ウェディング・ベルの予鈴
私にしがみついて「ママはどこ?」と泣いていた鈴ちゃんが、結婚した。
鈴ちゃんは21歳。英会話スクールの講師をしている。
数ヶ月前、5歳年上の彼氏から「海外赴任が決まりそうだから、結婚してついてきてください!」ってプロポーズを受けて、本日、若い花嫁になった。
プロポーズは、我が家の庭先だった。
お盆時期の午前中だったから、どこの家も窓を大きく開いていた。
その日のうちに、ご近所の皆さんからお祝いをいただきまくってしまった。
辞令に焦ったのはわかるけど、連続テレビ小説の時間帯の庭でやるなや。
水まきをしていた鈴ちゃんは一瞬ポカンとしてから「いいよ!」って天使みたいに笑った。
かわいくてかわいくて、かわいいしかない鈴ちゃんは、私たち家族が宝物のように愛してきた、姪だ。
大好きだったお姉ちゃんの、忘れ形見。
お母さんが結った文金高島田に、白無垢姿で入場した鈴ちゃんを見た瞬間、私の両眼から大量の涙がこぼれ落ちた。
「花嫁の父より先に泣くってどーゆーこと?」って義兄の紘兄に笑われてしまった。しょうがないじゃない。
そういう紘兄だって、「本当に、結美にそっくりだな……」って、声を詰まらせたくせに!
鈴ちゃんは、お姉ちゃんによく似ている。
肌が白くて、平均よりちょっと小柄で、二重で、丸顔。
お姉ちゃんが結婚した時と同じ、白無垢を着たら本当にそっくりで、そっくりすぎて。
ああ、お姉ちゃんも21歳で結婚したのよね。
あの時の、お姉ちゃん、本当にきれいだったわ。
今日の鈴ちゃんと同じだわ。
そんなことを考えて涙をぬぐえば、天国のお姉ちゃんの照れ笑いが瞼の裏に浮かんだ。
お姉ちゃんは、15年前の新緑の季節に亡くなった。
小学生になったばかりの鈴ちゃんを残して。
ひき逃げだった。
後日、犯人は捕まったけど、お姉ちゃんは戻ってこない。
当時の私は、新婚なのに浮気を繰り返す夫に、悩まされていた。
浮気といっても継続性はない。
華やかな業界の人だから、多少のことは目をつぶるべきなのか、真剣に悩んでいた。
けど、新居のマンションで、お気に入りのベッドで、その痕跡を見つけてしまった瞬間に「無理!」と叫んでいた。
100年の恋も冷める、という慣用句を我が身で体験するとは。
相手有責の離婚で合意したけど、ベッド(私のサラリーで買った高級北欧ビンテージ)の所有を巡って、揉めた。
あちらは「共同名義だったマンションを買い取って慰謝料も出したんだから、ベッドは寄越せ」と言い、私は「故意に汚したんだから弁償しろ」と言い張る、なかなかの泥沼だった。
とはいえ、一点もののビンテージ家具より、鈴ちゃんこそが唯一無二だ。
私は弁護士を雇ってあとを任せ、お父さん、お母さん、お婿さんの紘兄と、鈴ちゃんのフォローにまわった。
赤ちゃんの頃から、毎日絵本を読んでもらって眠りについていた鈴ちゃん。
栄養満点の食事、アイロンのきいたハンカチ、好きな歌を一緒に歌い、一緒に買い物にでかけ、スイミングで進級した日にはご褒美のアイス……と、お姉ちゃんの愛情を受けて生きてきた鈴ちゃん。
美容師のお姉ちゃんは、鈴ちゃんの髪を結う時が1番好きな時間だって言っていた。
毎朝「おはよう」って抱きしめてくれた、毎朝リクエスト通りに髪を結ってくれた、スイミングの時は窓から見守ってくれた、一緒に宿題をして、ごはんを食べてお風呂に入って、絵本を読んでくれたママがいなくなったら、そりゃあ混乱する。
毎日のように「ママはいつ天国から帰ってくるの?」と泣かれた紘兄は、ある夜、耐えきれずに仏壇の部屋で号泣した。
私とお母さんも、もらい泣きした。
あくる朝、鈴ちゃん以外の全員の目がパンパンに腫れていた。お姉ちゃんの結婚式にさえ泣かなかったお父さんもパンパンだった。
私たちは、お互いに顔を見せあって苦笑した。
