3 神の声
「音寿」
声がした。
俺を呼ぶ声。
中年の、オッサンの声。
親父の声じゃあない。
バイト先の店長の声でもない。
ガラガラで、愛想がなく、ふてぶてしい、オッサンの声。
「音寿よ、目を開けよ」
また声がした。
何だよ?人がせっかく寝てるのに。
寝ている時が、俺の一番マシな時間なのに。
そう思いながら重いまぶたを開けると、そこは、俺が眠りに就いた部屋とは、違う場所だった。
「え?あれ?」
マヌケな声を上げる俺。
ここは、どこだ?
辺りは真っ暗で、色がなく、まるで、光の届かない海の底のよう。
その中で俺の体はフワフワと浮いていて、どっちが上でどっちが下なのかもよく分からない。
そんな俺の目の前、二メートルくらい離れた所に、何かボヤッとした物が見えた。
そしてそのボヤッとした物を目を凝らして眺めていると、それは段々と輪郭がハッキリしてきて、俺がよく知っている姿になった。
それは、太郎だった。
クマのぬいぐるみの、太郎だ。
太郎もこの不思議な空間の中でフワフワと浮かび、俺の方に体を向け、俺の事を見つめている。
もしかしてさっきの声は、太郎の物なのか?
そう思った俺は、目の前の太郎に声をかけた。
「太郎、今、俺の名前を呼んだか?」
するとさっきのオッサン声が、また俺の耳に響いた。
「うむ、そうだ。我が御主の名を呼んだのだ」
どうやらそうらしい。
太郎ってこんなオッサン声だったんだな。
見た目も可愛くねぇけど、声まで可愛くねぇな。
しかも何でそんな偉そうで仰々(ぎょうぎょう)しい喋り方なんだ?
お前は神様か?
とりあえず、俺は続けて太郎に尋ねた。
「お前、喋れるんだな。っていうか、ここはどこだよ?何で俺達はこんな所に居るんだ?お前が連れてきたのか?」
すると太郎はいきなり雷のように激しい口調で叫んだ。
「無礼者!お前とは何だお前とは⁉御主は我を何と心得る⁉」
「え、た、太郎じゃないのかよ?」
太郎の迫力にたじろぎながら俺が聞くと、太郎は少し間を置き、さも重要な事を告げるかのような口ぶりで、こう言った。
「我は、剃刀」
「え?か、かみそり?ひげを剃るやつか?」
「いや、違った。我は、雷」
「雷、なのか?」
「いやいや、これも違う。我は、神なり」
「スッと言えよ!二回も言い直す事じゃねぇだろ!そんで太郎が神様ってどういう事だよ⁉一体何の神様だってんだよ⁉」
「クマのぬいぐるみの神なり」
「クマのぬいぐるみだぁ?そんな神様が本当に居るのかよ?」
「本当に居るのだ。今月は我がクマのぬいぐるみの神の当番なのだ」
「神様って当番制なのかよ⁉」
「クマのぬいぐるみの世界ではそうなのだ。責任ばかり重くて誰もやりたがらないから、仕方なく当番制にしているのだ。それで、今月は我がその当番という訳だ」
「神様なのにえらい安っぽいんだな・・・・・・まあ頑張れよ。俺には関係ねぇけどよ」
「待てぇい!御主は我の忠実なる下僕であろうが!」
「誰が下僕だよ!太郎は俺の事をそんな風に思ってたのかよ⁉」
「ええい黙れ黙れ!この、たくあんが!」
「あ?何でたくあん?」
「いや、違った。この、お漬物めが!」
「漬物?」
「これも違う。この、うつけ者めが!」
「だからスッと言えよ!そんな古臭い言い回しでけなす為に何回言い直すんだよ⁉」
「我の発する言葉は深くて重みがある故に、何度も言い直すのだ」
「嘘つけ!さっきから浅くて軽い事しか言ってねぇじゃねぇか!何がクマのぬいぐるみの神様だよ⁉お前は俺にとって太郎以外の何者でもねぇよ!」
「太郎ではない!これからはG・G太郎様と呼ぶのだ!」
「何年か前にそんな登録名のプロ野球選手が居たな!何でG・G太郎なんて名前になるんだよ⁉」
「グレート・ゴッド太郎様だ。どうだ?深遠で高貴な名前であろう?」
「浅はかで安っぽいよ!」
「何を言うか!さあ、我を崇め、尊ぶのだ」
