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最悪な出会い

 



 ドロシーちゃんも片付けや昼食の準備に戻ったあと、途中までだった運動を再開する。



 -筋トレまではやったから、次はのんびり走りに行こうか。

 -了解です。有酸素運動がいいんですよね。



 ブーツの紐をしっかり結び直してゆっくりと走り出す。

 空はだんだん雨が降りそうなほど重い雲がかかってきている。



 -これは早めに戻って石鹸しまわないとね。雨で溶けてなくなるかも…?

 -そうですね。多分まだ固まってないでしょうし、屋敷のランドリー室にでも干させて貰いましょう。



 なんと、この屋敷は雨の日でも洗濯物が干せるようにと専用の部屋が用意されているらしい。やはりお金持ちだな。



 -そこまで裕福な方ではありませんよ?子爵位ですし。

 -いや、一般人からするとレベル違う生活よ?

 -まぁ、平民に比べるとそうでしょうね。おじい様が民から愛されてますから、街に人も集まり税の徴収も上手くいってるんだと思います。



 走り続けてようやく林にたどり着いた。ここまで来るのも一苦労する距離だ。



 -おじい様ってそんなに人気のある人なんだね。

 -50年ほど前の戦争を終結させた英雄らしいですよ。

 -え?!とんでもなくすごい人?!

 -かもです。戦争終結と共に隣国との国境の引き直し、更にこの領地と永久所有権と国境を守護する任を拝命したのです。

 -へぇー…。



 息も切れだし、足の膝が上手く上がらなくなったころ昨日の休憩スペースにした切り株までやってきた。

 今回はすぐに座りこまず、辺りを少し歩いてクールダウンさせてからお茶休憩をする。



「ぷはっ」



 冷蔵庫なんてものはないから多分水で冷やしてくれたんだろうな。冷たくて美味しい。お水に少しレモン入れてくれてるから爽やかで気持ちがいい。



 -んー、国境ってなるとお仕事大変そうだね。

 -えぇ、屋敷にほぼ居ないことも多いですし、兵の訓練なんかにも積極的に参加されていて日々忙しくされているみたいです。

 -そんな中ルーシャに逢いに来てくれてるんだ。嬉しいね。

 -はい。あまり、無理はして欲しくないです。以前は頼れる方がお義兄様とおじい様しかおりませんでしたが、今はりぃと一緒ですから。

 -もちろん私もだろうけど、今は他にもいるでしょ?ドロシーちゃん、ジェイ、ピーター、リードもかな?

 -そ、そんな!リード様まで?!



 さっき私を放置して2人で仲良くお話してたから名前を上げてみたけど、何だこのクルーシャの反応は?



 -いえ!と、とりあえず戻りませんか?!ドロシーが探し回る可能性ですよ?!

 -う、うん。



 屈伸をして足の筋を伸ばして今日は帰りも走りながら帰る。

 少しづつ運動量を増やしていかないとね。



 -雨降りそうですね。帰ったらお外での作業は無理そうです。

 -そうだね。屋敷の中でも運動してもいいかな?迷惑?

 -大丈夫だと思います。場所は…ホールであれば広いですし、そこで行いましょう。



 どうもリードの話から逸らしたいみたいだからそのままにしておくけど、これは?まさか?

 まぁここはクルーシャの問題だからね!そこまで私は口出し、手出ししませんよ?見守りに徹します。



 行きより随分時間がかかってしまったが立ち止まることなく屋敷まで走って戻ってきました。

 頑張った!足痛いけど頑張った証拠だ!

 息が整わないまま玄関ホールに向かう。



「クルーシャ様お帰りなさいませ」

「ただいま…戻りまし…た」



 タオルを持って待っていてくれたドロシーちゃんに腰に引っ掛けてある飲み物が入っていたカバンを預ける代わりにタオルを受け取る。

 曇っていても暑いものは暑いから汗かくからね。



「雨が降りそうなので午後からは屋敷の中で身体を動かそうと思ってますがよいですか?」

「…お時間少し後からでもよろしいでしょうか?フェルト様にお客様がいらっしゃっておりますゆえ」

「えぇ、問題ないです」



 お客様が来てる中ドタンバタン運動しちゃダメよね。

 じゃあそれまで部屋でのんびりしようかな?