まず、お母さんが動いた。お姉ちゃんとふたりで経営していた美容院の営業時間を、8:30〜19:00から、9:00〜15:00に変更した。
私は実家に移り住み、定時に上がって宿題とお風呂と読み聞かせをした。
朝が早くて夜が遅い紘兄は、夕飯の食器洗いと、朝の洗濯を。
家事なんか絶対にしなかったお父さんが、庭掃除とお風呂掃除をするようになってびっくり。「紘くんは疲れているから」と、週に何回かは食器洗いをして、たまに何かを割っていた。
お姉ちゃんのいない生活で、それなりにリズムを掴むまで、半年くらいかかったかな。
泣いてばかりいた鈴ちゃんも、いつしかお姉ちゃんの仏壇に、小さな両手を合わせるようになった。
鈴ちゃんなりに、母親の死を理解したのだろうか。
低学年の頃は、ぬいぐるみだらけにしたり、道草してつんだ花を飾ったりしていたけど、高学年になると「今度のテストで100点とれますように」と祈ったり、「男子ムカつく」と愚痴をこぼしたりするようになった。
そんなこんなで、私の20代後半からの人生は、鈴ちゃんに捧げたといって過言じゃないかもしれない。
土日のおさんどんや、筆記用具や服の買い出しなんかは、必然的に私が担当したわけで。
授業参観で有給をとるとかも、毎回じゃないけど普通にしていたわけで。運動会の場所取りも、がっつり並んだわけで。
それは、私や家族にとっては当たり前だったんだけど、世間様にはそうじゃなかった。
思い知ったのは、鈴ちゃんが小学4年生の初夏だ。
お姉ちゃんのママ友からキョーレツなLINEを頂いたのだ。
「藍ちゃんって、鈴パパと再婚するの?」と。
いやいやいやいや。
何言ってんだ、姉友!
天涯孤独の紘兄は、うちの親と養子縁組してるし、再婚する以外にこの家を出る必要はない。
と、私も両親も思ってるけど、世間様はそう思わないようだ。
低学年くらいまではともかく、4年生にもなって叔母が親代わりをしすぎるのは、不自然なんだそうだ。
紘兄が「そんな噂が流れてるんじゃ、藍美ちゃんの結婚に響くだろ」と家を出ようとしたので、私が会社と家の真ん中くらいにアパートを借りた。
世間の噂から、鈴ちゃんを守りたい。
鈴ちゃんから、住み慣れた家かパパをとりあげるなんてアリエナイ。
あの頃、人生の中心は鈴ちゃんだった。
離婚と姉の死でいっぱいいっぱいになっていた私は、鈴ちゃんを守ることで、自分の心を守ろうとしていた……ような気がする。
それに。
世間の噂を笑い飛ばせない程度には、私は紘兄を意識していた。
こちとら、夫の浮気にふりまわされてバツイチになった身だ。一貫してお姉ちゃん一筋で、鈴ちゃんの為に必死で働き続ける紘兄を、見てごらんなせえ。もう、まぶしくてカッコよくて。
私を好きじゃない人を好きでいるのは、変わらずにお姉ちゃんを愛している人に恋をしながら同じ家で暮らすのは、しんどい。
とはいえ、土日は実家におさんどんしに行ったけど。
鈴ちゃんと映画を見たり、生理のことを教えたり、叔母さん業もしまくったけど。
あれは、晩夏の時期の、豪雨の日だった。
バケツをひっくりかえしたみたいな雨で、両親は泊まれって言ってくれたんだけど、私は仕事を理由にどうしても帰るって言い張って。
鈴ちゃんの「じゃー、パパが藍ちゃんを送ってあげて?」の、鶴の一声で、紘兄がアパートに送ってくれたのは。
アパートの駐車場でエンジンを止めて
「藍美ちゃんには感謝してもしたりないくらい感謝してる。でも、これ以上鈴のことで人生を犠牲にしないで」と言われた。
優しい、優しい、慈しむような笑顔で。
叩きつける雨の音。分散する街頭の光。地面を流れる水に揺れる夏草。効きすぎのエアコン。
私はしばし押し黙った。
犠牲にした時間なんか、1秒もない。
鈴ちゃんより可愛くて愛しい存在は、いない。
でも、私はあなたに会いたいから、実家に入り浸ってる面もあるのよ?
