01-03 聖女召喚、一人は魔女
異世界転移した日から、何日かが経過していた。
私はどこかの貴族に軟禁され、最低限以下の生活を送っている。
朝は礼拝に参加し、昼は食事をとりながら聖書を読み、夜は就寝時間まで懺悔を聞く。
そして深夜に、暴力を振るわれる。
(あれから私は、低俗な貴族に引き取られた)
信徒が言っていた通り、どこかの貴族が金と名誉目的で引っかかったのだろう。
引き取られた先は、いわゆる成金と呼ばれる家だった。
「聖女様を殺そうとしたお前に与える飯など本来はないが、処刑まで生かさないといけないからな。ありがたく思え!」
(わざわざ腐った肉と虫を浮かべたスープを用意しておいて、良く言う)
家主は分かりやすく太った豚で、いつも威張り散らしていた。
そんな男に媚びへつらうように、彼の取り巻きである薄汚い使用人達も私を虐げていた。
(思い出すだけで気分が悪い!)
食事中は常に罵声を浴びせられながら食べさせられ、とてもじゃないが食べた気などしない。
当然だ、奴らは私が生きてさえいればいいのだから。
「なんだその目は。お前は魔女なんだぞ、反抗を許される存在ではない!」
「だから、私は魔女じゃな……がはっ」
口答えすれば殴られる。蹴られる。髪を引っ張られ、水を掛けられる。
それでも怒りが煮えたぎる私は口答えし続け、また暴力を振るわれる。
「大人しくしているなら保護してやろうと思ったが、仕置きが必要みたいだな。ならば仕方がない」
(お前が楽しみたいから、殴ってるだけだろう!)
「泣き喚け、声を上げろ! 誰も助けには来んがな! ふはははははははは!」
「ぐ、……っ」
(コイツを喜ばす声なんか、誰が上げるか!)
「チッ、つまらんな。もういい」
(やっと、終わったか)
何度も殴られ蹴られた後、やっと解放される。
だがそれは、この男が疲れたからでしかない。
「あぁ、手当は期待するなよ。薬は教会が管理している貴重品だ、お前になど与えられん」
(元から期待してない、さっさと出ていけ)
何度死ぬような目にあっても死ななくなったこの体は、人に不思議な力を与える紋章とかいう印のせいで痛みにも強くなっている。
だけど痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。
「行き場のないお前を引き取ってやっているんだ、感謝しろよ!」
(誰がするか、バーカ!)
暗闇であるのを良いことに苦し紛れに舌を出して、地下室から出ていく男を鼻で笑ってやった。
間抜けな男はそれに気づかず、ご機嫌で上へと上がっていく。
「やっと、今日の分が終わったか」
豚がいなくなると同時に、ため息をつく。
他者の認可がある上で地下牢に閉じ込められている以上逃げることも出来ないし、助けを求めたところで無駄だ。
(いつまで続くんだ)
早く終わって欲しい、そう思いながらも、まだ暫くはこの生活が続くことを理解している。
あの男は明日もまた来ると言った、だから地獄は終わらない。
(自殺はできなかった。まぁ処刑前に死んだら困るから、防止の魔法でも掛けてるのか)
自死は試してみたけど、成果が上げることはできなかった。
拷問中に何度も不可思議な力を行使され続けたせいで、ここが魔法のある世界だというのは理解している。
こんな形で、魔法を拝みたくなんかなかったが。
「力が欲しい」
あの時、聖女が使っていたような他者を傷付ける力が。
だがいくら祈っても、暴力以外はなにも与えられない。
(異世界に来れば、何か変わると思ったのに)
元の世界では、散々な人生を送ってきた。
だから新たな世界に来たと分かった時は、正直期待したのに。
(誰も私を知らない場所で、一からやり直せると思ったのに)
けれど結局は前世と変わらず、ただ理不尽な目にあう日々が続いている。
こんなことならば、いっそ転移前のあの時死んでいた方がマシだと思うほどに。
しかし自殺すら出来ず、毎日のように繰り返される虐待に耐えるしかなかった。
(幼馴染達と一緒くたに転移して、殺したかった相手が大切にされている)
けれどどんな理由であれ、今アイツを傷つければ、罪に問われるのは私の方だ。
理由を問わず、罪だけが私のものとなる。
(それだけは絶対に嫌だ)
最悪死ぬのは構わないが、アイツが正しいと思われたままなのは許せない。
私の醜聞が消えなくても、彼女に一矢報いなければ気が済まない。