 -では久しぶりに本を読みませんか?

 -…そうだね、最近読んであげれてないからね。頑張るよ。



 相変わらず本が好きなクルーシャだが私が読書が苦手なのと眠くなっちゃうから我慢してもらっていたけど、たまにはいいでしょう。



 -ありがとうございます!りぃはどんな話が好きですか?

 -そうだな…出来ればハッピーエンドな物語がいいな。おとぎ話みたいなやつ。

 -ハッピーエンド…最後がみんな幸せになるって言うものですね。じゃあオススメがあります!せっかくですし、りぃにも楽しんで欲しいです。本当はりぃの好きな椿姫みないなお話があればいいんですけど。

 -ふふ、ありがとう。おすすめはどんな話?

 -詳しくは読んでからのお楽しみですが旅人の話ですよ。



 冒険譚か。確かにいいかもしれない。


 ちょっと楽しみになりながらドロシーちゃんのあとについて部屋へと階段を登ろうとしていたところ、とても大きな怒鳴り声が聞こえた。



「今のは…おじい様?」

 -りぃ!おじい様に何かあったかもしれません!



 わかってる!振り返り声の聞こえた方に走り出す。



「クルーシャ様!」



 ドロシーちゃんの声が聞こえたが、驚いた声だったのか、静止の声だったのか理解できない。

 ただ耳に入っただけで頭はおじい様に何かあったかもしれないという恐怖が強い。


 多分、クルーシャもだから余計にそれしか考えられなくなっている。



「おじい様!」



 一際豪華な扉を開いて中へと駆け込み、キョロキョロとおじい様を探すがすぐに無事な姿をみつける。

 ソファから立ち上がり、目の前のテーブルに両手をついている。

 目の前に座っている人が、後ろ姿なのでよく分からないが怯えている様子だ。

 こちらに気づいたおじい様が突如慌てだした。私が急に入ったからだ。来客中とも聞いていたし、邪魔してしまったんだろう。

 無事も確認出来たし、とりあえず謝罪してからこの場を去ろう。



「クルーシャ!こちらに来ては行けない!早く去りなさい!」

「申し訳ございません。おじい様の声が聞こえ心配で乱入してしまいました。大変失礼いたしました」

「…クルーシャか…?」



 怯えていた様子の男性が立ち上がり振り返る。

 初老の顔立ちは綺麗だがどことなく煤けた雰囲気のある男性だ。

 どこかで、見たことがあるような気がする。



「あの…」

「クルーシャ!…いい子だからここから去りなさい。後で説明してあげるから」



 開きかけた口はおじい様の厳しい言葉で止められる。

 孫溺愛のおじい様がこんなに言うのだから、多分この相手はクルーシャにとって良くない相手なんだ、と理解し立ち去るため頭を下げた。



「失礼いたします」

「待ってよ、クルーシャ。久しぶりなんだし、僕とお話しよう?」

「ガゼル!!!」

「いいでしょう?お義父さま、自分の娘ですよ?少しぐらい時間下さいよ」



 先程まで脅えていたとは思えない、薄っぺらい笑顔を浮かべるガゼルと呼ばれた男。


 これが、クルーシャの父親?



 -この方がお父様なんですか?



 これには驚いた。だって娘であるはずのクルーシャが誰なのか分かっていない。

 でもこのおかげでなんとなくだが、人間関係が把握できた気がする。

 私はこの場を離れることを優先しよう。



「おじい様、来客中でしたのに申し訳ございませんでした」

「問題ないよ。後で一緒に食事をとろうな」

「はい、それでは」



 一切男性の方には目もくれず、おじい様とだけ会話をする。



「酷いな、クルーシャ。僕を無視するなんて」

「………」

「…はぁ、相変わらずかよ。まぁいいや。クルーシャお前からおじい様に言ってくれよ。お父様にお金を貸してあげてくださいってさ」

「ガゼル!いい加減にしないか!」



 最初は無視しようとしていたがそんなことしなくても言葉が出なくて結果無視になってしまった。


 お金?お金を借りに来たの?

 怒っていたおじい様のことを思うと多分断られて、私に頼めと?

