初めまして異世界なのにこんな始まり方なんですか?
目の前には恐ろしい形相でこちらを睨み下ろす男。片手には木でできた桶を持っていた。
その傍らにはべったりとその彼に身を寄せ瞳を潤ませ同じようにこちらを見下ろす女。
「いきなり意識を飛ばして、こちらの気を引くつもりか?!くだらない!!!」
カーンっとちょっと間の抜けた甲高い音を立て桶を投げ捨てている。それを後ろに控えていた男の人が無言で拾ってる。
誰ですかね?そしてここはどこですかね?
「殿下…。クルーシャ様も多分混乱しているのですわ…お可哀想に…」
「マリー…君は虐げていた醜いこの女にも同情するのか…なんて言う優しい心の持ち主なんだ…」
「…殿下ぁ…」
何だこのふたりは。
とりあえずイチャイチャするのは構わないのですが、把握だけさせてもらえませんかね?
そしてなぜ私は水浸しなの?!頭から水でもかけられた?!
-すみません…。彼が私の婚約者の第3王子ヴィンセント様で、傍らにいらっしゃるのか男爵令嬢のマリー様です。
-クルーシャ?!
-はい…ご迷惑おかけしてますモトミヤリイナ様…。
-ご迷惑って!?ってどこにいるの?!
「なにをぼぉっとしている!?俺が婚約破棄をすると言ったのだ!理解出来たなら返事をしろ!」
「あ、はい」
なんだその返答は!?と怒りに震えるクルーシャの婚約者様。あ、元が付くのか。
なにかマシンガンのようにクルーシャへの罵倒トークが止まらない。せっかく綺麗なお顔をお持ちなのに眉を釣りあげ瞳孔も開きっぱなし、怒りで顔中真っ赤だ。これでは100年の恋も覚めるでしょう?
そう思って隣りのすがりついてる彼女を見るが上目遣いでじっと彼を見つめ、「ハッキリ物言う王子、かっこいいです!素敵!もっと言っちゃってください!」とか言ってる。
この子もミルクティ色の髪の毛でお目目もぱっちり、しかも胸デカイっていういい所ずくめなのに残念な子だ。
このよく分からない修羅場を切り抜けないとなにも分からないままね。
このまま彼の話を聞いていても不快になるし。
実際は右から左へと聞き流しているので私自身は何も感じていないが、クルーシャが反応してる。
何故か床に座り込んでいた身体を起こそうとするが、なかなか思うように動かない。
-あれ?もしかしてクルーシャが何かしてる?
-あっいえ…私は意識だけでこの身体の中におりますので何もできません…。恐らく…。
なんてこと?!身体が重い!物理的に!
次はふんっと気合を入れて立ち上がる。
まだ慣れていないせいか、足元が覚束無い。違う、しゃがみこんでいたから足が痺れているみたい。
でも大丈夫。動かせる。
-よし、とりあえずクルーシャの振りをしてこの場を離れたい。いつものように彼と会話をしてみて。私はそれを真似するわ。
-そんなことが出来るのですか?
-もちろん!まかせて!
「…クルーシャ様…、お気持ちは察しますが殿下を蔑ろにするのは元婚約者としてもいかがな態度かと思いますわよ」
甘ったるい声色で話しかけてきたのはマリー。クルーシャ曰く友人だね。
お目目うるうるさせて困り眉をさせている彼女、確実に演技よね。うん、私から見てもよく演技出来てると思うわ。
ってか、クルーシャと会話をしていると反応が遅れるんだよ。
そして貴女が元婚約者とかいうなよ。
-んん、おっけークルーシャ、いつものように立ち居振る舞いしてみて。
-わ、わかりました。
意識を集中すると奥底にクルーシャの存在を見つける。ぼんやり人型を取っているのも分かる。よし、これなら動作も演じられる。
「…大変、失礼いたしました…。また、お話の途中ではございますが体調が優れないのでここで失礼させて頂きたいと思います…」
深々と頭を下げる。目線は合わせない。
震える声に、怯えている態度。
クルーシャと全く同じように振る舞うことなんて動作もない。
伊達に5年間と女優業してないわ。
少し間があき、下げた頭の上から冷たい声がかかる。
「…ふん、都合が悪いと直ぐに逃げるつまらないお前ともう関わらないでいいと思うと清々する。あぁそうだ婚約破棄の件、お前から全て伝えておけ」
「…はい、お目汚し失礼いたしました」
完璧にコピーを完了して、退出するため歩き出す。
-どう?そっくりだったでしょう?
