05-06 変異した村と役立たずの聖女
用意された料理は質素だったが、それでも十分美味しかった。
特に塩漬け肉を使ったシチューは、暖かい味がして疲れが癒される。
そして満腹になって誰も喋れず眠った翌日、外の喧騒で目が覚めた。
まだ夜明け前で辺りは薄暗いが、外からは叫び声が聞こえてくる。
「ヘテラ、もう起きたのか」
「騒がしくて起きた、まだ宴をやっているのか?」
てっきり宴で酔っ払った村人が諍いを起こしているのかと思ったが、違うようだ。
窓際でフォルドが、険しい顔をしている。
「いや、戻ってきた聖女が騒いでるらしくてな」
「なんでカルティが」
想像していなかった名前が出てきて、一気に目が覚める。
慌てて起き上がってみると、確かに見覚えのある女が村の入り口で声を張り上げているのが見えた。
彼女は両手を大きく広げ、大声で叫んでいる。
「この村の人が治ったってことは、私が聖水を渡したおかげでしょ!」
「いいえ、あなたが渡した薬にはなんの効果もありませんでした。それどころかあなたは、患者を置いて逃げ出したじゃありませんか」
領主や村人たちが反論しているが、カルティの方が勢いが強く押されている。
だが領主も簡単に肯定する気はないようで、静かに反論を繰り返していた。
「当たり前でしょ! 私は聖女なのよ。こんな辺境の人達の為に、危ない目には遭えないわ! 価値が違うの!」
「……とても聖女とは思えない暴言ですね」
「ただの事実よ!」
私たちがいる場所は二階だが、あまりの怒鳴り声に耳をふさぎたくなる。
そして騒音に耐え切れなくなったのか、今まで寝息を立てていたエスターも目を覚ました。
「……みんな起きたのか?」
「どちらかというと、叩き起こされた感じだな」
ちなみにイノスはまだ頭が覚醒していないようで、ぼうっとしている。
そんな中、カルティの暴走は止まらない。
「とにかく、私のおかげでちゃんと病気が治ったって教会に手紙書きなさいよ! じゃないと帰れないんだから!」
「虚偽は書けません。お引き取りを」
領主はカルティに帰るように促すが、カルティに帰る気配は全くなかった。
そしてその態度が領主の気に障ったようで、口調が更に荒くなる。
だがその二人の会話に、割って入った者がいた。
「じゃあ、村の人はどうやって治ったんだ?」
(……コンヴェルト)
二人の前に出てきたのは、私の幼馴染だった。
「アイツ、お前と一緒に転生してきた男か」
「そうだ、久々にみた」
フォルドに聞かれて答えるが、最後に見た姿よりもずっとやつれているのが気になった。
顔色が悪く、目の下には大きな隈がある。
そんな彼の問いかけに対して、カルティも自信満々に領主を問い詰める。
「そうよ、嘘じゃないなら理由を教えなさいよ!」
「別の方々がこの村に来て戦い、薬を授けてくださいました。その方々は私たちの目の前で、奇跡を起こしてくださいました」
領主の言葉を聞いて、私は若干眉を顰める。
あれは魔力が絡んでいるとはいえただの医療行為であり、そんな大層なことではない。
「別に奇跡じゃないけどな」
「救いの来ない村にとっては、充分な奇跡だったんだろ」
同じことを考えていたエスターがそう呟くものの、他人から見ればそんなもんだろとフォルドは肩をすくめる。
そして奇跡という言葉が気に入らなかったらしいカルティが、また声を上げる。
「じゃあ私の前に連れてきなさい! 異形を治す聖水は聖女しか作れないんだから、嘘に決まってるわ!」
「それは、」
(——まずい!)
