01-04 聖女召喚、一人は魔女
(……ここはどこだ)
分かっているのは、拷問用の地下室ではないことだけだった。
視界が真っ白なせいで何も見えないけれど、随分聞いていなかった鳥のさえずり声が聞こえたから。
(目が痛い。ずっと暗い場所に閉じ込められていたから、まだ慣れていない)
つんとした匂いがするから、病院のような場所だろうか。
少しづつ慣れてきた視界には、包帯を巻かれた枝のような腕が見えた。
(これが私の腕か、気持ち悪いくらい痩せたな)
手には骨が浮き出していて、自分から生えていなければ老婆のものだと思っただろう。
だがその腕は私に繋がっており、自分がどれだけ弱っていたのかを思い知らせる。
(しかし清潔な場所だ。服も綺麗だし、手当てもされている)
たび重なる鞭打ちや暴力に、着ていた服は原型もなかったはずだ。
暗い場所で良く見えなかったので、それも推測だが。
(やっぱり薬が貴重品ってのは、嘘だったんだな)
寝台の近くには、たくさんの軟膏や液薬が置かれている。
そして誰かが、私の手当てをしたという証拠でもあった。
(ということは、この建物内に私以外の誰かがいるな)
私は寝台から降りて床の上でじっと丸まり、耳を澄ませる。
すると同じ建物のどこかから、やはり足音が聞こえてきた。
(物音はする、だから人はいるな。一見人身販売しそうな建物には見えないが)
この部屋には大きな窓があり、そこから見える空には雲一つなかった。
そして心地よい風が、外の世界から吹き抜けてくる。
(回復させてからの出荷も有り得る、もしくは販売所までの中継点か)
体を動かすことも億劫な体調だが、逃げないという選択肢はなかった。
全身に走る激痛は残っているが、動けないほどじゃない。
(拘束具の類はついていないが、安心はできない。この世界で魔女を保護しようなんて人間、いないだろうからな)
そんなことを思いながら、私はゆっくりと床から体を起こした。
物音は聞こえてくるものの、未だこの部屋に近づいてくる様子はない。
(となれば見つからないうちに、この建物から出るべきだ。向かう場所は魔王の元が妥当か)
白い法衣の人間に目の敵にされている魔王とかいう存在なら、私の味方になってくれる可能性は高い。
あくまで可能性だが、立場から見れば希望はある。
(少なくとも、人間は私の敵だ)
初日から昨日まで、とんでもない目に遭ってきた。
地下室でも教会でも、死にそうな目以外に遭っていない。
(いっそ悪い力でも聖女のように魔法が使えればいいが、未だその兆しはない)
胸に刻まれた印は夢などではなく、禍々しくも淡く輝いている。
それが異端に刻まれる、焼印のようにも見えた。
けれどそれだけだ、使い方なんて私には分からない。
(なんであの女、すぐにあんな力が使えたんだ)
それとも、意図せず行使できた力だったのだろうか。
分からない、けれどそれを長く考える時間も今の私には持てない。
(逃げて、隠れる。しばらくはそれで凌ぐしかない)
今の自分にはなんの力もなければ、何の後ろ盾もない。
だからこそ生き延びるために、今は慎重に動くべきだった。
(最悪、窃盗も視野に入れないといけないな。けれど私をこんな目に遭わせた世界に、罪悪感を持つ必要はない)
日本にいた時は考えられない思考だ、だがそれくらいしなければ生きていけない。
そう考えれば、むしろこの世界に来て良かったかもしれない。
あの時死んでいたら、こんな風に考えることもできずにいただろうから。
(そうと決まれば行動開始だ)
部屋の扉の近くに立ち、廊下の様子を伺う。
相変わらず見回りが巡回する様子どころか、人の気配も感じられない。
(絶対に、復讐してやる)
(そう、思ってたのに)
私は今、階段の下で潰れている。
別に誰かに攻撃されたとか、罠がしかけてあったとか、そういうのじゃない。
普通に足を階段から踏み外して、転落した。
「だ、大丈夫か? 体、まだ本調子じゃないだろ」
(くそ、まさか階段から転げ落ちるなんて!)
ここから抜け出すために、階段の上から階下の様子を覗いていた。
だがその瞬間に、私の足が滑ったのだ。
そしてそのままバランスを崩し、よりによってあの美人の前に落ちた。
(思った以上に、体が弱っている。でももう、他人の手を借りたくない)
伸ばされた手を払いのけ、自力で立ち上がる。
まだ足元はおぼつかないが、相手の表情からこちらの拒絶は伝わったようだ。
「平気だ、手助けはいらない」
「そ、っか。まぁ、一人で行動しようとするくらい元気になったなら良かった」
大人しく引っ込められる手は、無理に私を捕まえようとはしない。
ただ少しだけ寂しげな声に、ほんのちょっと胸が痛んだ。
(なんで傷ついた顔をしているんだ、苛立ちの一つでも見せればいいのに。それとも演技か? まぁ、どっちでもいいか。どうせこれも最後の会話だ)
私は一人でここから逃げ出すつもりだ、だからこの男とは二度と会わない。
つまり、どんな反応されようが関係なかった。
(というか、手に持っているのは旗か? 部屋もなんだか飾り付けられているが)
男はなぜか小さな旗がいくつか連なった紐を掲げていた。
そして部屋の中央には小さな机と椅子が置かれている。
その前には木箱が置かれており、何かの荷物が詰められていた。
(何かの祭事だろうか、部屋がやけに飾りつけられている)
まるで誕生日でも始まるのかというような部屋の装飾に、思わず首を傾げる。
だが私はこの世界の暦が分からない上、季節すら分からなかった。
日本で言えばちょうどいい気候で、五月くらいの陽気ではあるけれど。
「あー、そういやバレちゃったか。寝てる間に終わらせようと思ってたけど、まぁいいか」
男が独り言を呟いた後、こちらへと向き直る。
そして一歩近づきながら、私に何かを差し出して笑みを浮かべた。
「なんだ、花?」
「そう、お前がこの家に来たパーティーをしようと思ってたんだよ」
美人が言う通り、机の上には私が持っているのと同じ花が飾られていた。
よく見れば机の上だけでなく、床にも似たような花が散らばっている。
「ここは安寧の家、迫害された者が保護される小さな居住。それと俺の名前はエスターだ、よろしくな」
(……保護されたのか? 私は)
部屋中に漂う歓迎の雰囲気に一瞬、本気で救われたのかと錯覚する。
だがそんなはずがないと、すぐに気持ちを引き締めなおした。
(いや、信用できない。彼が嘘をついているというより、本当だという証拠がない)
そう思いながら、差し出された手を見る。
握手を求めていることは分かるが、もう他人と触れ合いたくなかった。
だがこちらが反応する前に、男は聞き慣れない言葉を口にする。
「どうしたんだ? やっぱり無理をしてるんじゃないか、ヘテラ」
「ヘテラ? 誰だ、それは」