる。
だが脱出は不意打ちで行う必要があった。
私は非力だし、少しでも成功率を高めたかったから。
(しかしあんまり敵対的な事を言うのも得策じゃないな、なら適度に誤魔化すか)
しばらくしていなかった、ぎこちない笑みを浮かべながら私は口を開く。
そして自分の感情を押し殺しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は魔女だ、だから私がここにいれば聖女派閥の人間に狙われる」
「それは元勇者の先生がいるから大丈夫だ。俺もここで何年も過ごしてるけど、襲撃なんてなかったし」
(そういえば勇者なんて存在もいたって言っていたな)
この世界には本当に色々と、現実的でないものが存在しているようだ。
勇者と聞いて思い浮かぶのは、やはりゲームなどでお馴染みのアレだろうか。
まぁなんであれ、ここから逃げ出す私には関係ないのだが。
「私は外で、一人で生きていける力をつけるつもりだ。だからそんな歓迎なんてしなくていい」
(どうせ歓迎なんて、本心でもないだろうしな)
いくら保護したと言われても、魔女である以上、危険分子であることに変わりはない。
だからこそ人間が、魔女の私を歓迎するはずがないのだ。
だがエスターの反応は、こちらの想像とは少し違っていた。
「……まぁ、本人の意思は大事だよな」
(傷ついた顔までするなんて、芸が細かいな。けれど少し喋りすぎた。仕方ない、留まる振りでもしておくか)
もうこれ以上話していたくなかったが、諦めて指針の方向を変えた方が良さそうだ。
そう判断して私は小さくため息をついた、別に泣きそうな顔に絆されたわけじゃない。
「まぁ体が本調子じゃないのは確かだし、準備をする為に少し厄介になるが……」
「そうか! じゃあ、ゆっくり休めよ!」
そういうや否や、再びエスターは私を抱き上げる。
今度は抵抗する暇もなく、私は爆速で部屋のベッドに運ばれた。
「だから持ち上げるな! 自分で歩ける!」
そう声を上げるが、残念ながら力のない怪我人に人権はない。
私は成す術もなく寝台に放り込まれ、いらないと叫んだのに寝かしつけられた。
「……気持ち悪い」
「急に普通の物を食ったら、そうなるよな」
気持ち悪くなって胸を押さえている私の背中を、今度は黒髪の男が擦っている。
真っ青になっているのは、料理を担当したエスターだ。
「わ、悪い! 今までちゃんとした物を食べてなかったって言ってたから」
「ご馳走を作ろうとしたんだな、分かってる。ただコイツは胃が弱ってるから、今日は消化にいい物にしておけ」
「分かった、すぐ作ってくる!」
黒髪の男の指示を聞いて、エスターは再び台所に消えていった。
だが今回は、エスターが悪いわけではない。
(毒が入ってないのが分かって、がっついたのがいけなかった)
異世界に来てからというもの、私が口にするのは水か腐ったものだけだった。
食事らしい食事をしたのは、今が初めてだったのだ。
だから突然普通に食べられるわけがなく、無理矢理詰め込んだ結果がこれだ。
「本当に無理そうなら、吐いた方が楽だぞ」
「だい、じょうぶだ」
次の食事がいつ取れるか分からないから、できるだけ食い溜めしておきたかった。
意地汚かろうが、生きる為だ。
私はこの建物の外に何があるかすらも、良く分かっていない。
窓の外から小さな町は見えたが距離があった、その途中に食べられるものがあるとは限らない。
「ここじゃお前の食事に細工することもないし、奪う事もない。安心しろ」
(信じられるか!)
いくら善人面をしたところで、こいつも結局異世界の人間なのだ。
教会の信徒のように、私を騙してどうにかするかもしれない。
そんな奴らに助けてもらったとして、いつかきっと後悔する日が来るだけだ。
「当然すぐには信じられないだろうから、ゆっくり療養しろ。その頃には、胃もマシになっているだろう」
(——見透かされている)
こちらの考えなどお見通しだと言わんばかりの男の言葉に、思わず歯噛みする。
けれど悔しい事に彼の言う通り、体の不調は一向によくならない。
むしろ時間が経つにつれて酷くなっている気がする。
それに焦れば焦るほど体は重くなり、呼吸すら苦しくなってきた。
(思った以上に体が弱っている、ここは言う通りにした方がいいか)
観念して大人しく従うと、エスターがスープに浸したパンを持って来た。
口に入れると素朴で優しい味が広がり、あれだけ暴れまわっていた胃は大人しくそれを受け入れた。
それが悔しくもあり嬉しくもあって、私は泣きそうになるのを必死で堪えるしかなかった。
1章完結です、ここまで見ていただいてありがとうございます!
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