……なんて、さすがに言えない。
「なんか私、結婚とか恋愛とか、懲りちゃって。もちろん、紘兄が再婚するなら、実家によりつくのを控えるわ」
だから、笑った。
気合いを入れて笑った。
「オレはないよ。鈴ももうすぐ思春期だし」
紘兄は彼らしく、のほほんと首を振った。
「それを言ったら、紘兄だって人生を犠牲にしてない?」
「わけないだろ。鈴はオレの人生の、1番の宝物だから」
当たり前の顔で、当たり前にそう言える男の人は、貴重だよ。
まして、それを有言実行してる人は。
「私にとっても宝物だよ。大好きだったお姉ちゃんが遺してくれた、大事な大事な子だよ。それにね、私は鈴ちゃんが好きだから一緒にいたいの。大きくなって友達といるのが1番になるまでは。いけないことかな?」
「いや……そうじゃなくて」
紘兄がシートベルトを外した。
私はまだ外していないのに。
ハンドルを握っていた手が、後部座席の荷物を掴んだ。
いつになく顔が近い。沈黙が、重い。
あの時、駐車場の借主がクラクションを鳴らさなかったら、紘兄は何を言うつもりだったんだろう。
私は、私たちはそれきり、その話題を口にしなかった。
高学年になった鈴ちゃんに、家族一丸となって生活を支える必要がなくなってきたのだ。
毎週のように「藍ちゃん、遊ぼ!」と誘ってくれた鈴ちゃんは、塾や友達付き合いで忙しくなった。
宿題や片付けの習慣は身についたし、腰を痛めたお父さんに代わって庭掃除もしてくれるし。
お母さんは、じわじわと美容院の営業時間を戻した。
私も、残業を断らなくなって久しい。
鈴ちゃんが中学生になる頃には、私の実家参りは隔週になり、逆に塾帰りの鈴ちゃんが送迎のお父さんを引き連れて、うちに寄るようになった。
「また夜ご飯を、ビールとカップ麺にして! せめて、お弁当にしなさい!」
って怒られたときは、お姉ちゃんが降臨したかと思った。
お父さんも、若干ビビってたし。
鈴ちゃんはうちの合鍵をゲットすると、私が留守中にご飯を炊いておかずを作り、お風呂をわかして帰ってゆく孝行娘になっていた。
「藍ちゃん、一緒に住んでた時はわかんなかったけど、お仕事が忙しいと飲んだくれてズボラになるよね。ママが言ってた通りだわ」
なんて、ため息をつかれたり、栄養ドリンクを差し入れされたり。「無理しないでね」なんて置き手紙がしたためられていたり。
誰に似て、こんなに良い子になったのかしら。親の顔が見たいわ。
あ、お姉ちゃんか。
じゃあ、鈴ちゃんを見れば良いのか。
顔も似てるけど、お説教のトーンまでそっくりなんだから……。
顔も声も性格もお姉ちゃんそっくりに育った鈴ちゃんだけど、しっかり者のお姉ちゃんよりだいぶしたたかな甘えん坊だ。
両親への手紙を読む時、お姉ちゃんは涙を堪えて気丈に微笑んでいた。
鈴ちゃんは最初からぼろぼろ泣いて、気合いで泣き止んでから、手紙を読みはじめた。
「わたしには優しいパパと、天国のママと、ママの代わりに私を育ててくれた「育ての」ママがいます。
ママの妹の、藍ちゃんです。
藍ちゃんは、ママが居なくなって泣いてばかりいた私に、たくさんの本を読んでくれました。宿題を教えてくれました。
映画やショッピングや、コンサートに連れて行ってくれました。
授業参観にきてくれて、運動会のお弁当を作ってくれました。
絵本を読んでくれた時、ママと声が違うって泣いてごめんね。
パパも、毎日いつママが帰ってくるかなんて聞いてごめんなさい。