領主は視線を動かさなかった、だが何人かの村人が動揺してこちらを見てしまった。
彼らも気づいて誤魔化そうとするものの、彼らの目線の動きは既に聖女に捕捉されている。
「そこにいるのね? いいわ、私が直々に会いに行ってあげる!」
彼女は先ほどまで村長の家の前にいたはずなのに、もう玄関の所まで近づいていた。
コンヴェルトが止めようとしているが、あれはその程度で止まる女ではない。
「おいカルティ、他人の家だぞ!」
「うるさいわね、私は聖女よ!」
コンヴェルトの制止を無視して、カルティは一気に玄関扉を開ける。
聖女が宿に入るのを村人も阻止しようとしているものの、聖女の称号に押された彼らは強く出られないでいた。
「おい、こっちに来るぞ! 鍵を掛けろ!」
「分かった!」
「——いや、いい。私が出る」
フォルドとエスターが家具を移動させて扉の前に壁を作ろうとするが、それを止めたのは私だった。
もうここまで来たら、腹を決めるしかない。
「いいのか、ヘテラ」
「既に見つかってるし、隠れてても迷惑になる」
聖女は私たちを見つけるまで村を荒らすだろうし、下手したらここで戦闘になりかねない。
それならばいっそ正面から行った方がいい。
「嫌になったらすぐ言えよ、お前らを連れて速攻脱出する」
フォルドがそう言って気遣ってくれるが、その言葉に私は首を振って返した。
そして覚悟を決めて立ち上がった瞬間、ちょうどカルティが宿の中に入ってきた。
「久しぶりだな。カルティ」
「あなたが、奇跡を起こした人だっていうの?」
「私だけじゃないけどな」
私は階段を降りながら、カルティに挨拶をした。
彼女の表情は、信じられないとでもいうかのように強張っている。
だがそれも一瞬で、カルティの口からは笑い声が溢れ出した。
「う、ふふふふふふふふっふふ、あっははははははははは!」
「壊れたのか?」
私の後ろからカルティの様子を見ていたエスターが、若干引き気味に問いかける。
どう見ても正常には見えないがその笑顔のまま、彼女は私に向かって指を差す。
その勢いのまま、カルティは私を糾弾し始めた。
「だって笑わずにはいられないじゃない、みんな騙されてるんだから!」
「なんですって?」
突然の発言に、領主が思わず聞き返す。
だが彼女が言いたいことは、次の言葉ではっきりした。
「知らないの? あぁ、こんな見捨てられた田舎だから本当に知らないのね! ——この女は魔女よ」
カルティは高らかに宣言する、隠された真実を全て曝け出したというように。
だがその話を聞いていた誰もが、白けている。
せいぜい、コンヴェルトがびくりと体を揺らしただけだった。
「存じておりますが」
領主の冷え切った声に、カルティが首を傾げる。
彼女にとっては本気で理解できないのだろう、だがその話題は昨日既に終わってる。
「……じゃあ、わざと騙されてるの?」
「騙されているのではなく、この方々は本物の救世主ですよ」
(それは言い過ぎだ)
領主の言葉に心の中で苦笑いしてしまうが、救われた側にとってはそういうものなのだろう。
だがカルティは魔女という切り札が通じなかったことに、かなり混乱していた。
「魔女に異形を治す力なんて、あるわけないわよ! そんな事も分からないの!?」
「いいえ、彼女たちは確かに我らを救いました」
カルティは必死になって領主を論破しようとするが、領主は冷静さを全く失っていない。
むしろカルティの叫びを聞いて、どんどん冷静になっているように見えた。
そして領主を言い負かせないと判断したカルティから視線を移して、村人たちの方へと向き直る。
「領民は、この馬鹿な領主を信じるの!? こんな何も知らない、新しい領主を信じるの!?」
「うるさい! お前こそなにも知らないくせに!」
カルティはそう言って詰め寄るが、村人の一人が反論を始めた。
すると他の村人も口々に、領主を擁護する言葉を吐き始める。
「領主様は秘宝を使ってまで、俺達の為を助けてくれたんだぞ!」
(そうだ、水がなければ助からない人もいた)
薬を作ったのは確かに私たちだが、材料がなければどうしようもない。
それに家に伝わる秘宝を投げ打つ領主の行動がなければ、犠牲者は相当な数になっていた。
「それに、お前たちが来てから変異患者が増えたんだ! 魔女はお前達の方だ!」
空気に呑まれたのか、次第にカルティの表情からも余裕が失われていく。
そしてついに追い詰められた彼女は、泣きそうな声で叫んだ。
「じ、時期が悪かっただけでしょ! こんな貧乏だから、アンタたちが変なもの食べたんでしょ!」
「カルティ、その辺にしとけって」
もう勝敗は明らかだ。
カルティがどれだけ喚こうが、村人はもう彼女を信用しない。
しかしカルティはまだ諦めておらず、静止しようとするコンヴェルトを振り払う。
「うるさい! アンタだって、何の役にも立たないじゃない! 勇者の紋章もないくせに!」
「っ」
(——自分の味方まで殴るのか!)
この場にいるカルティの味方はコンヴェルトだけなのに、彼女はそれを気にすることなく暴力を振るう。
その光景に、どうしようもなく胸糞が悪くなる。
だがそれは村人も同じだったようで、怒りに満ちた表情でカルティに罵声を浴びせ始めた。
「出ていけ、聖女を騙る女! ここにお前たちの居場所はない!」
「ちょっと、なにするのよ! この身の程知らずども!」
飛んでいくのは言葉だけではない、よほど腹に吸えかねていたのか皿や小石まで飛んでいく。
そして遂にカルティが耐えきれなくなり、その村人に向かって魔法を使おうとした瞬間——イノスの声が響いた。
「おとなしく出ていきなよ。彼らの信仰は、もう別の場所にあるんだから」
「……覚えてなさい、絶対復讐してやるわ!」
カルティは最後にそう叫ぶと、コンヴェルトを引きずるように連れて村から出ていった。
彼女の姿が見えなくなると、村人たちからどっと歓声が上がる。
その光景に、私は大きく息を吐き出した。
(復讐か、すっかり忘れてたな)
昨日はあまりにも忙しくて、すっかり頭から抜け落ちていた。
もちろんこの程度で終わる気はないが、とりあえず一矢報いたと考えていいだろう。
そして私がそんなことを思い出している間にも、また村人が私たちを称え出していた。
「落ち着いたら、俺達も帰るか」
「そうだな」
私たちの目的は果たされた。
ならばこれ以上此処にいる理由もないし、適当に帰るべきだろう。
領主たちに惜しまれながら、村を後にする。
平穏が訪れた村はもう悲惨な雰囲気ではなく、明るい声で馬車に乗り込んだ私たちを送り出した。




