03-09 この世界で暮らす為の準備【番外編01】
(腹が減った、深夜なのに)
何度目か分からない寝返りを打ちながら、私は呻く。
腹の虫が治まらなければ眠れない、だが自分の家ではない場所で食べ物を探すのは気が引けた。
(体が、まともに食事できることに慣れ始めてしまってる)
虐げられていた時は感覚が麻痺していたから良かった。
だが少しずつ食事を取るようになってから、感覚が戻ってきてしまっている。
(くそ、寝れない!)
再び寝返りを打つものの、ぱちりと瞼が開いてしまう。
諦めろと自分に暗示を掛けたものの、全て無駄な努力に終わった。
「……下に、何か食べるものはあるかな」
空腹に抵抗することは諦めて、もう眠りについているであろうエスターを起こさないように、静かに台所に向かう。
けれどそこまで来て、私は立ち止まってしまった。
(食べて良いものがどれか、分からない)
ここの食べ物を食べたところでエスターもフォルドも怒らないと思うが、それでもやはり躊躇ってしまう。
せめて朝食に使いそうなものは避けようと思っても、異世界の食べ物は独特でいまいち見当がつかない。
(やっぱり諦めるか)
最悪水でも空腹は凌げるし、暴力が振るわれないで眠れるだけでも感謝しなければならない。
この家に来てからの私は、甘え過ぎていた。
けれど部屋に戻ろうと踵を返す前に、階段から降りてくる音が聞こえた。
「ヘテラ、寝れないのか?」
「エ、エスター」
他者の不調を感じ取る癒しの一族の本能が、彼を起こしてしまったらしい。
エスターは眠たげに目を擦りながら、私の近づいてくる。
「夕食軽かったもんな、あれじゃ足りないよな」
そう言いながらも彼は戸棚の中からパンを取り出してくれた。
そしてそれを半分ちぎって私に差し出してくる。
「何か食べたいものとかってあるか?」
パンにジャムのようなものをつけて食べながら、エスターは私に聞いてくる。
けれど私の目的はパンを渡された時点で、解決してしまっている。
「これで充分だ」
「遠慮するなよ」
何もつけずにパンを食べようとしたら、エスターにジャムを塗られる。
礼を言って受け取り、食べると甘い風味が口いっぱいに広がった。
「食べれれば何でも」
「じゃあ俺の好物に合わせるな」
パンを齧り終わると、エスターは台所に立つ。
私も何か手伝おうか考えたが、手際のいいエスターの邪魔になりそうだったので大人しくしておく。
そしてすぐに、炒り卵が目の前に用意された。
「……うまそう」
「今、蜜を入れた薬草紅茶を温めてる。それが出来たら食おうぜ」
やがて二人分のお茶が用意されると、私たちは向かい合って食事をした。
私が黙々と出された料理を口に運ぶと、エスターは満足気に微笑む。
「しかし随分、量が多くないか?」
「そろそろ先生も帰ってくるだろうからさ」
エスターがそういうや否や、玄関の扉が開く音がする。
がちゃんという武器を遠くに放り投げた音の後に、重めのゆっくりした足音がこちらに向かってくる。
「お前ら、起きてたのか」
「先生おかえり!」
完全に目が覚めたのか、深夜だというのにエスターが元気いっぱいで出迎える。
そして少し湿ったフォルドも夜更かしに怒ることなく、食卓に目を向けた。
「良い匂いだな、肉か?」
「うん。ヘテラも俺も腹減っちゃったし、先生も食うだろ?」
「食う」
即答したフォルドはすぐに席について、エスターは台所に戻る。
その慣れた雰囲気から二人がそれなりの回数、夜食を楽しんでいることが分かった。
「ヘテラ。今日に限らず、腹減った時は我慢するなよ。というか何食べても大丈夫だからな」
「だな。買い溜めもそれなりにしてるし、ここで食事にどうこう言う奴はいない」
「……分かった」
二人の言葉を聞きながら、私は温かい飲み物を飲む。
それは蜜入りの紅茶はほんわりとした甘味があり、体を温めてくれた。
(ここでは食べてる最中に殴られることもなければ、異物を入れられるこもとない。そういう場所だと、頭では分かってる)
それでも私は未だにこの環境に慣れず、ふとした時にあの地下室が頭をよぎってしまう。
(体がまだ、理解しきれない。反射で思い出して手が震えて、吐き気が込み上げる)
ようやくお腹がいっぱいになって眠くなるはずだったのに、今度は腹が痛くなる。
けれどなんとか考えないようにして、二人に気づかれないようにやり過ごす。
(近いうちに、おさまってくれるだろうか。そうでなければ、ここでの生活にも適応できない)
いつまでも、トラウマを引きずってはいられない。
私は復讐の為にも、強くならなければならないのだし。
(ちゃんと日常に、戻れるだろうか)
そんな不安を抱えながらも、私は食事を終える。
できることなら、もう二度とこんな時間が訪れないことを願いながら。
次は何も恐れることなく、エスターにありがとうと伝えられるように。