ばあばも、ママみたいにお団子がかわいくないとか言ってごめんなさい。
じいじ、ママと違って食器洗いがヘタなんて言ってごめんなさい。
ママが居なくなって、辛くて悲しかったのは、私だけじゃなかったのに。
パパも、藍ちゃんも、じいじもばあばも、私が1日でも早く立ち直れるように、たくさんたくさん、愛してくれました。
我儘だった私が、みんなに大切にしてもらえたのは、天国のママがみんなを大切にしていたからだと思います。
天国のママ、私を産んでくれてありがとう。
パパ、ママと結婚してくれて、私のパパになってくれてありがとう。毎日遅くまで働いて疲れているのに、部活の応援に来てくれてありがとう。
じいじ、ばあば、毎日ご飯を作ってくれて、塾やスイミングの送り迎えをしてくれて、なによりママを産んでくれてありがとう。
それから、藍ちゃん。
私は、藍ちゃんに彼氏ができないのは、私のせいだと思っていました。
でも、中学生くらいの頃に、気がついちゃいました。
藍ちゃんに彼氏ができないのは、パパの所為だって。
パパが頑として再婚しないのは、藍ちゃんが好きだからって。
私、小さい頃から、シングルのママたちにしょっちゅう聞かれてました。
「鈴パパは、彼女いないの? 再婚しないの?」って。割と食い気味に。
パパはカッコいいから、モテてトーゼンです。
でも、再婚はやだなぁって思ってました。
藍ちゃんだけは、私に遠慮せず、仲良くなってくれてよかったのに。
思春期の私が不安定にならないよう、義兄、義妹の距離を守ってくれたんですね。そんな藍ちゃん以上に、パパに相応しい人はいません。
パパ、藍ちゃん、長い間、私を守ってくれてありがとう。
私はこれから、祐樹さんとふたりで新しい家庭を築き、守っていきます。
だから、パパと藍ちゃんも幸せになってください。
パパは、ヘタレてないでちゃんと告白しなさい!
私を大切に守ってくれた藍ちゃんなら、ママもダメって言いません。
……言わないよね?」
『当たり前でしょ』
その時、無人のワイヤレスマイクから、鈴ちゃんによく似た、でも鈴ちゃんより若干ハスキーな声が、会場に響いた。
「え。ママ……?!」
絶句する鈴ちゃん。
彼女を守るように肩を抱き、周囲を警戒する新郎。
ざわめく会場。
「ユーレイ?!」
「いや、余興だよね?!」
ショーゲキの暴露手紙以上の衝撃で、会場が騒然となった。
あらゆる事態に慣れているはずの司会も、瞬きをして自分のほっぺたをパチパチしている。
私は、私と紘兄は、お互いの顔をポカンと見つめあった。
「ええと……」
「式が終わったら、話、しようか」
紘兄の提案に、私はつとめて優雅に頷いた。
ファンデーションではいろいろ隠しきれないお年頃だけど、ポーカーフェイスはできていると思う。
多分。
「とりあえず、この騒ぎをどう収めるかだな……」
顎に手を当てる紘兄に、お父さんが爆弾発言をかました。
「紘くんがマイクを奪って藍美に告白すれば、収まるんじゃないかね?」
「………。」
「あらあ、ロマンチックね」
お母さん、なんか違う……。て、いわくのついたワイヤレスマイク持ってきてるし! 紘兄に押し付けてるし!
いやちょっと、紘兄も何を覚悟決めちゃってんの?!
キリッとした眼差しがカッコ良すぎるから、ヤメテ!!!
40歳は不惑というけど、あらゆる非常事態に戸惑わないわけじゃないからね?!
わかってる?! お姉ちゃん!!!
『ガンバレー ٩(ˊᗜˋ*)و』