06-02 聖なる病と破門騒動
部屋を飛び出して行こうとする私を、イノスが慌てて腕を掴んで引き止める。
だが私を止めたはずのイノスの表情も、苦々しいものだった。
「イノス、離せ。そうじゃなきゃ、なにか知ってるのか」
「僕も詳しいことは知らない。村で聖女に嫌味を言ったことで、聖女派閥から教会追放を喰らったから」
むすっとした顔で言うイノスは、やはり不服なのだろう。
しかしイノスは働き者だ、そんな人員を教会は簡単に追い出すのだろうか。
「あの程度で追放されるのか?」
「今、聖女派閥は相当過敏になってるんだ。でもいいよ、もう仕事でもあの人の近くにいたくないし」
イノスはそう言うと、私の手を離して自分の席に戻る。
本当に彼はもう、カルティを嫌っているようだった。
「それに多分教会追放は取り消しになるしね、聖女派閥にもうそこまでの力は残っていないはずだから」
「もしかして、聖女の信仰が落ちてきているのか」
あの村での騒ぎは田舎だったとはいえ、あれだけ悪評になってしまえば隠し通せない。
それにカルティがまわった村は、あそこだけではないはずだ。
「そう。各地をまわってたけど、誰も良くならなかったみたい」
「まぁ、あれじゃ誰も治らないだろう」
あんな怒鳴り散らす女に診られては、元気な人間だって病気になる。
何よりカルティの言葉には、表面にすら優しさがなかった。
「それに詳しくは知らないけど、多分カルティは聖水作成をきちんとできない。普通の薬の作成ですら面倒だ疲れるって言って、他の人に押し付けていたから」
(あの女のやりそうなことだ、前世でもそうだった)
私は心の中で毒づく。
女は脅し、男は誘惑して自分のやりたい事をやらせる。
結局カルティは、自分が楽することしか考えていない。
「魔力の肩代わりは、俺もやらされた。それに普通の薬もちゃんと作れないから、エスターって子を脅して薬を作らせてるんだと思う。今までは教会の中の人が作ってたけど、みんな心を病んでしまったから」
「なにを理由に、エスターは脅されたんだ」
息も絶え絶えだが、コンヴェルトがなんとか口を挟んでくる。
本当は休ませるべきなのだろうが、今は少しでも情報が欲しい。
だから私はコンヴェルトに話を促すが、それ以上の情報は得られなかった。
「そこまでは知らない。それで俺はもういらないって言われて、追い出されたんだ」
「本当に人でなしだな……」
思っていた以上の邪悪に、思わず天を仰ぐ。
前世の記憶からある程度は予想はしていたとはいえ、ここまで酷いとは思わなかった。
「だからエスターって子を助けないと、あの子も心がおかしくなる。けど俺はもう、学生の資格をはく奪されたから入る事もできないんだ」
「分かった、すぐ助けにいく」
今度は学園に乗り込もうとする私を、またイノスが引き止める。
だが今度は策があるのか、私を引き寄せて耳打ちしてきた。
「ちょっと待って。それなら僕に宛てがあるから、任せてくれない?」
「宛て?」
首を傾げる私に、イノスは得意げに微笑んだ。
その表情はどこか挑戦的でもあって、カルティへの私怨が滲み出している。
「うん、正確には協力者。彼なら、力を貸してくれるだろうから」
「……分かった。でも早くして欲しい」
私はイノスにそう頼むと、彼は自信あり気にうなずいた。
「うん、すぐに動くよ。僕にとってもエスターくんは、大切な友達だからね」
イノスが宿屋から出ていった後、私とコンヴェルトだけが残される。
ここは街自体が静かなこともあって、鳥の鳴き声と荷馬車の音、そして物音くらいしか聞こえなくなった。
「コンヴェルト、体は大丈夫か」
「もう、元の名前で呼んでくれないんだな」
寂しげな顔でそう呟く彼に、なんと言っていいのか分からない。
確かに昔はコンヴェルトだなんて呼んでいないが、今さら昔の呼び方をする気にもなれなかった。
「ここはもう、元の世界じゃないからな」
「帰りたいとは思わないのか」
私の言葉を聞いて、コンヴェルトは悲しげな表情を浮かべる。
察するにコンヴェルトは元の世界に未練があるのだろうが、私にそんなものはなかった。
「思わない。転生直前のことを忘れたのか」
「……覚えてる」
私の言葉に、コンヴェルは俯いて答える。
異世界転生の直前、私たちは一緒にいたのだから言い逃れはできない。
「少なくとも私はもう戻りたくないし、あの時はそのつもりだった。家族には申し訳ないけれど」
「確かに親不孝になっちゃったな、俺ら」
私自身が明るい性格ではないし、コンヴェルトと話すとどうしても前世絡みになる。
けれど今そういう話が続くのは、彼の体調的にもあまりよくない。
だから私は話題転換も兼ねて、コンヴェルトの回復に努めることにした。
「それより食事を作るから、食べれるなら少しでも摂れ。台所を借りてくる」
「■■■、食事なんて作れたっけ」
私が立ち上がると同時に、コンヴェルトは不思議そうな顔をして尋ねてきた。
前世の記憶との差があるのだろう、けれどこの世界に来てから日付はそれなりに経過している。
「ここに来てからはやっている、今は当番制だしな」
「なんか、どんどん知らない幼馴染になっていくな」
少しだけ寂しさを含んだ声に、コンヴェルトが昔を懐かしんでいるのが分かった。
けれど私にとっては、もう戻るつもりもない日々だ。
「元の世界でだって、もう随分一緒になんか過ごしてないだろ」
「なぁ、やっぱりお前も俺が許せないか? あの時お前を助けられなかった俺を」
コンヴェルトがそう問いかけてきたが、正直答えにくい質問だった。
転移直前で起きた出来事で、コンヴェルトはなにも悪くなかったから。
(悪いのは全部カルティで、それが分かった上で救われなかった憎しみをコンヴェルトにも向けていた。だが)
昔の話だ、今となっては。
カルティはともかく、もうコンヴェルトに対して思うところはない。
前世も今世も含めて、カルティへの恨みは消えていない。
だが安寧の家での暖かさが、抱えていた悲哀を溶かしてしまっていた。
「最初は思うところもあった。だが今は保護されて、心配してくれる相手がいるからそうでもない」
「そう、か」
私の言葉にコンヴェルトは安心したような、そうでもないような微妙な表情をしていた。
けれど私がもう虐げられていないと分かれば、彼の重荷も少しは楽になるだろう。
「そんなこと考えてないで、食べたらさっさと寝ればいい。原因から離れれば傷も癒やされる」
私はまだ何か言おうとしているコンヴェルトを遮り、そのまま頭を押して布団に押し込む。
そして無理矢理に目を閉じさせ、頭を撫でてやる。
「私がそうだったからな」
温かいものを食べて寝る、基礎的だが一番大事だ。
そうでないとまともに考えることもできないのを、私はよく知っていた。