「無理だよ!神様らしい神々しさとか全然ねぇじゃねぇか!」
「そんな事はない!我の背後に立ち上る、この神々(こうごう)しい光が見えんのか⁉」
太郎がそう言うと、太郎の背後から何かモヤ~ンとした光が現れ、まるで切れかけの電灯のようにチカチカと点滅した。
その光を指差しながら、俺は太郎に言った。
「確かに光は見えるけど、神々しくはねぇぞ?何か点滅してるし」
「うむ、神の光を発する電気スタンドの電球が切れかけているのだ」
「神の光に電気スタンドを使ってんじゃねぇよ!」
「しかもずっと点けていると背中が熱くなるので、神の威厳を示す時のみ点灯させるのだ」
「神の威厳全然示せてねぇよ!」
「ええい!さっきからイチイチうるさいヤツだな!とにかく我を崇めよ!尊べ!」
「そんな事言ったって、具体的にどうすりゃいいんだよ?俺、最近は結構お前の事大事にしてるつもりだぜ?」
「甘いわ!ただ同じ屋根の下に暮らしているというだけで、大事にしている等とよく言えたものだな!」
「じゃあどうすりゃあいいんだよ!」
「うむ、もっと我とスキンシップをとるのだ」
「ああ?スキンシップだぁ?」
「そうだ。我を抱っこし、頭を撫で、頬ずりをせよ。そして『ただいまG・G太郎♪今日もお留守番ありがとうね♡今日の晩御飯はサーモンのお刺身だぞ♡』みたいな感じで我に話しかけるのだ」
「嫌だよ!何で二十代も半ばを過ぎた男の俺が、クマのぬいぐるみ相手にそんな事しなくちゃなんないんだよ⁉」
「成美はいつも我にそうしてくれていたぞ。そして我にいつも『最近音寿の考えている事がよくわからない』とか、『音寿は本当に私との将来の事を考えているのかしら?』とかグチをこぼしていた」
「え?そ、そうなの?成美のヤツ、そんな事を・・・・・・」
「うむ、だから御主もそうするがよい。さもなくば祟りとして、三日置きに鼻の頭に大きなニキビを作ってお前を苦しめてやる」
「ねちっこい嫌がらせみたいな祟りだなオイ!そんなしょぼい祟りしかできねぇ神様の言う事なんて誰が聞くかよ!」
「御主、我の言葉に背くと言うのか?」
「当たり前だろ!どうせこんなの夢だし、クマのぬいぐるみをあがめるなんて、バカバカしくてやってられるか!」
「上等だ。我の恐ろしさ、とくと思い知るがよい!」
・・・・・・・・と、いう所で、俺は目を覚ました。
「ふぁ~っ」
上半身を起こし、大きなあくびをひとつ。
何か、変な夢だったな。
しかもやけにリアルだったし。
太郎のヤツ、メッチャオッサン声だったな。
しかも神様とか言ってたし。
あんなしょぼい神様が何処に居るんだよ?
とか思いながら布団に視線を落とすと、俺の隣で寝ていたはずの太郎の姿が見当たらなかった。
「あれ?太郎?」
夕べ一緒に布団に入ったはずなのに、おかしいな。
そう思いながら部屋を見回すと、居た。
太郎は、ちゃぶ台の上に座っていた。
そして体をこちらに向け、俺の事をじ~っと見詰めているように見えた。
「え、ま、まさか、な」
太郎のヤツ、自力でちゃぶ台の上にのぼったのか?
いやいや、そんな訳ねぇだろ?
きっと夕べ俺が寝ぼけて、太郎をちゃぶ台の上に置いたんだよ。
だからあんな夢を見たんだよ。
うんうん、きっとそうだ。
と、自分を納得させていると、
ズキッ。
鼻の頭に妙な痛みが走り、ハッとなった俺はすぐさま立ち上がり、洗面所に走ってそこにある鏡の前に立った。
そして自分の鼻を覗きこむと、小豆くらいありそうな、大きなニキビができていた。
それは真っ赤に腫れあがり、ズキズキと結構痛い。
「そんな、夕べはこんなモノなかったのに・・・・・・」
まさか、これは本当に太郎の祟りなのか?
「いやいや、そんな訳ねぇよ。こんなのただの偶然だよ」
自分に言い聞かせるように、俺はつぶやく。
そしてそそくさと朝の支度を整え、バイトへ出かけたのだった。