 クルーシャには悪いけどこんな人の事父親とは思えない。



「私からおじい様にお願いすることは何もありません。すみませんが退出させていただきます」

「お前のせいなんだよクルーシャ。お前が王子から婚約破棄されたせいで僕は王家から融資がうけられ受けられなくなったんだよ?」

「それは…」

「お前が醜く愛想もなく根暗で陰険に育ったせいだよ?分かってるだろう?お前のせいだ。お前のせいで僕は苦労ばかり。ミーシャがいればこんな…」

「ガゼル!」



 おじい様の静止の声も届かない。

 笑みは絶やさないままこちらを虚無な瞳で見られ、背筋がゾッとする。

 この人にクルーシャは恨まれているの?

 でも、今のわたしには関係ないし、クルーシャにも関係ないはずだ。


 もうこの人の言葉に耳を貸さないで立ち去ろうとしたが、思った以上にこちらとの距離を詰められていた。



「…ミーシャと同じ色の髪、ミーシャと同じ色の瞳。なのになぜこのような姿に?これはミーシャに対する冒涜だ。許さない。許せない、ゆるさない…」



 ミーシャ。クルーシャのお母さんの名前だったのね。前に瞳の宝石みたいな輝きがお母様にで誇りだと言っていた。

 クルーシャは無事だろうか?先ほどから声が聞こえない。話しかけても返事は返ってこない。

 内心焦る私に構わず、目の前の男は毒を吐き続ける。



「この恥さらし。役にも立たない醜いだけのいらない女。この世界の全てから嫌われている忌み子。そんなモノの父親になってしまった哀れな僕を少しは助けたいと思わないのか?」



 いらない女だって言った?

 クルーシャをいらない女だっていたの?この男は?


 一瞬で頭に血が上り、気づいた時には頬をひっぱ叩いていた。

 乾いた音だけが室内にこだました。



「クルーシャはいらない子じゃない。嫌われてない、愛されている。醜くもない、誰よりも綺麗になる。そんなことも分からないやつが父親を名乗るの?馬鹿じゃない?」



 静寂の中私の声だけが響く。



「助けたいと思わないかって質問しましたよね?もちろん答えは思わない、だわ。それじゃあ用は済んだかしら?だったらもうお帰りください」



 最後は微笑む。さらりと長い前髪をかき分け、ミーシャさんと同じ瞳でにっこりと。


 さようなら、と。



 呆然とした人たちを置いて部屋を立ち去る。

 ゆっくりと、優雅に。

 こんなやつ相手にクルーシャが逃げるなんてありえない。最後まで、私はクルーシャの味方だ。



 -りぃ…ありがとうございます…。

 -よかった、ルーシャ。声が聞こえなかったからすごく心配した。

 -少し彼が受け入れられなくて、動揺してしまいました。あの方が父親なんですね。

 -あんなの父親とは思えない。ルーシャ、気にしなくていいよ。



 クルーシャからはひどく怯えた様子が伝わってくる。あの男の言葉でさらに傷ついたんだろう。

 そう思うと張り手一発では気が収まらなくなってくる。拳でぶん殴って蹴っ飛ばしてやればよかった。

 一応護身術は身に付けていたのである程度の攻撃方法なら熟知している。



 -…大丈夫ですよ。あれです、「そんなように言う人がいるんですね、りぃはそんなこと言いませんけど」です。プラス思考です。

 -ルーシャ…。

 -色々言われて悲しくなったのは事実です。でもリィが教えてくれました。私はあんな父親よりももっと大切な人が周りにいますから、だからへっちゃらです。



 部屋に戻ってくる。ドロシーちゃんの姿はないが、綺麗に整えられた部屋だ。



 窓辺の椅子に腰掛ける。

 心配していた雨は降り始め、しっとりとした風が髪を攫う。



 -大丈夫ですが、いまここにりぃしかいない場所でなら、少しだけ、ほんの少しだけ、悲しんでもいいですか…?

 -うん、いいよ。ルーシャ、私の大好きな、大切なルーシャ。



 私にしか聞こえない世界でクルーシャは声を上げて泣いた。


 悲しく、悲しく響くその泣き声を、私は絶対に忘れない。






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