(だから処刑されるのであれば、アイツを殺してからだ)
それが処刑理由になるなら、喜んで殺されてやる。
けれどそんなことを考えていても、神の救いなど与えられはしない。
(あるいは私を守ってくれる人がいれば、なんて)
久々に口角が上がり、口が笑みの形を浮かべる。
それこそありえない話だ、慈愛にて奇跡を起こす聖女でもいない限り。
血と痛みだけが徘徊する地下室の変化が訪れたのは、その日の晩だった。
ここではない場所で、悲鳴が聞こえた。
「————!」
(何だ、騒がしいな)
その声に最初は気にも留めなかった、この地下牢から外の様子を察することは叶わないからだ。
しかし音が次第に大きくなり、この地下室に向かっていると認識できるようになった時、私はようやく異常を察した。
(賊でも入ったか? いい気味だ、全員惨たらしく殺されろ)
干からびた口から、乾いた笑い声が漏れる。
どうせ私の人生は良くならない、それなら他の奴を呪うしかなかった。
(あぁ、こうやって魔女はできていくものなのか)
恨み辛み呪いを積み重ねて、人の形に押し込む儀式。
私が今まさにそれに成り果てようとしていることに、笑ってしまった。
(ならそれでもいい、もしかしたらその恨みが私の力になるかもしれない)
そうすれば誰も彼も殺せるかもしれない、復讐できるかもしれない!
そう考えた瞬間、鉄格子の向こうで大きな音が響いた。
誰かがいくつもの扉を破壊している、そうとしか思えない心臓を打つ衝撃音。
(……うるさいな、せっかく人が気分を紛らわそうと思ってるのに)
もう危機感や恐怖心はどこかへ消えてしまった。
かわりに足音はすぐそばまで来て、扉が開かれる。
薄暗い灯りの中に浮かんだ姿を見た瞬間、死神が立っているのが見えた。
「——いた!」
そこに立っていたのは黒く長い髪の、痩せた男だった。
荒んだ目で、傷だらけの、大剣を担いだ恐らく賊。
(売り飛ばされるのか、想像もしていないような扱いを受けるのか)
どちらにせよ、ろくでもない目に合うことだけは間違いないだろう。
だがその男はなぜか私を見て、ほっとした顔をしている。
しかし今度は唐突に、陰気な地下室に似合わない男が入り込んできた。
長い髪を振り乱して、こちらに走ってくる美しい人。
「大丈夫か!? 酷い傷だ、意識もほとんどない!」
(綺麗な青年だ。こっちは賊に見えない)
黒い髪の男とは対照的に白い肌と眩い黄金の髪を持つ、背の高い美男子だった。
整った顔立ちには焦燥感が浮かんでいて、こちらを酷く心配している。
(というか美女だ、貴婦人だ)
男だというのは声から分かっているものの、こんな美人は見たことがない。
全身を駆け回る痛みも忘れて、ドレスを着て欲しいと願ってしまう。
「先生、こっちだ! 早く来てくれ!」
「お前なんでここにいるんだ、尾けて来たのか!?」
痩せぎすの男が怒鳴ったが、怒っているというよりは混乱しているようだった。
そして美しい男は手際よく私の身体を調べながら、すぐに医者のようなことをし始める。
「酷い目に遭っている子がいるって聞いたから! それよりこの子がまずい!」
「……くそ、なんで人間ってのはここまで酷いことができるんだ」
現実逃避をしているうちに、事態はどんどん進んでいく。
どうやらこの二人は、私の命を奪うつもりはないらしい。
「仕方ない、お前はその子供を背負って俺の後ろを走れ。道は俺が開く」
「分かった! ……ごめんな、揺れるから傷に響くかもしれない」
私は二人に連れられて、どこかへ連れていかれるようだ。
しかしこんな美人に背負われるのは、なんだか申し訳ない。
だが自分で歩けるというには体力が落ちすぎていて、自力で立つ事すら叶わない。
(引きずっていけばいいのに。いや、商品価値が落ちるってことか)
心にはまだ消えない恨みが渦巻いている、だが体はもう限界だった。
ただぼんやりと、私の命を救おうとしている二人の会話を聞いていることしかできない。
(もう、何にも期待したくない)
そんなことを考えていたせいだろうか、背中越しに伝わる振動に意識が遠くなった。
「行くぞ!」
地下室から離れ、久々に光を浴びる。
だがそれを素直に喜べるほどの何かは、もう残っていなかった。
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