-ええ、少しビックリしました…!?あっ!お待ちください!そのままでは…!
「…!!!この、バカ女!!何度言ったらわかる!屈んで歩け!!!」
は?
何を言われているか分からずに思わず振り返り、綺麗系のお顔を真っ赤にさせ怒り心頭!といった殿下を見下ろす。
見下ろす…、パッと見、殿下は170センチ以上あったようだったけど。
それを少しとはいえ、見下ろせるって。私ってか、クルーシャ何センチなの?!
「し、失礼いたしました…」
「はっ!だから巨女と周りからバカにされるのだ!小さく見える努力を怠るからだ!」
小さく見える努力ってなにさ!!!
猫背にして膝を少し曲げて立つクルーシャの姿が見えたのでそのようにする。
-これが、努力?
-…すみません…。ヴィンセント様達が去るまでこのままで…。
思わず誰にも気づかれないため息をついた。
自分の身に何が起きたか把握したいのに、余計な情報が、次から次へと積まれていく。
「ねぇ殿下…。そろそろ行きませんか?マリー、ちょっと気分が悪くなっちゃいました…」
「それはいけない!気分を害するあんな魔物を目にするだけで気分も悪くなるだろう。本当にいるだけで人を不快にする…」
「うふふ、これからはそんな醜い魔物から殿下が守ってくださるのでしょう?」
「もちろんだ!」
べったりと元婚約者の腕にご自慢であろうお胸を当て巻き付く元友人。
はしたない子ね。あんな見え見えなアピールにメロメロな元婚約者もどうかしてるわ。
…クルーシャ、よくあんなのと関わっていられたね。
彼らが取り巻きたちと共にようやくこの場を去った。
すれ違いザマにマリーって子に足を踏まれたけどとりあえずやっと落ち着ける。
-クルーシャ、とりあえず落ち着ける場所に行きたいのだけどどうすればいい?
-…はい、では自室に戻りましょう。ご案内いたします。
猫背のまま脳内の指示通りに歩き出す。
辺りから野次馬のような見物人がざっと道を開ける。
-貴女結構嫌われていたのね…
-…お恥ずかしい限りです、申し訳ございません…
野次馬からは主にクルーシャの見た目を罵倒する発言。それに婚約破棄を祝う発言。
「オーク姫がやっと成敗されたぞ!」
「ざまぁみろ、魔物姫。今までマリー様や殿下に惨めな思いを与えやがって。さっさと去れ!」
「やっと王子とマリー様はあのオークから解放されたのね…良かったわ…」
「よくもまぁあんなブサイクが今までは婚約者でいられたな!きっと慈悲深い王子様のお情けだったんだろうな」
「なぁ騎士団を呼べよ!討伐してもらおうぜー!」
などなど、底辺レベルの罵倒ばかりだ。
正直、言いたいやつには言わせておけ、黙らせたい相手は全力で黙らせろがモットーな私はクルーシャへの暴言でイライラはしているが心的ダメージは無い。
でも、私自身にはダメージのない罵詈雑言だけど、クルーシャは傷ついているようだ。小さく震えて怯えているような気がする。
そんなクルーシャを思う。毎日毎日見た目をバカにされ、身体的な特徴で集団いじめを受けているようなものだ。
しかも王子とやらの婚約者であったのなら余計に火を見るより明らかだろう。
ぶっかけられた水でしっとりする前髪の隙間から私は声の主達を一人一人確認してから、足早にその場から立ち去ることにした。